教員のストライキで1週間以上学校が閉鎖

全米で3番目に大きい教育区を持つシカゴで、公立学校教師労働組合が組織をしたストライキが行われ、学校がその間閉鎖するという出来事がありました。ストライキのそもそもの発端は教員の評価方法をめぐってとのことですが、労働条件についても交渉が行われ、9月10日から始まったストが一週間以上経過した火曜になって終了。今日からまた学校が再開し、それまで学校に行けなかった35万人もの児童・生徒が通学を再開したとのことです。

このニュースを聞いてまず思ったことは、いきなり学校が(しかも一週間以上も)閉鎖になるなんて、共働きの家庭にとってはとても困った事態だっただろう・・・ということです。「家で仕事をしている」という母親のインタビューを見ましたが、二人の子どもたちに午前中は家で勉強をさせ、午後は自由時間、夕方にサッカーの練習に連れて行くという一週間を過ごしたとか。計画外の「ホームスクール」状態になったようでした。でもフレキシブルな勤務形態をとる保護者がいる家庭はまだましで、両親ともより伝統的な勤務形態の会社で働いている場合、交代で有給休暇をとったりベビーシッターを雇ったりしてなんとかやりくりをせざるを得ないという家庭もたくさんあったに違いありません。ともかく学校が再開してよかった・・とほっとしている人が多いでしょう。

今朝CNNを見ていたら、教員の評価を子どもたちの達成度の結果と連動させるという案を支持するStudent Firstという団体のミシェル・リー代表がこう言っていました。「シカゴの子どもたちの中には、貧困区に住んでいて家に電気がなかったり、朝食も満足に食べられないまま学校に来ている子達が大勢います。でも家庭環境がどうであれ、学校に来ればそこで勉強することを求められる。そしてその結果成績が思わしくなければ落第するし、卒業できないということになる。つまり子どもたちにもaccountability(説明責任)を求めているのです。教員は教えることで給料をもらうプロです。困難な状況にある子どもたちにも勉強して結果を出すことを要求しているのに、大人である教員に、その仕事で結果を出すaccountabilityを求めないなんておかしいでしょう」。私も以前サンディエゴの日本語補習授業校で働いていたことがあるので、教員の評価については理事会のいちメンバーとして頭を悩ませた覚えがあります。こちらの記事によると、交渉の結果、標準テストで測られる子どもたちの達成度は評価の基準として残るものの、その割合は当初提示されていた45%から30%以下に抑えられるということになり、教員の要望がある程度認められた形になったようです。

カリフォルニア州でも今年、我が家の4歳の次男がこの秋から小学校に行けるのかどうか、州予算の関係でぎりぎりまでわからずやきもきさせられ、アメリカと日本の違いにとても驚いた経緯があります。結果的にはトランジション・キンダー・プログラムが当初の予定通り敢行されることになったのですが、来年度自分の仕事があるのかないのかわからない教員にしてみたら、教える仕事に集中できないとしても無理はない・・という気がしました。ハワイに来てみたら「12月31日までに5歳になる子どもはキンダーに行けます」ということで、次男はめでたく小学校入学を果たしましたが、そのハワイでも数年前に「週休3日制」になるということがあり、次世代の教育が政策の優先順位でどこに位置しているのか?と思わず問いたくなるような状況です。医療の分野に限らず、お金があれば最高のサービスが受けられるけれど、そうでない人にとっては一定の基準も保証されない可能性のあるアメリカ。教育においても「自助努力」や「自己責任」が強調される理由のひとつでもあるのかもしれません。

ホームスクールでも部活がしたい!

アメリカでは子どもを学校に送らずに親が子どもの教育の責任を担うというホームスクールを行う家庭の数が年々増えており、2007年には150万人ほどがホームスクールで教育を受けているという数字も出ています。そのためのサポート体制もますます整っている状況の中、今度は「ホームスクールで教育を受ける子どもたちに、近所の公立学校のスポーツのチームに参加する権利を与えよう」という動きが出てきました。アメリカで最も人気があるプロスポーツ、アメリカン・フットボールの選手にTim Tebowという人がいますが、彼もホームスクールで教育を受けて育ち、高校生になってから公立高校のチームに入った結果プロになったという経緯があります。このため、彼の出身であるフロリダ州以外にも28の州で「ホームスクールで育った子どもも公立高校のスポーツ・チームに参加できる」という趣旨の、”Tebow法”とニックネームがついた法律が成立し、さらに12の州でも検討されているそうです。

