ドキュメンタリー映画「ハーフ」

先日、以前から気になっていたドキュメンタリー映画「ハーフ」の上映会が、友人の主宰しているThe Global FamiliesというNPO団体の主催で行われました。

日本人と外国人を両親にもつ子どもは、日本では「ハーフ」と呼ばれることが一般的です。映画の中でもこの呼び方についてのディスカッションがあり、「ハーフ」はあまりよいニュアンスがない、という意見や、この呼び方は日本だけのものという意見も紹介されていますが、実は英語でも自分のルーツを説明するときに”half”という言葉は使われます。ただ、英語では “I am half”とは言わず、”I am half Japanese, half American” など、必ずそのあとに「どの文化のルーツがあるのか」を指す言葉が入ります。

 映画では、在日韓国人の男性と結婚した日本人の母親から「韓国人とのハーフだということをほかの人に言ってはダメ」と言われ、悩み苦しんだ女性のストーリーがありました。どの国の出身だったとしても、また自分の親がどの国の生まれだったとしても、自分を構成するひとつの要素を完全に否定しなければならないのはつらいことです。実際に、この女性は15歳になるまでは自分がハーフであることを知らずに生きてきて、事実を知ったあとに、日本も韓国も嫌いになった時期があった・・・と語っていました。映画では、彼女が自分と同じように多様な人種的文化的背景をもつ人たちの集まりであるミックスルーツという活動にかかわることで、居場所を見出し、またふたつの文化を持つ自分を肯定できるようになるまでの様子が描かれています。現在は結婚して子どももいる彼女は、子どもには「あなたには複数のルーツがあって、本当にラッキーだね!って言い聞かせたい」と笑顔で語っていたのが印象的でした。

また、ガーナ人の母と日本人の父をもつデイビッドのストーリーは強いインパクトがありました。見るからに「普通の日本人」ではないために、初めて会う人には必ずと言っていいほど「なにじんですか?」と聞かれるシチュエーションがあり、周りの友人が「おまえは大変だなぁ」とコメントしたことがあるのですが、それに対して彼は「自分のことを説明するのは、全然いやじゃない。それで、少しでも多くの人が、こういう日本人もいる、と知ってもらえたら」という趣旨で、次の世代のために自己紹介をしているんだ、ということを言っていたのです。デイビッドは事情により兄弟と一緒に児童保護施設に入っていたりして、実に様々な葛藤を抱えながら生きてきたに違いないのに、そのオープンさ、優しさに心を打たれました。自分の母親の国であるガーナに行ったことがきっかけで「自分はやっぱり日本人だ」と再認識し、また「恵まれた立場にいる自分だからこそできる」と言ってガーナに学校を建てるプロジェクトをやっています。

映画では、新生児の49人にひとりが日本人と外国人の間に生まれている、と紹介されていました。我が家の子どもたちもこの統計に入っています。夫がアメリカ人なので、文化的には子どもたちは「日本人とアメリカ人のハーフ」。そして、普段意識することはほとんどありませんが、夫も「マレーシア人とインドネシア人のハーフ」なのでした。アメリカは移民の国で、ほとんどすべての人がいずれの時点かではどこかからアメリカに渡ってきている多文化・多民族国家です。育っていく過程で、まわりに多文化ファミリーがたくさんいるかどうかも、子どものアイデンティティ形成や自己肯定感に大きな影響を与えるでしょう。ハーフの子どもたちをもつ親として、彼らの出自についてどのように言葉かけをしたり、またそのことが原因で悩むようなことがあったときにどういう態度をとるべきなのかを考える機会にもなりました。多文化、多様性ということが身近な問題であるかどうかにかかわらず、これからの日本を生きる多くの人に観てもらいたい映画です。

異性の心を上手に透視する方法

過去にこちらのブログ記事でご紹介した”Attached”という本。2015年の春に行ったセミナーで、この本のコンセプトをご紹介したところ、とても興味をもっていただいたことと、Kaiwa-USAの松本直子さんのFacebookでのコメントに背中を押されて、「翻訳本を出すプロジェクトをやってみよう!」と思い経ちました。

それから1年。多くの皆様のご協力をいただき、6月13日に翻訳本「異性の心を上手に透視する方法」がプレジデント社から発売になります。

カバー

出版までのストーリーは、(異性の心を上手に透視する方法Facebookページ)で公開中です。

41F5WD7AYPL実は、この本の原書には「ベスト・パートナーになるために 男と女が知っておくべき「分かち愛」のルール 男は火星から、女は金星からやってきた」という世界的なベストセラーを書いたジョン・グレイ博士の推薦文がついています。

そして、奇しくもこのタイミングでジョン・グレイ博士が来日して、講演会とセミナーが行われたのです。そこで、「異性の心を上手に透視する方法」の宣伝も兼ねて、プレジデント社のオンライン媒体の企画として、ジョン・グレイ博士とインタビューさせていただくという光栄に恵まれました。

こちらの記事は本の発売日の数日前に公開される予定とのことです。どうぞお楽しみに!

