気が散りやすい脳

最新号のTIME誌で、”Wired for Distraction?”と題された記事を見つけました。今やFacebookをはじめとしたソーシャル・メディアを引き合いに出すまでもなく、携帯電話や電子メールの普及で、子どもたちは起きている間、とても多くの時間を「ネット世界とつながって」暮らしています。この記事を書いた記者は「子どもがネット世界でいじめられていないか、不適切なサイトを見ていないかということよりも、これだけ常に『つながっている』ことが脳にどんな影響を及ぼすかについて心配している」と書いています。

記事では、まず”continuous partial attention”ということに対する危険について述べられています。直訳すれば「継続的な散漫な注意力」とでもいうのでしょうか。ある調査によると、8歳から18歳までの子どもは平均で7時間38分もの時間を「エンターテイメント・メディア」に費やしており、例えば「テレビを見ながら携帯メッセージ」などの時間をのべで計算するとその時間は11時間にもなるそうです。

続いて、脳から分泌される物質にまで言及し、普段からそういった邪魔がないような状態で集中して問題に取り組める人と、そうでない人では違う物質が出ていると説明しています。同時に二つ以上のことを行うことを英語で”multi-tasking”と言います。普段からネットや携帯で「つながって」いて、何かをしながらメールやメッセージを見たりしている人のことを”multi-tasker”と言及し、彼らはそうでない人たちと比較すると、情報を吸収する際に脳の違う部分が活発になっているため、結果として「”multi-tasker”は単純作業で働くには問題がないが、今の子どもたちが将来的に高収入の仕事を得たいと思ったら必要不可欠になるハイレベルの思考をすることは難しい」と結論付けています。そういったハイレベルの思考をするには脳の海馬という部分を活発にしなければならないのですが、常にメッセージで邪魔されながら何かを習うことに慣れてしまうとそれがうまく作用しないという趣旨でした。

この記者は11歳のお子さんを持つ父親でもあるため、起きている間中ネットや携帯電話とつながっている状態を好ましくないものと考え、学校にいる間はFacebookは見ない、携帯電話使用も夜9時半まで、などという一定のルールを設けたと書いていました。私もこの記事を読んで、子どもたちの脳は私たちの世代とはきっと違っているのだろうと思わずにいられませんでした。私がメールを日常的に使い始めたのはせいぜい大学院留学時代なのでまだ10年ちょっとくらいのものですが、それでも、コンピュータに向かっている1時間ほどの間、Facebookやメールを開かずに集中して仕事をすることが難しいと感じることもあります(よいアイディアが浮かばないときはなおさらです)。これは、人間は「他人とつながっていたい」と感じる社交的な動物だからで、「メッセージがあります」という知らせを見ると脳にドーパミンという物質が出るからなのだそうです。生まれたときからコンピュータのみならずモバイル端末が周囲にあるような状況では、この記者のように親がこの問題について認識して、対策を講じていかないと、「必要な時には海馬がちゃんと働ける」ように情報を吸収させ物事を習わせていくことは困難でしょう。家で両親が四六時中コンピュータに向かっている姿を見せることにも問題があるに違いないと危機感を感じさせる記事でした。

こうして思い込みは作られる

先日、旧正月のお祝いで家族と一緒に食事に出かけました。実は、私は子どもたちと一緒にきちんとしたレストランで食事をするのがあまり好きではありません。子どもたちが騒ぐことが心配でゆっくりと食事を味わう・・という感じにならないからです。先日もレストランを出る頃には何だか気疲れして、あ~あ、せっかくの外食だったのに、でも予想した通りだった・・・という気分でいました。

家に帰るまでの車の中でふと思い当たったのは、これも「再生のメカニズム」(Cycle of Recreation)なのかな・・ということでした。この概念は、たびたび書いているRemembrance Courseというコースで出てくるものですが、ある出来事の経験をきっかけに、自分の思い込みが作られるという仕組みのことを意味します。似たような体験を何回か重ねていく中で、その思い込みを裏付けるような証拠に目が行ってしまうため、さらにその思い込みが強くなっていく、というものです。例えばこの「子どもとの外食は楽しめない」という例をとってみても、子どもが生まれて以降の4年間、いろいろなところで外食する機会がありました。それらの何回かの経験から、今ではもうレストランに入る前から、あるいは極端な場合には「レストランに行く」と考えただけで、「またバトルが始まる・・」という気持ちになっています。そうすると、その期待感(この場合は不安感ですね)をもったまま着席し、手早くメニューを見て注文し、食事が来たらものすごい勢いでとにかく口も聞かずに食べて・・・というプロセスを経るため、じっくり食事を味わったり会話を楽んだり余裕もなく、怒涛のような時間が過ぎる・・・という経験を何度もしてきています。