でも、この動きに批判的な人々もいます。例えば公立高校のスポーツ・チームには”Academic Eligibility”なるものがあり、一定の成績を維持しなければ部活に参加できないことになっています。普段は学校で勉強していないホームスクールの子どもたちにも部活に参加する権利を与えるとなると、ホームスクールの子どもたちに同様の基準を求めることが難しいため、極端なケースでは「学校を辞めても部活に参加できるなら」と考える人が増えるのではないか、という危惧があります。

また、さらに興味深いのは、ホームスクールを行っている親たちからも反対の声があることです。公立学校の「すべての側面」を拒否することでホームスクールのアイデンティティを保ってきたと考える人々にとっては、この動きは今まで積み重ねてきた流れに逆行するものと映るようです。ホームスクールのパイオニア世代の人々は、この選択肢が全く理解を得られていなかった時代から多くの困難を乗り越えて現在の環境を作ってきたため、ここで、都合のよいときだけ公立学校の活動に参加する「いいとこ取り」をしてしまって、学校という伝統的な教育形態と、ホームスクールの境界線をあいまいにしてしまうと、再び政府からの不必要な規制を招くだけではないかと恐れています。ある父親は「バージニア州にはホームスクールの子どもたちだけで成り立つスポーツのチームがいくつもある」と言って、この”Tebow法”に反対しています。

この”Tebow法”を支持する親の多くは子どもをプロ選手にしたいとは考えておらず、友達を作ったり人間形成をするためにスポーツをさせたいと言う人が大半のようです。ただ、高校の部活に参加することは、大学のスポーツ奨学金の考慮の対象になることも意味します。年々高騰している大学の学費の負担を少しでも軽減するため、この「うまくすれば奨学金が狙えるかもしれない」ことの魅力は大きなものがあるでしょう。また「ホームスクールをしていても、税金を納めているのだから、公立学校のリソースにアクセスすることは公平なことだ」と主張する人もいます。前述のバージニア州では下院では通ったこの法案が上院の委員会で一票の差により否決されており、どちらにしてもホームスクール・コミュニティでは引き続き注目される話題となっているとのこと。ホームスクールの存在意義が曖昧になるきっかけになるのかどうか、興味深くフォローしていきたいと思います。

“Learn his language”

先日の記事「英語がわからないクラスメート」で、キンダーに通う次男のクラスのお子さんについて書きました。学校に次男を迎えに行ったあと「今日はどうだった?」と聞いて、いろいろ話していたところ、「今日もその子はランチの時間にまたタイムアウトの机に座らされていた」。タイムアウトとは、アメリカの育児ではよく聞く言葉で、親や先生の指示に従わない子どもに対してとるもの。具体的には、決まった場所(椅子など)に一定時間座っていなければならないなど、要はそこで行われているアクティビティから一旦外れなければならないというニュアンスがあります。

英語がわからないというチャレンジを抱えるそのお子さんがどうしているのか、気になっていたのですが、やはり・・・という次男の言葉。ELL(English Language Learners)のクラスに行って英語の強化の授業を受けているとはいえ、やはり年齢が低いとなかなか難しいこともあるようです。そこで次男に「その子を助けてあげるにはどうしたらいいと思う?」と聞いて見ました。すると、間髪いれずに返ってきた言葉は“Learn his language”. 次男は続けて「でも何の言葉かわからないんだけどね、英語じゃないし、日本語じゃないし・・・」と言っていましたが、その子の言葉が何なのかわかりさえすれば、その言葉を勉強することで、もっとサポートできるのに・・・という思いでいるらしいことにちょっとした感動を覚えました。