家族のDNA

今年の4月にあった母方の祖父母の法事での会話をきっかけとして、5月の連休の日曜日に叔母夫妻、私たち家族と兄夫婦で実家に集まりました。

母方の家族は音楽一家。祖父はバイオリン、祖母はピアノをやっていて、祖父は94歳で突然亡くなる前の日までバイオリンを弾いていたそうです。祖父母の子どもたちである私の母やふたりの叔母も、ピアノ、バイオリン、エレクトーンなどをやっていました。母はピアニストになり、音楽大学で今でも現役で教えています。そんな環境だったので、子どもの頃は私も兄もピアノを習っていました。あくまで趣味の域を出ませんでしたが・・・

法事のあとの会食の場で、我が家の子どもたちが管楽器にも興味を持っている叔母夫婦に話したら、楽器をたくさん持っているからぜひ今度、私の両親の家で集まろうということになったのです。

連休の日曜日、叔母夫妻が実家に到着すると、次々と楽器が運び込まれました。私と母のピアノ連弾や、母と叔母のピアノとバイオリンの演奏など、ひととおりそれぞれが曲を披露したあとに、叔父の数々の楽器のお披露目大会に。叔父のメイン楽器であるホルンはもちろんのこと、トロンボーン、トランペットなどの管楽器に加えて、ジャンベ太鼓やディドゥリドゥまであったのには本当に驚きました。

サンディエゴで一度、友達の演奏を聴いたことのあったディドゥリドゥ。実家で聴くことができるなん思いもよりませんでした。

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その後はそれぞれが入り乱れてのジャム・セッション。兄夫婦もピアノの連弾で参戦し、4歳児の三男も太鼓をたたいたり、鈴をもって踊ったり・・・音楽に動かされている感じでした。
IMG_4535夫は特に楽器を弾かないので、退屈するかな?と思っていたら、長男のジャンベ太鼓演奏に触発されたのか、その後にジャンベ太鼓をたたきはじめ、それにあわせて叔父がディドリドゥを弾きはじめると、そこに入ってきた長男は曲に合わせて踊り始めました。叔父がディドリドゥの説明をしてくれたときに、オーストラリアの先住民のアボリジニの伝統的な民族楽器で、お祭りのときなどにこれに合わせて踊る・・・という話を理解していたのか、はたまた長男に刷り込まれているダンスの魂なのかはわかりませんでしたが…
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「アルプスの少女ハイジ」の曲の冒頭にひびきわたるアルトホルンは、長すぎて写真におさまりきらず。
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トランペットがやりたい次男も、念願かなって楽器を触らせてもらえて満足げ。子どもたちは、トロンボーンもチューバもポケット・トランペットも初めてなのに、音をだしていたのには驚きました。
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母と叔母が演奏を始めるときに、兄が祖父母がふたりで映っている写真をもってきたのが印象的でした。母が子どもだったころにも、こうして家族で演奏会をしていたのでしょう。
IMG_4560祖父母がそれぞれ2004年、2005年に亡くなってからしばらく後、私や兄が小さい頃から時々訪ねていった東京の祖父母の家はもうなくなってしまいました。でも、おじいちゃんとおばあちゃんの音楽好きのDNAが、私たち、そして子どもたちの世代にもこうして受け継がれていくんだなぁと感じて、なんだか感慨深い日になりました。

家族で「この時には決まってXXをしていた」というファミリー・トラディション。子どもたちの成長につれてだんだんと行われなくなったりしていくこともありますが、でも何年もなにもしていなくても、こうしてまた復活させたり、新たに始めたりできるものなんですよね。また、これが自分のルーツの一部なんだなということも感じたので、来年また集まるときには、ハワイで買ったままで進歩がみられないウクレレもまた手にしていきたいなと思います。

Erinaさんへの手紙:Happiness

去年から始まったErinaさんとの文通シリーズ。今回のお題は”Happiness”で、えりなさんからはこちらのお手紙をいただいていました。

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photo-1447814890817-cf74792e6dcaErinaさん、お元気ですか? 新しい年が始まってもう2週間になりましたね。2016年はどんな年になりそうでしょうか。友達に「色占い」みたいなことをしている人がいて、直観で選んだ色(黒)を彼女に伝えてみたら、黒は大きな変化を意味すると言われました。確かに、今年は大きな変化が起きそうな予感がしています。

さて、本題に入ります(大変お待たせしてしまってごめんなさい)。

Happinessという言葉で思い出すことがあります。

去年の後半にずっと翻訳作業をしていた“Attached”という本のなかで言及されていた、アメリカの人気作家ジョン・クラカワーが書いた “Into the Wild”(邦題は「荒野へ」)というノンフィクション小説の主人公が残した言葉です。

Happiness only real when shared

将来を嘱望されていた青年がひとりでアラスカの荒野に旅立ち、自力で生き延びるものの、春になって雪解けの水でかさが増した川を渡れずにひとりで死んでいく主人公。この本はドイツで働いていたときに英語で読んだことがありましたが、久しぶりにこの引用句を目にして、ひとり異国で働きながら感じていた寂しさなどが思い出されました。

私は常々、国際結婚を目指して婚活をしている方にも「パートナーがいないと不幸・・・ではなくて、まず自分ひとりでも幸せになってください」とお伝えしています。“Happiness=Inside Job”というブログ記事にも書いたように、「XXがなければ幸せでない」という思考のままでは、求めていたものが手に入って一時的に心が満たされても、またすぐに他のものが欲しくなり、それが手に入らなければ不満に感じるようになるからです。

こう書くと、パートナーに精神的に頼るのはよくないこと、ということにもなりそうですが、”Attached”の本の中では、誰かとパートナーシップを結ぶということは、生物学的に言ってもお互いに相手を頼りあうことと同義だと解説されています。

お互いにとっての「安全基地」として機能することによって、相手は自分のことが好きなのだろうか?ちゃんと必要なときにサポートをしてくれるだろうか?という心配をする必要がなくなり、仕事や趣味に集中して成果を残すことができるのだそうです。確かに、私と夫の関係について考えてみても、相手が自分のことを常に考えたり、やりたいことをできるだけ応援しようとしてくれているかどうか本当にわからなくて思い悩むことはまずありませんし、その分、仕事や勉強や趣味に集中できるというのは確かです。