でも、きのう車の中でよく考えているうちに「そういえば昨日は子どもたちは比較的お行儀よくしていたな」「頼んだ料理も悪くない味だった」など、よかったこともあったということに気がつきました。再生のメカニズムで興味深い点は、ある期待感をもったまま出来事を体験すると、その期待感を裏付けるような現象のみに無意識に集中してしまうため、良くも悪くも「期待はずれ」の部分があっても気がつかないでいる(あるいは、重要ではない情報として処理をしている)ことなのです。そもそも、多くの場合は人々は自分がそのサイクルにいることさえ気がつかないわけですから。でも、ひとたび「これは自分が作った思い込みだ」ということに気がつくと、そこから脱却して、別の選択をする可能性がでてきます。人にこのことを説明するとき、私は「創造性のブロックが外れる」と表現していますが、問題にのみフォーカスするのではなく解決方法を見つけることに注力することで、自分自身に違った種類の質問をすることができます。同じ外食をするにしても、子どもが多少子どもらしく振舞っても大丈夫なレストランや、注文するとすぐに食事が出てくるようなところを選ぶことも一つの案だし、あらかじめ一緒に行く人に協力を仰いでおくとか、行く時間帯を考えることもできるでしょう。友人の家族は電子ゲームやDVDプレーヤーを持参することもあると言っていました。「XXなために~ができない」という思考をしていると、解決するためにいくつもある方法を考えることすら面倒くさかったり気が向かなかったりしますが、それは好ましくない思い込みが強化されていくことにエネルギーを奪われてしまっているからなのかなと感じました。実際、この状況への対応策として、今までの私だったら「基本的には子ども連れでは外食に行かない」ということしか頭にありませんでした。何かの機会でそれが避けられない場合にも、最初から「楽しくないだろう」と思って出かけているのですから、その通りの感想を持って出てくるのもある意味当たり前なのかな・・と悟った次第です。

この「再生のメカニズム」の大切な点は、自分の思い込みに気がついたからといって、それを変える必要はない、ということです。別の選択肢もあるが、敢えて自分は今までの路線を行くということも十分に起こりえます。ただ、その場合には今までよりも主体的な選択ができるようになります。そうすると、例えばこの場合で言えば「子どもたち」を理由に食事に行かないというよりは、いろいろ対応は取れるけれども自分としては行かないのが一番気が楽だから・・ということで、今度は完全に「自分の選択」になります。そのため、「子どもたちのせいで犠牲を強いられている」といったような被害者意識からも自由になることができます。そのことだけをとっても、思い込みのメカニズムに気がつくことにはとても意味があるのではないか・・・と思いました。皆さんも日常生活の中で、自分のコントロール外のことが自分の行動を決めてしまっているような気分でいるとき、「思い込み」がないかどうかに目を向けてみては如何でしょうか。もしかすると、創造性のブロックが外れてよい考えが生まれてくるかもしれません。

フロリダへ

先週木曜からフロリダに行っており、昨日の深夜に帰ってきました。私が教えている親子コミュニケーションコースの創始者であるKathryn Kvolsから直接ディレクター・トレーニングを受けてきました。彼女が30年以上も前にRedirecting Children’s Behaviorというコースを作るとともに、同タイトルの本を書いたのです。全米のみならず、世界の14ヶ国でも教えてられているということも知りました。

また、今回詳しく聞いたところでは、Kathrynの夫であったBill Riedlerという人が二人でRemembrance Course(当初はUnderstanding Yourself and Othersという名前でした)やそのほかのパーソナル・ディベロップメントのコースを作ったのです。このRemembrance Courseも最初は週に1度、6週間のコースだったそうなのですが、数年後に今のような週末のコースに変えたということでした。当然、最初のうちは創始者のKathrynとBillの二人で教えていたのだそうです。1970年代の話です。その後、二人が離婚することになり、ビジネスでそれぞれが気に入っていた部分をとって、Kathrynはこの親子コミュニケーションコースに注力してInternational Network for Children and Families(INCAF)を作り、Billはパーソナル・ディベロップメントのコースを行うGlobal Relationship Centerを作りました。その後Billは病気で死亡、私のメンターでもあるPamela Dunnが引き継ぎ、現在のYour Infinite Life Coaching Companyとなりました。