大人同士、言葉が通じる同士でも、コミュニケーションとは難しいものです。同じ言葉を話していると思っても、実のところは理解しあえていないこともあるでしょう。時には「あの人とは話にならない」とコミュニケーション自体をあきらめてしまうことも。それですむ人間関係ならいいのでしょうが、中にはそれで終わらせたくない大切な家族や友人もいます。そんなとき、その関係の未来を決めていくのは「相手の言葉(=意図や考え方)を学びたい」、つまり相手について学び続けたいという気持ちを持ち続けられるかどうか?という点につきるのかなという気がします。国際結婚のカップルにおいても、語学力自体はそこまで高くない者同士でも意思疎通をあきらめない二人は、試行錯誤しつつ、時間とともにうまくやっていくコツを発見していくでしょう。またパートナーシップや親子の間においては、相手のLove Languageを学ぶことは、関係を親密にすることにとても役立ちます。何をしたら「愛されている」と感じられるのか?というのは、人によって違うからです。パートナーや家族の間で、言葉がうまく通じないように感じられるとき、相手のLove languageは何なのかを意識して、必要があればそれを学ぶことも、ひとつの方法なのではないでしょうか。

ベビーカー論争で・・・

今、インターネットでは日本で起こっている「ベビーカー論争」に関する記事やコメントをよく見かけます。サンディエゴで子どもたちを生み育てている私にとっては「満員電車に子連れで乗車する」というのは遠い世界の話。サンディエゴでは主に移動手段は車ですから、子連れでトロリーに乗るのは年に1度のコミック・コンベンションの時くらいのものだったのです。

でも、ハワイに来て車を使わない生活をしようと決めてから、毎日の学校への送り迎えは歩き、そして放課後の日本語教室への送迎に路線バスを使うようになり、ハワイに着いた翌日からバスに乗っています(9月になり月間パスまで買い、少し地元の人になったような気分です)。最初の3日間は、アメリカ式の新生児用チャイルドシート(かごのようになっているもの)+カーシートを載せるバギーを使っていましたが、そもそもかなり混んでいるバスに乗る時にそれを「たたまない」という発想が私にはなかったため、赤ちゃん入りのかごとバギーをそれぞれの手に持ち、さらにリュックを背負って・・という大荷物でした。またパスを購入する前まではドル札に加えてお釣りのないようコインを用意するという手間もあり、さすがにそれでは面倒すぎると悟り、午後のバス用にチャイルドシートを使わないバギーを中古で購入。それからは抱っこ紐で赤ちゃんを身にくっつけて、たたんだバギーを持ってバスに乗ることを実践してきました。

2人の小学生と赤ちゃんを連れてバスに乗るようになってから感じたこととしては、まず「子育てはときに泥臭いものである」ということ。これはサンディエゴで車ばかり使っていたときには滅多に感じなかったことです。暑い中を歩いてバス停にたどりつき、バス停で悪ふざけをする男の子ふたりに注意しつつ、やっと来たバスに乗車。赤ちゃんを抱っこしながら、バギーと荷物を抱えながら、それぞれ学校のリュックを持たせた子どもたちを監督して「早く進みなさい」「ほらそこ座って・・」・・・ということで、やっと席についたときには汗をふきふき「ふぅ・・・今日もこれで次に間に合う」とほっとする瞬間、はっとわれに返るのです。正直に言って、ハワイにある程度の期間住むのであれば、十中八九、これは選択しなかった道だったでしょう。期限が決まっていれば(そしてレンタカー代何十万をセーブするためであれば)、たいていのことは「いい経験」になるものです。

もう一点は、バスの乗客はたいていの場合とても親切であるということです。先日、ある夫婦が1歳の赤ちゃんを連れてバスに乗ってきました。お母さんはバギーをたたんで持ち、お父さんが赤ちゃんを抱っこして私と隣り合わせに座りました。私が赤ちゃんを含め3人を連れているのを見たそのお父さんは、“Wow, how do you do with three by yourself?”と聞いてきました。 ちょっと考えて私は“You know, most people are so kind. I almost always get a seat”と応えました。本当に、抱っこ紐の赤ちゃんとバギーを見たとたん、席を立とうとする人が少なくない数でいるのです。シニアの方に席を譲られたことも1度や2度ではありませんし、席は立たないまでもバギーを支えてくれた人も。先日は大学生と思われるグループが子どもたちに席を譲り、バギーを支えてくれただけでなく、降りるところまで一緒にやってくれました。最初のうちは席を譲ってもらうことが申し訳ない気がしましたが、揺れるバスで一番安全なのは座っていることというのも事実。また、たたんでいるとはいえ、バギーが場所をとるので立ったままでいるとかえって邪魔ということもあり、頭を切り替えて、気持ちをこめて感謝の言葉を述べてからありがたく座らせてもらうことにしました。