私は、自分ひとりでも生活のなかに「幸せな瞬間」を見出すことは可能だし、磨くことで培われるスキルだとも感じています。またその幸せな瞬間の記憶を多く持っている人が幸せだとも言えるでしょう。

でも、そのうえで、そうして見出した幸せな瞬間について語り合い、喜びを分かち合うことができる人がいることは、人生を豊かにしてくれるものだとも信じています。

“Happiness only real when shared”の「リアル」というのを「現実になる」とか「本当である」と訳されているものを目にしましたが、これは「シェアされない幸福は幸福ではない」という意図ではなく、幸せだとしても、分かちあう人が初めて「よりリアルに実感できる」というニュアンスなのではないかな~という気がしてきます。

えりなさんの言われているように、ハッピーにしている人のまわりには、やはり同じように、平凡な暮らしのなかにも幸福を見いだせる仲間が集まってくるものですよね。これからも、自然体で人生に起こるさまざまなことを前向きに受け止め、感謝して、人とつながることで、豊かな時間を生きていきたいなと思います。

War and Peace

photo-1447755086558-cb9e3830d677また新しい年が始まりました。英語でNew Year’s Resolutionという言葉がありますが、これは一年の始めに「今年はXXをしよう」と決めるものです。個人的には、Goal(目標)よりももう少し強い、「誓い」みたいなニュアンスなのかな?と感じています。

2015年という年は、自分としてはあまり満足のいく年ではなかったと(去年のうちは)感じていました。2014年の後半に、海を越える大きな引越しをして、生活がやっと落ち着いた春ごろから、なんとなくやる気の出ない時期がずっと長く続いたのです。今から思えば、数年越しの夢を実現させたことや、また新生活の立ち上げのストレスや緊張感などからくる疲れがでて、ある種の燃え尽き症候群だったのかもしれません。せっかく日本にいるのだから、もっと多くの人に会ったり、いろいろなことを仕掛けたりしてビジネスのチャンスを広げなければという焦りもあったりして、なかなか思い通りにものごとに集中できない自分に対していら立ちを感じることが多かったように思います。

また、これは典型的なワーキングマザーのジレンマでもあるのでしょうが、子どもたちと一緒にいるときには「仕事を頑張っていない」という気になり、子どもが学校や保育園に行ってひとりになる昼間は「子育てをきちんとできていない」という気持ちに(今までになく)苛まれたこともありました。アメリカにいるときでも、長男が生まれた2006年からずっと子どもを預けながら働いてきましたが、私は結婚する以前は「働くこと」もひとつの大切なアイデンティティであったため、この部分に関してはそれほど深刻に悩んだことはありませんでした。このジレンマを強く感じるようになったのは、日本に移住してきたからでもあったのかな、と今になって思います。アメリカで生まれた子どもたちにとっては日本は外国でしたし、特に日本の学校に通い始めた12月からの数か月間というのは、彼らもそれまでの人生の中で一番チャレンジングな時間を過ごしていたでしょう。彼らをこのクレイジーな冒険に巻き込んだ当事者として、もっとサポートしなくちゃいけないのに、というプレッシャーを無意識のうちに自分にかけていたのかもしれません。

でも年が明けてから改めて、去年動いてきたことの成果として、今年起こる予定のふたつのことについて書いてみたら、そんなに悲観したものでもなかったのかな、と思えてきました。ひとつは、横須賀基地で、基地に勤務しているアメリカ人と交際(婚約、結婚)関係にあるというカップルを対象に “Cross-cultural relationship workshop”を今月から月に一度開催すること。そしてもうひとつは、2012年にハワイで出会った“Attached”を私が翻訳した本がプレジデント社から出版されることです。また、アメリカにいたときは主に国際結婚をして困っている人からのご相談が多かったのですが、日本に来てからは、国際結婚を目指した婚活をしている方のサポートにも需要があることがわかり、仕事の幅が広がってきました。春にはグループコーチングを行い、参加してくださった皆さんからは高い評価もいただきましたし、いくつかのコラボセミナーも行いました。

クリスマスの日から旅行に出かけ、旅行の終盤で迎えた年越しはシンガポールでしたが、元旦になってからやっと「2015年はいい年だったんだ」ということに改めて気がつき、なんだか少しもったいないことをしたような気持ちになりました。「もっと達成できたのに」という意味ではなく、いろいろと素晴らしいことが起こっていたのを、そのときそのときにちゃんとappreciateできていなかったかもしれない、ということに対して。

そんなときにFacebookでLodro Rinzler”A Different Kind of New Year’s Resolution”という記事を目にしました。これは2014年の暮れに、2015年に向けて書かれたものですが、読んでみるとまさに私が2015年を過ごした心境について言及されていました。それは一言で言うと “berating”つまり厳しく批判するということです。彼は「多くの人は、前の年にできなかったことや自分の変えたい部分を新しい年に『頑張ってやり遂げよう(変えよう)』とするけれど、できていないところを直して満足しようとするのではなくて、現時点での自分自身をよりよく知って受け入れることでハッピーになったほうがよい」と説いています。

Maybe, instead of trying to fix ourselves, we should take on a resolution of self love and learn to embrace who we are at this very moment.

