親友のお母様

サンノゼに住む親友のマリのお母様が昨日亡くなりました。癌が再発したことがわかって、涙声ながらも「これからまた頑張って闘う」と言っていたのは9月9日のこと。それからちょうど一ヶ月であっという間に逝かれてしまいました。

winter20flowerマリは2週間ほどずっと病院に寝泊りして、実は先週の土曜日に「もう明日にでも」という状態だったそうでした。もう死ぬことはわかっていて、でも少しでも長く生きて欲しくて、でも苦しんで欲しくなくて・・・この2週間、どんな思いで彼女は病院でお母様の側についていたでしょう。マリが「もうだめそう」と言っていた先週は、私は「突然の別れもつらい。目の前で死なれるのもつらい。でも選択肢があるなら、私はマリのように最後までみとってあげたい」と思っていました。今でもそう思っていますが、「もう助からない」とわかってからも10日近く、避けられないその時を待ちながら過す時間も、心身ともに消耗するものだったに違いありません。

昨日の夜、電話で話したとき、マリは驚くほど落ち着いていました。ただ単に医療を行うだけでなく、ホリスティックな考え方を採用しているその病院では、とても手厚いケアを受けたそうです。また、患者だけでなく付き添いの家族に対しても細やかな気遣いがあり、ビジュアリゼーションという方法の瞑想をガイドしてくれる人が来て、3回ほどそれを行ったということでした。多分、その2週間と言う時間があったから、マリはお母様の死を受け入れる準備ができたのでしょう。「自分はキリスト教ではないけど、母の魂はどこかにあると思うし、心を静かにしてオープンにすれば、母親のプレゼンス(存在)を感じることができると思う」と言っていました。「妹や父親はそんな風にはとても感じられなくて、ただ悲しむだけでかわいそうだ」とも・・・

面白かったのは、マリがこの話を始める時、”You became much more spiritual than the time we first met” という前置きをしたことでした。「あなたは私たちが最初に会った時よりもずっとスピリチュアルになったわよね」ということで、それには私も思わずにっこりしてしまいました。こういう話は、話す相手を選ばないと・・という日本人みたいな気遣い(彼女のお母様は日本人、お父様はアメリカ人)もそうですが、実際に私自身もそうだな、と思ったからです。みろくを亡くしたこともそうですが、3年前にインディゴ・ビレッジに出会ったことも大きなきっかけだったと思います。特に特定の宗教や宗派の考え方で・・・ということではないのですが、人生とは、生きるとは、死とは・・ということに対して以前よりもずっと興味があることは確かです。また、国連に勤務している時にジレンマとしていつも感じていた貧富の差や、「与える側」「与えられる側」の差にも、当時とは違う考え方をしている自分に気がつくこともあります。

大学院時代のルームメイトだったマリと、当時は考えられなかったような話を二人でしていることに、時の流れとともに、同じ言葉で話ができる嬉しさも感じました。マリのお母様は私も何度もお会いしたことがありますし、アメリカに留学で来た私を家族のように受け入れてくれた本当に素晴らしい方でした。マリのお母様の冥福をお祈りします。

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