中には車椅子の人が乗ってくることもあります。そんなときには、バスの中で指定の位置に固定する作業があるため数分かかることになります。先日は特に混んだバスで、運転手が乗客に奥に進むように指示。“Be kind”と言う言葉を何度か繰り返していました。車椅子の人が乗ってきて、バスの中で切り替えして向きを変え、指定の位置に固定される様子を、子どもたちもじっと眺めていました。公共交通機関を利用すると、健常者ばかりではなくいろいろな人がいるという社会の当たり前の一面を見せられるのもプラスだと言えるでしょう。中には迷惑に思っている人もいるかもしれませんが、それは仕方のないこと。それぞれに与えられた選択肢の中で最善と思われる道をとるしかありませんし、ほとんどの人は子どもたちに対して優しい目を向けてくれます。バスに乗るたびに“It takes a village to raise a child”という言葉が浮かぶのでした。

期間限定のハワイ滞在

夫の仕事の都合で、期間限定でハワイに住むことになりました。夫が先に出発して3週間ほど「ひとり親」になり、その間に引越し準備をし、子どもたちを連れてホノルルに来てから2週間ほどになります。

ホノルルに来た翌日から子どもたちは学校に行き始めました。アメリカの小学校は、日本の小学一年生にあたる1st gradeの前にキンダーという学年があり、ハワイの公立小学校の多くは「2012年12月末までに5歳になる子どもはキンダーに入学可能」ということで、次男は4歳にして晴れて小学校に入学。実は、夫がハワイに行くことになった当初は、子どもたちの学校のこともあるし、夫だけ単身赴任という形で私と子どもたちはサンディエゴに残ろうかと考えたこともありました。何しろ「期間限定」なので、やっとハワイに慣れたと思ったら、またサンディエゴで初めて通うことになる学校で友達作りをやりなおさなければならないからです。長男にしても、ハワイに行ってしまうと、サンディエゴに戻ってきたときに去年通っていた学校に戻れるかどうかは保証の限りではありません。

私の先生、Susie Waltonに相談したところ、あなたにとって何が一番大事なのかを自問してみたら、と言われました。子どもたちに安定した教育環境を与えること(つまり環境の変化や、転校という経験をさせないようにすること)が一番大事なのか、それとも家族が一緒にいることが大事なのか。心を落ち着けて自問してみたら、答えは明確でした。また4人の男の子を育てた彼女は「私自身が子どもたちを育てていたときは、新しい環境に移るたびに、これは新しい”adventure”だよ、って子どもたちに言って、みんなで楽しむように頑張ろうと心がけた。親自身が新しい場所に対してワクワクしていれば、子どもは大丈夫なもの」とも言っていました。

登校日初日、次男は明らかに「ここにいたくない」ということを全身で表現していました。私も後ろ髪をひかれる思いで教室をあとにしたのですが、翌日には笑顔で登校し始め、数日前には「今日いちばんよかったことは、学校に行ったこと」と言うまでになりました。次男は人なつこい甘え上手な性格なので、最初のハードルさえ乗り切ってしまえば大丈夫だろうと思っていましたが、そのとおりになりました。大人でも子どもでも、環境の変化を経験し、適応していくなかで、一回りたくましくなるのは同じこと。こちらに来て二人の様子を見て、数ヵ月後にサンディエゴに帰っても大丈夫だろうと思えるようになりました。「案ずるより産むが易し」ですね。この貴重な贈り物のような時間を、家族でめいっぱい楽しもうと思っています。

生後4週間が経ちました

2月22日に三男を出産してから早くも4週間が経ちました。過去一ヶ月を振り返ってみると、生後7日目から右の頬と耳の周辺あたりにこぶのようなものが出来始め、10日目に新生児ICUに緊急入院。MRSA感染とわかってからは抗生物質での治療が始まり、10日間を病院で過ごしました。退院後も経口抗生物質の投与を続けていましたが、今日無事に「現時点では完治」という医師のお墨付きをもらいました。退院してから約10日間で改めて「赤ちゃんのいる生活」のリズムがようやくつかめてきました。