Kathrynは再婚してもう20年になり、前の結婚からの子供たちも合わせて7人家族です。見慣れた写真から比べると年はとっていましたが、目がとてもきらきらしてエネルギーあふれる、それでいてとても柔らかな雰囲気を持った魅力的な人でした。声や表情の雰囲気が「サウンド・オブ・ミュージック」のマリア役のジュリー・アンドリュースを彷彿とさせる感じでした。3日間にわたり、このコースのインストラクター・トレーニングを一緒に受け、また一緒に教えました。3年前にSusie Waltonに受けたトレーニングでしたが、改めてこのコースの奥深さや、子どもを大切にし尊重する哲学に触れ、これからの課題に対する決意を新たにすることができました。住む場所は違っても同じ志を持った仲間に会えたことも大きな収穫のひとつでした。また、今回は、子どもに命令をしたり脅したりすることが脳の中でどのように反応しているかという部分の情報も加わり、より論理的な説明もできるような指導がされていました。ますますパワーアップした親子コミュニケーションコースをこれからも開催し続けて行きます。

“タイガー・マザー”の波紋

現在アメリカで大変な論議を呼んでいる“Battle Hymn of the Tiger Mother”という本があります。この本は中国系アメリカ人の母親が自分の子育てを振り返った自叙伝という形で書かれており、メディアではまだ幼なかった娘たちに対して何時間もピアノの練習をさせたり、次女からの手作りの誕生日カード突き返したりというようなエピソードが取り上げられています。控え目にいっても彼女の子育ては「かなり厳しい方針」と言えるでしょう。アマゾンでもこの本の評価は真っ二つに分かれています。私はまだ本を読んでいないのですが、最新号のTIME誌でこの話題が著者のインタビューとともに取り上げられていました。それによると、著者のChua自身もこのような厳しい方針で育てられたそうです。著者の「子供の頃、親が選択肢を制限して厳しく躾けられ、可能性を最大限に生かせるように育ててくれたおかげで、大人になってからの選択肢が広がった」というコメントが印象的でした。TIME誌は心理学者の調査なども引き合いに出しながら、たとえば計算ドリルなどをとことん繰り返させ、考えなくても出来るレベルまでもっていくことで、もっと高いレベルの思考をするだけの余裕が脳に生まれることから、ひたすら繰り返しや練習をさせることに意味があるという指摘をしています。一方で、親子のあたたかい心の交流の欠落や、言葉による脅しやプレッシャーが子どもに与える悪影響という観点から問いかけを受けた著者は「確かに(たとえば、長女を”garbage”(ごみ)と呼んだというエピソードなど)やりすぎたという部分はある」と認めるコメントが載っていました。

本の出版から大変な論議を読んだおかげで、著者のところにも様々な感想が寄せられているそうです。「やりすぎだ」という声がある一方で「自分の親ももっとプッシュしてくれていたら、もっと大きなことができたかもしれない」という感謝の声もあるということでした。確かに、「そこそこ」ではない、抜きん出た技術を磨くためには、長い間の鍛錬が必要ですし、子どものうちからそれをやらせるためには親の確固たる方針をもとにきっちりと導いてやらなければならないという面はあるでしょう。「あなたはもっとできるはず」という言葉や態度で、最大限まで努力をさせること自体は必ずしも悪いことではないと思います。でも、一方で、そこに無条件の愛情はあるのだろうか?あるいは、無条件の愛情をきちんと感じさせることはできるのだろうか?と感じます。親自身はもちろん「あなたのためを思うから言ってるのよ」「あなたには出来るはずと信じているからプッシュするのよ」と知っているし、それを言葉では子どもに伝えるでしょう。でも、子どもが「たとえお母さんの期待に応えられなくても、自分は価値のある人間なんだ」「たとえ最高の成績が取れなくても、お母さんの愛情には変わりがないんだ」と、頭でなくハートで感じることができるでしょうか?