要するに、去年の私はself-compassionやself-loveが足りていなかったということになりそうです。私は何人かの仲間と一緒に1月11日から始まるBrene Brownのオンラインコースに参加するのですが、彼女の最新刊”Rising Strong”の中で、「人々は本当にベストを尽くしているのか?」という質問がでてきます。著者はこの質問に対する答えは常にYesだ、という立場に立った上で、“Stop loving people for who they could be and start loving them for who they are”と述べています。この文章が出てくる箇所は、組織の中で力を発揮していない人についての対応という文脈で書かれているのですが、これを自分自身に置き換えても同じことが言えるのではと感じました。私が「集中できない」「やる気がでない」と悩んでいたときにもっとも助けになったのは、「これではだめじゃないか」という批判や、「もっとやらなければ」という叱咤激励ではなくて、「今の自分にできるベストを尽くしている」ことを認めて受け入れることと、ジャッジメントではない好奇心だったはずなのです。ジャッジメントやフラストレーション、怒りはエネルギーを使うものですし、できない自分をさらにいじめていたのかと思うと、それでは長期的に持続する集中力もやる気もでなくて当然だったという気すらしてきます。

Lodroは記事の中で「自分に優しくすることと、怠けることは別」とも書いています。これは私も常に気になっていることですので、この箇所を読んで思わずニヤリとしてしまいました。「健康のためにヨガに行こう」と決めていても、つい暖かい布団から出たくなくて「自分に優しくしないとね」と言って2度寝する・・・という例が挙げられていますが、彼は「心の底では、自分に本当に優しくすることとは、心地よいと思うところから少しだけ自分を押し出すことと知っているはず」と諭しています。なぜ変わりたいと思ったのかという目的をクリアにすることも必要で、かつ、その変わろうとするプロセスの間、自分に優しい目を向けることを忘れないようにということでしょう。

If you are constantly at war with yourself, how do you think you can relate peacefully with other people?

人は成功するから幸せなのではなくて、幸せだから成功するとも言われています。どんな状況も受け入れ、認められる人が、目の前の問題を解決するクリエイティビティを発揮できるということなのでしょう。ビジネスでもプライベートでも「今年はXXを達成したい」という目標はそれなりにありますが、何よりも去年学んだことを生かして、まずはベストを尽くすこと、そして自分はベストを尽くしていると認め受け入れることを心がけたいと思います。

(image by Natasha Norton)

11/20(金)中村綾花さんとのチャリティ・トークイベントのお知らせ

NnDHkyxLTFe7d5UZv9Bk_louvre11/20(金)の19:00-21:30に、都内で婚活、結婚、国際結婚、海外生活などをテーマにしたチャリティ・イベントを行います。日本での婚活に行き詰って世界に飛び出した経緯を『世界婚活』にまとめ、NHKのドキュメンタリー番組「2DOORS婚活世界旅」にも出演された、ラブ・ジャーナリストの中村綾花 (cakesで「パリジャン十色」連載中!)と私の対談というフォーマットで、参加者の皆さんと作っていくイベントです。

・婚活中の方
・既婚の方
・離婚したけどまた結婚したい方
・結婚したいかどうかわからない方

そんな皆さんの疑問・質問・・・
例えば
・「ぴったり来る人がいなくて結婚できない」
・「相手に求めてよい条件はいくつまで?」
・「結婚しているけどハッピーじゃない」
・「いつまでも夫婦ラブラブでいたい」
・「家事、育児に追われて夫婦関係がやばい・・」
・「そもそもなんで結婚しなければいけないの?」

などなど・・・
参加者の皆さんからの「愛」と「結婚」についてのあらゆるQuestionに私たちがお答え(する試みを)します。

結婚を希望する人がチームとしてちゃんと機能する相手とパートナーシップを築き、そして子どもに恵まれれば協力して子育てをして、「結婚っていいものだな」と思う次世代を育てるにはどうしたらよいか、という視点から「結婚」や「婚活」を考えてみたいと思います。

また、それと同時に、広い世界において「結婚」が持つ意味についても考える機会になっています。イベントの収益は全額、国際NGOプラン・ジャパンの行う “Because I am a girl”キャンペーンに寄付させていただきます。

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世界には、自由意志で結婚ができない人たちが大勢いるのだという現実を知り、今の日本で、結婚を強制されない自由の素晴らしさに気づく機会になればという願いも込められています。

未婚・既婚・性別・年齢を問わず、どなたでもご参加いただけます。

詳細・お申込みはこちらのページをご覧ください。

Erinaさんへの手紙:Relationship(リレーションシップ)

Erinaさんとの文通シリーズ、今回のお題は “Relationship”。Erinaさんからはこちらのお手紙をいただいていました。長らくお待たせしてしまいましたが、お返事を書いてみます。

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えりなさん、こんにちは。

日本はもうすっかり秋の気配で、こちらでもハロウィンの準備をしています。そうそう、先日は福山雅治さんが結婚したというニュースで賑わっていました。独身を通すのか?とも思われていたそうで、ショックを受けている人も多く、インパクトとしてはジョージ・クルーニーが結婚を発表したときのような感じなのかな?と想像しています。

Relationshipについてのお手紙を読みました。えりなさんがおっしゃるように、友達が悩みや愚痴を話してくれた時、その状況や友達の気持ちについて“I can relate”と言えるのは、自分も同じような経験があるか、もしくは想像できるからですよね。人と人とのつながりを示す素敵な言葉だと思います。

lighthouse結婚生活を続けるうちに、もともと他人だった人と家族になっていく過程がありますが、その際、結婚というrelationshipにいる人たちは多かれ少なかれ変わっていきます。例えば今の私は15年前に夫と出会った当時と全く同じ人間ではありません。端的な例を挙げると、夫と出会うまでは結婚しても「どうしても子どもが欲しい」とは思っていませんでした。でも夫のほうに子育てを経験したいという希望があったので、ではまず一人産んでみて、そのあとはそのときに考える・・・ということにしました。結婚前の私に誰かが「10年後には3人の男の子のママだよ」なんて教えてくれていても、そんなことあるはずないじゃないと思っていたことでしょう。