生まれる前までは「3人目だから」と気持ちに何となく余裕があったものの、予想外の入院騒動にやはり緊迫し、心身ともに消耗しました。特に入院後4日目、5日目あたりが一番きつかったように思います。5日目には「抗生物質の投与が長引きそう」ということで、PICCライン(日本語では末梢挿入中心動脈カテーテル)を入れたのですが、右足首から入れていたこのPICCラインの管が左足にからまり、それがとれてしまうという事態が発生。そのときに病室にいたのは私だけで、すぐに助けを呼んだのですが、看護婦は部屋に入って事態を知るや私の顔を見て大きなため息。また赤ちゃんに痛い思いをさせて入れなおさなければならないということと、看護婦の責めるような表情や口調に、それまでの疲れや不安な気持ちが一気に爆発して、気がついたら涙が頬を伝っていました。看護婦はあわてて「あなたのせいじゃないわ」ととりなすような口調になりましたが、時すでに遅し。PICCラインのチームが来るので部屋を出るように言われたのでこれ幸いと病棟を飛び出し、昼食に行っていた夫を見つけて何が起こったのか泣きながら話しました。新しいPICCラインを入れるまでは病室に戻れなかったので、その間外を歩き回ったり、休憩室で横になったりして何とか気分を落ち着かせること数時間。結局、その日の夜に新生児ICUを出ることになり、後半の入院生活は快方に向かうのを待つ日々となりました。

MRSA感染というと、日本の友人からは「院内感染なのか」とよく聞かれました。確かに昔は院内感染するものであったそうなのですが、今ではアメリカ人口の30%はこのバクテリアの保持者といわれ、皮膚などに普通にいるもので、健常者には特に害は及ぼさないため、どんな経路で感染したのか特定するのは不可能に近い状況です。また、三男の頬や耳のあたりに、cystといわれる液体のたまった袋上のものがあり、それが感染を容易にしたという可能性もあるため、数週間後に再度MRIを行う予定になっています。いずれにしても現時点ではひとまず終息して安心していると同時に、あのタイミングで医者に診せに行き、適切な治療をすぐに受けられたことは本当によかった・・・という思いでいっぱいです。無事に退院して家に帰ることができたことも。そしてせっかく授かったこの小さくて(一見)頼りない命を、大切に育てていかなければという気持ちを新たにさせてくれた経験でした。

2012年が始まりました

早いもので新年最初の一週間が過ぎました。今年は数週間後に出産を控えているため、「今年の目標」と言われればまず「無事出産すること」が思い浮かびますが、同時に「毎日を意識的に過ごす」ことを心がけたいと思っています。「多くのことを成し遂げる」というよりは、いかに毎日、毎時間、毎分、あるいは毎秒を「今これをやっている」あるいは「こういう気分である」ということに注意を払って過ごせるか。つまり、”Be Present”ということですね。頭では理解していても、実践するのは難しいコンセプトですが、妊娠、出産、新生児のお世話という、ある意味自分ではコントロールできない要素が多い出来事を体験するチャンスを与えられているので、”Doing”が制限されることやその不自由さにイライラするよりも、”Being”により重きを置いた時間にしてきたいと思っています。

そんなことを考えていたら、ちょうど一年前に実際に初めてお会いする機会のあった堀正岳さんのブログ記事「人生3万日だと思ってはいけない」に遭遇しました。義理のお姉さまを亡くされるという突然の不幸に、改めて“There is only today” ということを思い知らされた・・・という内容でした。こうした突然の出来事を前にして、私たちにできることは、やはり今を大切に生きることです。言葉にすると本当に陳腐でありきたりですが、今の状況は永遠に持続しないということを忘れずにいること、あるいは毎日自らにリマインドし続けて意識的な生活をすること。たとえその時選ぶ行為が「横になって休む」だったり、「テレビドラマを見てリラックスする」ことだとしても、そういう目的をもっていると自覚しながら行うこと。長期的な計画や目標を立てるなということではなく、それを念頭におきつつ「その実現のために今何ができるか?」と、常に「今」に置き換えてみること。その上で「今」を心地よく過ごせているかどうか、過ごせていないとしたらどうすれば変えられるのか。状況をその時点では容易に変えられないのだったら「心地よくない」と感じる気持ちを変えられないか。そんなことを心がける年になりそうです。

