ハロウィーンの出来事

私は日本で生まれ育ったので、大学卒業後にアメリカに留学するまでハロウィーンを祝う習慣とはほぼ無縁でした。9年前にアメリカに移住し、最初の子どもが生まれるまでの数年間は、友人で毎年気合の入ったハロウィーン・パーティを行うカップルに招かれ、適当な仮装をしてそのパーティに行くくらいでした。日本に住みながらアメリカという外国にあるお祭りであるハロウィーンについて最初に知ったのは、小学生の頃に大好きで繰り返し読んでいた「ゆかいなヘンリーくんシリーズ」という物語の本だったと思います。クリアリーという作者のこのシリーズでは、ヘンリーという少年を主人公として毎回いろいろな事件が起こります。この中で、ハロウィーンの合言葉”Trick or Treat”が「いたずらかごちそうか」と訳されていたのが印象に残っています。本にはまた「お菓子がもらえなければ、窓に卵をぶつけるなどいたずらをしてもよい」と書かれていたので「お菓子を用意しないと何かされるのか」と思っていましたが、実際にアメリカに住んでみてそうではないとわかりました。”Trick or Treating”に参加しているのは、ハロウィーンの装飾をしている家というお約束のようです。

ハロウィーンといえば、忘れてはならない出来事があります。ハロウィーンのパーティに行こうとして、別の家に行ってしまった日本人留学生、服部剛丈くんが射殺された事件です。下記がWikipedia掲載の事件の概要です。

1992年10月17日、ルイジアナ州バトンルージュにAFSを通じて留学していた日本人の高校生、服部剛丈(はっとり よしひろ、当時16歳)が、寄宿先のホストブラザーとともにハロウィンのパーティに出かけた。しかし、訪問しようとした家と間違えて別の家を訪問したため、家人ロドニー・ピアーズ(当時30歳)から侵入者と判断されてスミス&ウェッソン社製の.44マグナム装填銃を突きつけられ、「フリーズ(Freeze「動くな」の意)」と警告された。しかしながら服部は仮装の際にメガネを外していたため状況が分からず、「パーティに来たんです」と説明しながらピアーズの方に進んだところ、玄関先、ピアーズから約2.5mの距離で射殺された。

私もこのAFSという団体でドイツの高校に交換留学生として1年間滞在させてもらいました。その後、この事件が起こった1992年から大学生ボランティアとしてAFSで活動していたため、この事件は本当に衝撃でした。ボランティア仲間の中には、事件の犠牲者となった服部くんと、出発前オリエンテーションなどのグループで一緒だった人もいて、私たちにとってこの事件は単なる新聞やテレビを一時賑わせたもの以上の意味がありました。この事件が起こった時点ではまだアメリカを訪れたことがなかった私は、普通の家庭でも銃を携帯している可能性があるということをいやでも実感させられたり、またその後の陪審員裁判で銃を撃った男性が無罪になったことにとてもショックを受けたことを今でも覚えています。事件後には、アメリカの銃規制を強化するための運動が起こり、確か、ニューヨークのタイムズ・スクエアに「銃で死亡する人の数」が表示される電光掲示板が設置された時期もあったと記憶しています。

近年、アメリカでもハロウィーンに乗じた犯罪のニュースが聞かれるようになりました。 “Have a Safe Halloween”という挨拶を聞くたび、この事件を思い出します。今となってはアメリカ人にはほとんど知られていない事件となってしまったかもしれませんが、事件のあとに「悲劇を繰り返さないためには文化の違いを乗り越え理解を深めていく必要性がある」として、銃のない安全な日本社会を体験してもらうため米国の高校生を年に一人ずつ招こうという趣旨で設置されたYOSHI基金(Yoshi Hattori Scholarship)は今でも続いていて、この時期に奨学生の選考が行われます。ハロウィーンという欧米のお祭り、そしてアメリカの銃文化を背景にして起きたこの事件について、私たちが次の世代に伝えていくことも、私たちにできる異文化交流、異文化理解の一助になることではないかと感じます。

コメントを残す