結婚生活では大体において一緒に暮らすことになるので、様々なrelationshipの中でもお互いに与え合う影響の度合いも濃いものと言えるでしょう。でも、そうでなくても、人は人から常に影響を受けて生きている動物だという気がします。実際に友達や同僚、知り合いといった、現実世界でお互いに知っている人同士はもちろん、例えば本やブログなどである人の書いた言葉に影響されることもあるでしょう。それは音楽や写真といったさまざまな形での芸術作品なども同様かもしれません。私はハリー・ポッターのシリーズが大好きなのですが、あの世界で生きるキャラクターたちの行動や言葉の数々に心を動かされたことも一度や二度ではありません。間違いなく私は「ハリー・ポッター・シリーズ」と親密な関係を築いています(笑)

既にこの世にはいなくても、その人が語ったり書き残したりした言葉が今に生きる人々の指針になっているという話はいくらでもあるでしょう。「神」という抽象的な概念さえそうです。夫と知り合った当初、敬虔なクリスチャンである夫の弟くんが、夫に対して “What is your relationship with God?と言っているのを聞いて、当時はキリスト教に触れることも新鮮だったこともあり、神様と個人的な関係があるかのような言い方をするんだなぁと驚いたのを覚えています。

英語で “Touch someone’s life”という言い方があります。亡くなった人について “He touched so many lives in a positive way”と言えば、「彼は多くの人にポジティブな影響を与えた」という意味になります。見知らぬ人の思いがけない親切にとても嬉しくなったという経験をすると、“His kindness touched me”と言ったりします。先日も夫と話していたのですが、夫と私には新婚当初サンディエゴで暮らし始めたときにお世話になっていたLarryというカウンセラーがいました。何かあって二人だけでは解決できないとき、いつも “We need Larry”と言ってアポイントメントをとって、二人で相談しにいっていたのです。そして結婚10年ほどたったある日、再び「Larryと話したほうがいいかな」という状況になってコンタクトを試みたところ、そのときに彼が病気で亡くなっていたことを知りました。新婚1年目こそ何回かセッションで会っていたものの、そのあとはその時までまったく連絡をせず・・・またそのときにLarryと話したいという状況が起こらなければ、きっと彼が亡くなったことも知らないままサンディエゴを去っていたでしょう。Larryはきっと本人も知らない間に、とても多くの人の人生に影響を与えていたに違いないと思います。私が今の仕事をしているのも、Larryとの出会いがあったことが少なからず影響しているのですから。

完全に自立して誰にも頼らず、一人で生きているかのように思っている人だって、誰かしら・何かしらとはrelationshipを結んでいる・・・それが人間の本質なのかもしれません。No Man Is an Island. 人間関係で悩んでいたり、孤独感にさいなまれたりしている人には、是非この言葉を思い出してもらえたらな・・・と思います。最後の部分を書きながら降ってきた次回のキーワードは”Happiness”.えりなさんのお手紙をお待ちしています!

(image by Joshua Hibbert)

2000人の聴衆を前にスピーチをした日(World Domination Summit 2015)

19047671793_559f8e38cd_k2011年から4年にわたり、毎年夏に行われる世界征服サミット(World Domination Summit略してWDS)に参加してきました。何が起こるかもわからないままに参加した最初の年、「こんなイベントは今まで体験したことがない!」と衝撃を受け、イベント開催中にもう翌年の参加を決めたのでした。そして2年目は開催月が6月から7月になったこともあり、夏休みの家族旅行も兼ねてシアトルとポートランドを訪ねました。2年目の最初のスピーカーはDr.Brene Brownで、彼女の講演に深い感銘を受けたのを覚えています。過去5回の中でもこの年は講演者が秀逸だったのに加えて、閉幕の間際にWDSチームから1000人の参加者全員に100ドル札の入った封筒が手渡された回でもあり、今まででも一番印象に残っている年です。

058その翌年の2013年の夏はちょうど家族で日本に5週間滞在していたときだったので、日本から単身でポートランドまで往復し、数日間を過ごしました。講演者のひとりだったDarren Rowseの語った夢についての言葉が心に残り、WDSから帰る飛行機の中で「1年以内に一家で日本に移住する」と決意し、帰国の翌朝夫に話をしました。目標を定めて動いてきたことが翌年の6月に実を結び、その年の秋に日本への移住が実現しました。WDSに参加したことをきっかけに経験した、あるいは自分が選択したことのなかで、これは一番大きな出来事だったと言えるでしょう。

2014年のWDSでは「もう4回目になるし、今までと違う体験ができたら」との思いで、「アンバサダー」と呼ばれるボランティアスタッフとしての参加を希望し、舞台裏を体験することができました。また日本移住の2か月前だったこともあり、しばらくアメリカを離れる前にと再び家族でシアトルとポートランドを旅行し、親しい友人たちを訪ねる旅にもなりました。この年はまた、WDS本番の前に「ヨガの世界記録に挑戦する」という楽しいイベントもあって、子どもたちもその様子を見せることができたのはいい思い出です。001-1サミット参加の2か月後に日本に移住。2015年の参加を決めたのは年が明けた1月のことでした。今年はまた日本からの参加になるし、正直なところ参加をどうしようかなぁと思っていた部分もありましたが、今までの積み重ねから家族は「きっと行くんだろう」と思っていてくれたようです。そのサポートがあったことと、過去4年通う間に出会った友達にWDSで再会したいという気持ちがあり、今年1月のチケット販売の時に購入しました。

そしてあっという間にやってきた7月。例年どおり金曜日にポートランド入りし、その夜のオープニングパーティから始まって怒涛の週末を過ごし、月曜の午後にはまた日本行きのフライトに搭乗するという慌ただしいスケジュールでしたが、時差ぼけにもならずハイテンションのまま過ごした気がします。今年のハイライトはやはりサンディエゴのWDSグループの仲間に会い、楽しいひと時を過ごしたこと、そして日本のコミュニティのみんなと檀上にあがり、2000人の聴衆を前に英語でスピーチをしたことです。