キンダー入学を1年遅らせることの意味

アメリカの義務教育は、日本でいう小学1年生の前の「キンダー」という1年間から始まります。このキンダー入学を、子どもの誕生月によっては1年遅らせるという選択をすることができます。例えば、私の次男は11月末生まれなので、来年9月からキンダー入学もできますし、もう1年遅らせることも可能です(このあたりのカットオフの日は住んでいる地区すなわち管轄の教育委員会によって違うこともあります)。まだ1年先の話ですが、最近このことについて考え始めました。

私のもうひとつのブログ「成功する国際結婚の秘訣!「国際結婚一年生」著者:塚越悦子公式ブログ」では何度かこの件について書いています。「キンダー入学を遅らせる理由」「アイスホッケー選手に1月生まれが多い理由」などの記事でも紹介していますが、キンダー入学を遅らせようと考える親には、もちろんそれなりの理由があります。特に、能力がありそうと見るや、より深い学びができる環境を与えようとするアメリカのようなところでは、入学した時点でクラスメートたちの中で一番年が上であることは、一見、子どもに有利な状況を与えているかのように思えます。実際スポーツの世界ではこれは大いにあてはまる仮定なのでしょう。

つい先日、友人がFacebookで紹介していたこちらの記事を読んでみたら、この「遅らせることの利点」に反論する意見が書かれていました。“Delay Kindergarten at Your Child’s Peril”と題されたこの記事では、1年遅らせることが必ずしもよい結果をもたらさないということが述べられています。ほかの子どもよりも少し年上なためにあるように見えるアドバンテージは、小学校が終わるころにはなくなっていき、高校ではこれらの子どもたちは「モチベーションも低く、成績もよくない」傾向にあるのだとか。この傾向について記事の中では詳細に説明されていませんが、想像すると「小学校低学年のうちに、努力しなくてもほかの子より成績がよく、あるいはなんとかなってしまうという状況を経験してきたために、勉強の仕方を知らない(習慣がついていない)」などの理由になるのでしょうか。

1年入学を遅らせた子どもたちが世に出るころには、特に成績の面でも収入の面でも優位ということはなく、しかも社会に出るのが1年遅れるために、生涯に働ける年数(および収入)も1年分少なくなるとも指摘されています。つまり、スポーツの世界に見られるような「1年遅らせることの優位点」が、学業という世界ではそれほど見出せない、と結論付けられています。

また後半部分では年上の子どもがいるグループにいる(入学を遅らせない)ことのよい点として、「より成熟度が高い子どもと一緒にいることで、特に男の子は精神的にも成長できる」とも指摘されています。例えば、3歳から5歳の子どもで上に兄弟がいたら(かつ下に兄弟がいなければ)、兄弟ひとりにつき、半年程度の成長の促進が起こる傾向があるのだとか。我が家の子どもたちを見ていても、確かに次男は長男が日本語の宿題(ひらがなの読み書き)をしていると、横で一緒にやりたがり、まだひらがなをすべて認識していないながらも、鉛筆を持って一緒に文字を書こうとしています。モンテソーリ式の教育でも複数の学年にまたがった学びの状況を与えており、「XX歳だから~をしないと」というのは必ずしもあてはまらないという考え方をとっています。こちらの記事では「学びというのは社会的な状況で起こるもの。自分の現在の能力を少しだけ超えたチャレンジのある状況で、人は一番学べる。自分がクラスで一番物知りという状況があった場合、得をするのは本人ではなくクラスメートである」と結ばれています。カレンダーどおりに次男を来年キンダーに入学させるべきかどうか、少しまた考える材料ができました。

日本語はいきのびるか

先日の記事でご紹介した「日本語が亡びるとき」の最終章で、著者の水村美苗は、学校教育で目指すべきところは「国民全員がバイリンガルになること」ではなく「国民の一部がバイリンガルになること」であると主張しています。「国民総バイリンガル社会」を追い求めることにより日本の言語状況はより悪くなるだけで、いいことはひとつもない、なぜなら、目指すべきなのは国民全員が「外国人に道を訊かれて英語で答えられる」程度の英語力があることではなく、「世界に向かって、一人の日本人として、英語で意味のある発言ができる人材」だから・・・と言うことです。

著者はさらに「教育とは最終的には時間とエネルギーの配分でしかない」「英語教育に時間とエネルギーをかければかけるほど、何かをおろそかにせねばならない」と主張し、国民全員が「英語が話せなければ」という強迫観念をもつことにより、日本語教育がおろそかになる(既になっている)という現状について危機感を募らせています。

アメリカ人の夫と国際結婚をし、現在のところアメリカで二人の息子に日本語と英語のバイリンガル教育を試みる立場の私にとって、この「英語か日本語か」という問題は、日本在住の日本人が考えるのとはまた異なる重みがあります。また、帰国子女でなく20代前半から本格的に英語を話し始めた私は「英語は決してやさしくはないけれども、大人になってからでも学ぶことできる言語」という認識をもっています。英語との比較において、やはり日本語は完璧にマスターするのはとても難しい言語ですし、敬語を含めた日本語が使いこなせることは日本文化を理解していることでもあります。この本と同時並行的に「日本語は生き延びるか」という本も読みましたが、やはり「日本人であることに自信がない人は外国語できちんと自己主張ができない」そして「語るべき内容がない人は日本語でもまともな話ができない」という一節が心に残りました。

現時点では子どもたちの母国語は英語になりつつあります。国際結婚の家庭において、両方の言語を同じ時期に同じくらい発達させるというのはバイリンガル教育の理想的な姿なのかもしれませんが、実際にやってみると、それほど簡単なことではありません。現時点では「やはり軸になる言葉は必要なのではないか?」と私は考えています。外国語の力は母国語の力を超えることはないのだとしたら、思考や発話において常に使用される、圧倒的に得意な言葉があることは自信につながりますし、そこから第2の言葉を学ぶ下地にもなるでしょう。ある程度大人になってから英語話者になった私は人様から英語を褒めていただくこともあるのですが、小学校から高校を卒業するまで一番の得意科目は現代文、古文、漢文、すべてを含めた国語一般だったことも考えると、言葉や言語そのものへの興味が基礎にあったことは確かなようです。また、日常会話レベルをマスターするためならともかく、語彙を増やしたり、書く力をつけたりするためには、その言語で読むことは必須なのですが、そもそも日本語で本を読むのが好きでなかったら、私にとって外国語である英語で何かを読みたいとは思わなかったでしょう。

日本語の危機を訴える2冊の本を読んで改めて感じたことは、子どもたちには可能な限り日本語でも英語でも本をたくさん読ませることが大切だということでした。私も小さいころには親にたくさん絵本を読んでもらったし、自分で本が読めるようになったら、「まだ読んでいない本」が常にまわりにあるような環境を作ってもらったという記憶があります。特に男の子は女の子に比べて脳のつくりから言語発達が遅い傾向があるので、「本がそこらじゅうにある」という環境を作ることはとても大切だそうです。この話を聞いてから、我が家では家の中でも本は一箇所に片付けず家のあちこちに積み上げておいたり、車の中にも本を置いておくようになりました。

5月に日本に行った際、書店でみかけた「日本人の知らない日本語」というコミック本が大変売れていることに、ある種の感銘を受けました。売れているのはコミック本だからという要素もあるでしょうが、内容に興味をもっている人が多いということでもあります。私も読んでみましたが、確かに知らないことがたくさん書かれていて、やはり日本語は奥が深いのだと実感しました。子どもたちが将来、日本語の美しさや貴重さに気がつき、世界の言語の中でも貴重で複雑な日本語を自分たちが操れることにプライドを見出せるようになるよう、そのための刺激を、日本人の親として与え続けていきたいという思いを新たにさせられました。

日本語が亡びるとき 

これは水村美苗という作家の長編評論で、「英語の世紀の中で」という副題がついています。非常に読み応えがある本でした。斜め読みして理解できる内容ではありませんが、バイリンガル教育に興味がある人にとっては、一読する価値はある本ではないでしょうか。

私は去年初めて「国際結婚一年生」という日本語の本を出しましたが、何人もの人から「英語版はないのか」と聞かれました。国際結婚のカップルの片方は英語を読む人である可能性が高いのだし、英語で書かれていれば、もっと多くの人の役に立つだろう、とも。確かにそのとおりです。この本を読みながら「英語で書かれていれば、読める可能性のある人は比較にならないほど増える」と当たり前のことに改めて気づかされました。