11014668_969213646457377_1940160447429095605_n事の発端は5年間一緒にWDSに通った同志である堀さんのところに、数か月前にWDSチームから来た「日本のコミュニティに檀上で数分間プレゼンをしてほしい」というメールでした。それを聞いた時から「せっかく区切りとなる5年目の参加なのだから、可能なら何か新しいことをやりたい」と思い、参加予定の友人たちと色々と案を巡らせていました。紆余曲折を経て私がメインで話をすることになり、日本を出発する数日前にスピーチを書き、スライドを作ってWDSチームに送り、空港に向かう電車や飛行機の中でインデックスカードを手に一人でブツブツと練習をする旅になりました。現地入りした後に、日本のコミュニティの仲間と一緒に登壇し、彼らが見守る中で私が話すという形式で行うことに話が落ち着き、土曜の午後の長い昼休みの間に舞台リハーサルを実施(写真は榊さんがリハーサル中に撮ってくれていたものです)。その時にポートランド入りしてから思いついたことをスピーチに入れたりしたこともあって、また頭の中でイメージトレーニングをしながら落ち着かない土曜の夜を過ごし、本番の日曜の朝を迎えました。

WDSのキーワードのひとつに「コミュニティ」がありますが、それは私のスピーチのテーマでもありました。私が去年まで住んでいたサンディエゴには大勢のWDS参加者がいて、素晴らしいコミュニティが出来上がっています。私も2012年のWDSの後にその存在を知ってグループの集まりに顔を出すようになり、毎回のように顔を出す中心のメンバーとは家族ぐるみでつきあうくらい仲良くなっていました。彼らのおかげで、サンディエゴでの最後の数年はそれまで以上に豊かになったのです。DSC07007サンディエゴのグループの結びつきが強い理由のひとつは、コアのメンバーがとてもいい人たちであること。そして常に誰かがイベントを企画していて、気が向けばいつでも、夢を語り合ったり励ましあったりする仲間と会うことができる・・・そんな彼らと出会えたこと、それだけでもWDSには感謝の気持ちでいっぱいで、それをスピーチで伝えたかったのです。そして、私も新たな場所でそんなコミュニティを作りたいし、聴いてくれているみんなにもそれぞれの場所で輪を広げてほしいということも。

DSC06992今回のWDSのためにポートランド入りしたのは、去年の9月に日本に移住してほぼ10か月経ったときでした。多くの友人と再会を喜び合ううちに、私はアメリカ生活12年の間に「友達との挨拶でハグをする」ことがすっかり当たり前になっていたということ、そして、それを日本では気兼ねなくできないのを実は寂しく感じていたということに、ポートランドに来てから初めて気が付いたのです。日本で準備していたスピーチの冒頭に「私と同じく今年5回目の参加者である堀さんが毎年WDSに来る理由は、WDS恒例のBollywood Danceをするためだ」という箇所を写真とともに入れていたのですが、このハグについても、日本では自然にできないことがここでは可能になることのもうひとつの例ではないかなと感じました。そこで「日本人は挨拶でハグをする習慣がないんだけど、アメリカ生活が長かった私にとってはハグするのは自然なことだから、相手が日本人でもハグしたいと思っていたんだよね。日本だとなかなか自分の殻を破ってやりたいことをするのが難しいけど、それを変えたいと思っている」という趣旨のことを言って、スピーチの途中で一緒に檀上にいる仲間とハグをさせてもらうことにしました。

hugs土曜日のリハーサルでは立ち位置やスライドの確認などだけで、実際にスピーチを行うことはしなかったので、このハグの部分も含めて、当日はほぼぶっつけ本番の状態でした。そのためもあって途中で次のスライドへのクリックを忘れていたり、時間切れで準備していたことの全ては言えなかったりと、完璧とはほど遠い出来でした。それでも、一番言いたかったことは伝わったのではないかな?と思っています。また堀さんの提案で、スピーチの締めくくりも会場のみんなに隣りの人とハグをしよう!と呼びかけて、会場全体が和やかな雰囲気になったところで終了になりました。

スピーチが終わった直後は、とにかく檀上で転ぶこともなく無事に終わったことの安堵感でいっぱいでした。そして覚えているのは、自分たちの番が来て舞台に出ていくときに、緊張よりも嬉しいという気持ちのほうが大きくて自然にニコニコするのを止められなかったこと。2000人もの聴衆を前にスピーチすること自体、初めての経験でしたが、前日の土曜日に次々と登壇するスピーカーの講演を聴きながら、WDSの参加者はとても前のめりな感じで登壇者の呼びかけによく反応しているな~と感じていたので、たとえ失敗してもきっと大丈夫だろうという気持ちもありました。実際に話し始めたときに目に飛び込んできた人々の顔はみんな優しく、好奇心に満ち溢れた表情をしていて、それにも勇気をもらいました。19046048924_88ed3e4b04_k

私たちの番が終わり、しばらくして休憩時間になったときに会場を歩いていたら、多くの人が「とてもよかったよ~」と声をかけてくれました。そして会う人、会う人 みんなが“Let me give you a hug”と言ってハグをしてくれ、最後には “Oh, you are the hug lady!”と言う人までいたりして、今までの人生の中でも最も多くの人とハグをした日だったかもしれません。また、ある参加者からは「君のスピーチよかったよ。隣に座っていた男性はイスラム教徒だったんだけど、檀上でハグする君たちを見て”I want to hug my people too”と言っていたんだよ」と教えてくれた時は、何とも言えない嬉しい気持ちになりました。

スピーチの中で話したことのひとつには、家族への感謝の気持ちもありました。出発前に留守の間のことを夫にいろいろ引き継いでいるとき、「もう5回目だし、これで最後のWDSかな~」と言ったら、夫はそれに対して「それは素晴らしい」。私の両親のサポートもあるとはいえ、言葉もそれほどできない異国の地で留守を任されて「子どもたちが病気になったら」とか「万が一事故にあったら」という緊急事態について夫がいろいろ考えを巡らせていたのを知っていたので、まぁ当然の反応かなと受けとめました。

でも、夫は少し経ってからこう言ったのです。

You know, I am not sure if your not going to this kind of thing is the best decision for our family. After all, you are just trying to be the best person you can be. Self-exploration is necessary for that.