著者は第三章「地球のあちこちで<外の言葉>で書いていた人々」で、このように言っています。

くり返すが、学問とは、なるべく多くの人に向かって、自分が書いた言葉が果たして<読まれるべき言葉>であるかどうかを問い、そうすることによって、人類の叡智を蓄積していくものである。学問とは<読まれるべき言葉>の連鎖にほかならず、その本質において<普遍語>でなされる必然がある。(P144)

非西洋語圏の学者は・・(中略)・・・いったい何語で書いたらよいのか。
かれらは<自分たちの言葉>で書いてそのまま<読まれるべき言葉>の連鎖に入るわけにはいかない。かれらの使った言葉を読める学者は世界に稀である。かれらが書いたものが<三大国語>に翻訳される可能性は非常に低い。さらに、たとえもしかれらが書いたものが<三大国語>に翻訳されたとしても、非西洋語が西洋語に翻訳されたときに失われるものは大きい。西洋語を<母語>としない学者が<自分たちの言葉>で書いて、<読まれるべき言葉>の連鎖に入るためには、<外の言葉>で読むだけでなく<外の言葉>で書くよりほかにない。そのような学者の<世界>への参入は、学問とは、その本質において<普遍語>という<外の言葉>でなされる必然があるという、学問の本然を、今ふたたび、白日のもとに晒すものである。(P147)

ここでいう<普遍語>とは、世界的に通用する言葉、つまり今の時代では英語ということになります。この部分を読んだ時、村上春樹の小説について考えました。彼の小説の多くは英語に翻訳されています。村上春樹のファンは世界中にいますし、日本語以外では英語版の読者が多いのでしょう。でも翻訳という過程では「何かが失われる」ことはほぼ避けられません。先日、コスタメサの紀伊国屋書店で、村上春樹の英語翻訳本についての分厚い本を見かけ、つい手にとってみたところ、主な英語版の「致命的な」誤訳あるいは意訳について詳細なリストが挙げられていました。実際のところ、村上春樹が英語で書く日を待ち望んでいる英語読者のファンもいるのではないでしょうか。私の好きなアメリカ人のブロガークリス・ギレボーに会って”1Q84″について話したとき、「そんなに長い小説なら英語になることは不可能だろう」と彼が言っていましたが、やはり”1Q84″もそのまま英語にするにはあまりに長すぎるので、1巻から3巻までまとめて1000ページほどになるという情報も見かけました。

著者は第6章で「今、漱石ほどの人材が、わざわざ日本語で小説なんぞを書こうとするであろうか。(中略)たぶん書かないような気がする」、また「言葉の力だけは、グローバルなものと無縁でしかありえない」からこそ、日本人で英語でも書ける人は(<叡智を求める人>であればなおさら)英語で書くようになっていく、という危機感を抱いています。日本人が日本語で書かなくなれば、日本語は言葉として亡びるしかないので、そうした事態を防ぐために、第7章「英語教育と日本語教育」において、「学校教育で何を目指すべきか」という論理が展開されていきます。

私自身は、たとえば村上春樹は、いくら英語を不自由なく書くことができたとしても、日本語でも書き続けるだろうという気がしています。すべての人が<読まれるべき言葉>の連鎖に入りたいとは思わないだろうからです。人には誰でも、自分の経験や能力のうち最も人様の役に立つことのできる分野、そして誰のためにそれを行いたいかという対象があります。その意味で「日本語しか読むことのできない人」のために、日本語で書き続ける人はいなくならないでしょう。そうした形で書かれたものが、著者のいうところの普遍的な学問のレベルに達するかどうか、それは書き手以外の人々、あるいは後世の人が判断することです。多くの人が自分の自由意志で好きな分野に取り組み、好きな言葉で書いていった結果として、日本語が今の「地位」を失い、<叡智を求める人>が読み書きできなくなる言葉に「なり下がった」として、人類が文化的に貧しくなるのだろうか?もしそうなるとしても、それはそんなによくないことなのだろうか?という気がしています。長くなりましたので、次回で「国際結婚家庭の選択」についてさらに考えてみます。

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