「君はなれる中で一番の自分になろうとして、こういうのに参加しに行くわけだから、それに行かないことが家族にとって最善とは必ずしも言えないと思うよ」。出発前夜の彼のこの言葉には本当にびっくりし、その気持ちを本当にありがたいなぁと感謝するとともに、私も彼がやりたいことはできるだけサポートしたいと改めて感じました。DSC07009スピーチの中でも、WDSに来る理由の一つとして、職場での役職や、「妻」や「母」など、各人が持ついろいろな役割に沿った言動をとることを求められるプレッシャーが比較的強い日本から少し離れることで、Who am I?” つまり自分は何者なのか、ということをゆっくり考えたり、あるいは思い出させてくれる機会のひとつであることも話しました。

そしてWDSのすべての講演プログラムが終了して閉会になったとき、WDSチームから来年の方針について、2年目と同等の1000人規模に縮小するという発表がありました。すでにそのうち半分のチケットはWDS開催期間中に完売しており、残りは500枚。それを聞いた時、やはり今年が最後だったなと確信しました。幸運にも過去5回参加することができたので、まだ行ったことがない人に席を譲りたいという気持ちもありますし、これまでの経験でWDSのコミュニティとも強いつながりができたことと、ここ数年はメインステージでの講演はサミット終了後しばらくしてから動画が発表されているので、ポートランドに行かなくても『WDS的なもの』に物理的にも心理的にもいつでもアクセスができるということもありました。

堀さんもブログにこんなことを書いていますし、この経験から次に何を生み出していけるかを一緒に模索していきたいものです。また、2016年はWDSに行かない代わりに、自分の専門分野における見聞をさらに深めるための会議やワークショップなどに参加できればと思っています。例年どおりクロージングパーティでは踊り倒し、それも終わってしまった後には、親しい友達たちに「来年は戻ってこないけど、またどこかで会おう」と再会を期し別れを告げました。今までのサミットの思い出が交錯して、またもう当分は会わないかもしれない人々の顔が浮かんだりして、bitter sweetな幕切れでもありましたが、何か「やり切った」というような清々しい気持ちもありました。やはり最後は「ありがとう」という言葉で締めくくりたいと思います。
Thank you & until we meet again!19653483776_1420bf6789_k (images: Armosa Studios)

Erinaさんへの手紙:Trust

Erinaさんとの文通シリーズ第6回のテーマは”Trust”でした。えりなさんからのお手紙はこちらです。
さっそくお返事を書いてみます。

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えりなさん、

日本はもう8月も半ばになろうとしています。子どもたちの夏休みもあっという間に残り2週間ちょっと。アメリカと比べるとやはり短いですね!

さて、Trustがテーマのお手紙を読みました。アラジンの映画のセリフはよい例ですね。あの場面、初めてこの映画を見た時には、「彼女にはアラジンを信頼するに足る理由があるのだろうか?」と感じたりもしましたが、それまでの短いふたりのやりとりをベースに「自分を信頼してくれ」というアラジンのリクエストに答えたジャスミン姫。意志を持った選択とはその通りだと思います。

サンディエゴで通っていた瞑想のクラスで、インストラクターの男性が “Trust means the ability to predict other’s behavior”ということを言っていました。『信頼する』とは、相手の行動を予測できるということ。このような定義を聞いたのは初めてで、とても印象に残っています。

photo-1431578500526-4d9613015464相手の行動を予測するためには、やはりその人について何かしら知っていなければなりません。その人のことを全く知らなければ、どんな場面でどんな行動をとるのか?という予測もたてられませんから。

結婚しても大丈夫な相手かどうかを見極めるために「多角的に相手を見る努力をすること」が必要だというのは、未来にわたって相手の行動を予測できるようになるための情報収集という意味合いもあるのです。

もちろん、円満な結婚生活を長く続けるにあたって、mutual trust(お互いへの信頼)は大事な要素のひとつでしょう。

例えば、

・パートナーが基本的には「いい人である」という信頼

・相手が浮気をしないという信頼

・簡単に離婚を口にしないという信頼

などなど。

また、結婚生活を続けていくうちにはどうしてもぶつかり合うこともあるのがふつうですが、そのときに大事なことは「相手は自分を陥れようとわざと意地悪をしているのではない」と信じること。

これは、子どもとバトルになったときもそうなのですが、腹が立っているときほど「自分を苦しめようとしての言動に違いない」と、パーソナルにとらえてしまうのが人間ですよね。

でも、深呼吸をする、時間を置くなど、ちょっと落ち着いてからよく考えてみれば、「この人はわざと私を傷つけることはしないはずだ」という、もともとあったはずの信頼感を取り戻すことができます。一見、自分への攻撃にも思える相手の言動も、相手は自分の言動が周囲にどういうインパクトを与えているのかに無頓着であるか、もしくは、わかっていてもそうせざるを得ない何らかの理由があるはずだ、と解釈する余裕が生まれます。

“Hurt people hurt people”というフレーズがあります。これは「傷ついている人は周囲の人を傷つける」という意味ですが、考えようによっては「相手は常にベストを尽くしている」という信頼を表したものとも言えるのかな?と思います。

例えば職場などでいつも人に意地悪をしたり、わざと気に障るような言動をとる人がいたとしても、その人には何かがあってそういう行動を選択していると思えば、「何が彼(彼女)をそうさせるのか」に興味がわいてくるかもしれません。

仮に、信じていたパートナーに浮気されるなどのことがあったときに、「信頼を裏切られた」という言い方をするのですが、より正確に言うならば

「あらゆる状況で相手の行動を予測できるくらい知っていると思っていたけど、そういう行動をとれる人だとは認識していなかった」

ということになるのでしょうか。

さらに言うと、浮気をされたことの怒りや悲しみという、当然起こるであろう感情の波が去ったあとに「あの人がこんな行動をとるなんて、何かよほどの理由があったに違いない」というところまで思い至るとしたら、それ自体が、「自分に都合の悪いことはしないよね」という表面的なところを超えた、より深い信頼を示すものと言えるのではないかな、とも感じます。

その認識をもとに、どういう選択をするかは人それぞれですが、浮気という出来事があった後に別れる夫婦と、真の意味でパートナーとして再生する夫婦の違いは、もしかするとこんなところにもあるのかもしれません。

このテーマ、もっと深めていきたいような気がしますが、いったん筆をおきます。えりなさん、次回のキーワードは “relationship”でいきましょう!お手紙お待ちしています。

Erinaさんへの手紙:コミュニケーション(Communication)

Erinaさんとの文通シリーズ第5回目。テーマはコミュニケーション(communication)です。Erinaさんはこちらのお手紙で、夫婦の間のコミュニケーションについて書いてくれました。早速お返事を書いてみます。

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えりなさん、

コミュニケーションをテーマにしたお手紙を読みました。

photo-1415200358018-bb07fced3660えりなさんのお母様の「あなたたち夫婦は、本当になんでもよく話し合うのね。」というコメント、私も同じように言われたことがあり、とても共感できました。私たち夫婦も会話の量はかなり多いほうかな?と感じています。コンピュータのエンジニアでもある夫は決してぺらぺらと口が立つわけではないのですが、気に入った話題や自分にこだわりがある事項になるとすごく情熱的に会話にも身が入るのです。これは皆さんそうなのかもしれませんが、お互いの意見が違う物事に対してはいっそうそうなりますね(笑)ちょっとした喧嘩から端を発した議論が深遠な話題にまで発展して、ずっとしゃべっていたら深夜になってしまったということもたまにあります。

私はこの4月から6月、国際結婚を目指して婚活をしている日本人女性を対象にしたグループ・コーチング・プログラムを行ったのですが、その中でもコミュニケーションは非常に大切なキーワードでした。プログラムの鍵となるトピックのひとつは「自分を知る」こと。就職活動でも婚活でもそうですが、自分についてどれだけ知っているか?というのは、ことの成否を分ける大きな要因だと思うのです。

そして、自分を知るために必要なのはやっぱり自分との対話。相手のいる対話と違って、自分との対話はともすると無意識的になりがちなのですが、恋愛・結婚ということであてはめてみると、例えば

・相手が自分に対してとった行動の中で嬉しかったこと・悲しかったこと

・自分の恋愛のパターン

・自分の気分の浮き沈み

などを記録し、分析することによって、自分のことが見えてくると思います。

また、異性に対する思い込みや、結婚観など、恋愛を成功させるためにわかっておきたいことも、自分に対する問いかけをして考えることから始まります。

自分を知るのは時にめんどくさかったり、しんどかったりする作業であることも確かです。誰でも「こうありたい」という理想の自分がいるのに対して、現実の自分は(自分の目から見た)欠点もあればいけてない部分もありますし、また思い出すのがつらい過去の出来事もあるでしょう。

でも自分とのコミュニケーションをせずに無意識に日々を過ごしていると、あっという間に時間がたってしまって、達成したいと漠然と思っていたことに近づいていないということにもなってしまいます。私ももちろん、ダラダラと時間を過ごしてしまって気がついたらあまり前に進んでいなかったという経験があります!

ただ、過去の成功体験や、物事がスムーズにいったときのことを考えてみると、自分のことが客観的に見えていて、やりたいことがはっきりしていたという共通点があるように思うのです。また思うように物事が運ばなかったときも、それはそれで学びの機会になります。そう考えると、人生で出会う出来事のすべてが自分との対話のチャンスになり得るのですよね。

例えば、次回だんなさんや身近な人と喧嘩になったとき、「なぜそうなったのか?」「自分はどうしたかったのか?」ということを問いかけてみることで、自分についてより深く理解できるきっかけになるかもしれません。

以前、「私、女性誌のキラキラ感を笑う気になれません、という話」という記事で、こんなことが書いてありました。

「夜寝る前に、3つのことを紙に書き出してみる。1つ目はその日の反省。2つ目はその日にあったうれしかったこと。3つ目は翌日の目標。この順番で書くのがポイントらしい。」自律神経を整える簡単な方法として紹介されていましたが、これはシンプルな手順ながら、自分と対話するとてもよい方法なのではないかな?と思います。

自分との対話を通じて、自分がハッピーだと感じるために何ができるのか?と常に考えていると、自分のセンサーの感度もあがってくるような気がします。意識的に毎日を過ごすことはどんな状況でもできることなので、是非トライしてみてください。

えりなさん、次回のキーワードはTrustでいかがでしょうか? またお手紙お待ちしています!

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