TIME誌の記事は、最後に「中国系ではあるが、この本のストーリーは”Quintessentially American” 、典型的なアメリカの物語だ」と結論付けています。移民としてアメリカにやってきて、身を粉にして働き、子供でも言い訳の余地なしに粘り強く頑張ることが成功の秘訣だと言われたら、それに対して反論の余地はほとんどない、と。著者の娘たちは今10代後半になっており、自分の子供たちにも同じような躾をするだろうと言っていることから、今となっては母親のChuaに対して感謝していることが伺えます。彼女たちは、自分たちがそこまで「優秀」でなかったり、親の期待するようには才能を発揮できなかったとしても、親の愛情には変わりがないと心から実感しているのかどうか、とても興味深いところです。著者の言うように、アメリカの典型的な親が「なんでもないこと」に対して子供に賞賛の声を浴びせて、その結果、子どもが褒められないと動かない子どもになってしまったり、「ひ弱」になってしまうという一面はあるかもしれません。でも、学校の成績や他人からの評価がここまで内面化(人間の価値を左右する原因となっている)されている社会において、子どもが生きる中で経験する挫折や失望を乗り越えられる強い心を持った大人になっていくには、条件つきでない愛情をどのように、どれほど感じさせることができるか、ということが、とても大きな意味をもつと思います。アマゾンのレビューでは「著者が娘たちがいかに成功を修めているかがさんざん書かれている」というものもありました。実際のところを知るために、やはり本を読んでみるつもりです。

母親の苦悩

何回かにわたって古荘先生の著書「日本の子どもの自尊感情はなぜ低いのか」について書いています。この本のタイトルは「子ども」となっていますが、実は今子育てをしている世代の大人にも自尊感情が低い人がたくさんいるように思います。

sad-girl先日、ツイッターのつぶやきで「ジュースをこぼした子どもに腹を立てて『あんたそれでも人間なの。何度言ったらわかるのよ』」という言い方をしていたある母親について、「おっかない」「そんな母親の元に生まれなくてよかった」という感想をつぶやいている人がいました。実際にその場面を見たわけではありませんが、ツイッターに書き込んだ人はその母親の言い方や顔から、子どもに対する愛情が感じられずこわいなーと思ったためそのようなつぶやきをされたのでしょう。でも、私がそのつぶやきを見て思ったことは、「何がその母親をそこまで追い詰めているのか」ということです。小さなお子さんをお持ちの方なら、「何回言ったらわかるの」と思ったことは一度や二度ではないはずです。それが、ジュースをこぼすならともかく、たたく、蹴る、おもちゃを投げる、車が往来する駐車場を勝手に走り回るなど、こちらも痛い思いや怖い思いをしながら、大声をあげても聞かない、もう打つ手がないような無力感で、きつい言葉や言い方をしてしまうことは、人間には誰でもあります。

このつぶやきからは、周囲の助けもなく、孤独感を抱えながら一人で子どもをコントロールしようと必死になっている母親の姿を感じました。多分、日常生活の中で自分が本当に満足したと感じられる場面があまりないのではないでしょうか。そういう状況が長く続いていると、たとえ幼少時代の深い傷などがないとしても、自己肯定感は低くなり、まだまだ未熟で学ぶべきことがたくさんあり、私たちにそのサバイバルのすべてを委ねている子どもに対して、忍耐力を持って優しく接し続けることは不可能に近くなります。自尊感情が低い人は周囲に対しても非常に批判的になりがちです。もし、人間関係で、いつも同じ人がきつい言葉や態度で接してきて傷ついている・・と言う方は、「何がその人をそうさせているのか」と考えてみてください。その裏には自尊感情の低さが必ずあるはずです。

最近「RCB親子コミュニケーションコース」を受講された方が、感想として「これでいいんだと楽になった」そして「今まで以上に子どもがもっと大好きになり、大切に育てたいと思った」と書いてくださいました。子どもの自尊感情を高めるためのひとつの方法は、やはり子どもに「こうなってほしい」という大人の姿を見せること、つまり自分の自尊感情にも意識することです。その方は、子どもが今まで以上に好きで大切と思える自分のことも、より好きになったと確信しています。

*次回「RCB親子コミュニケーションコース」は電話コースが8月4日(水)から、スカイプコースが8月13日(金)からはじまります。スカイプコースは日本時間では土曜日の午後1時からです。

KY(空気が読めない)という言葉に示されたゆとりのなさ

古荘先生の著書「日本の子どもの自尊感情はなぜ低いのか」の中に、上記タイトルの箇所があります。全体で2ページにも満たない部分ですが、この本の中で非常に大切な部分だと感じました。

kids私はアメリカに8年暮らしており、アメリカで子育てもしています。サンディエゴの補習学校で4年間働いており、毎年たくさんのお子さんが日本から駐在など家族の転勤でやってきて、またアメリカで数年生活した後で日本に帰っていきます。日本からアメリカに来ることも大きな変化ですが、アメリカの生活に慣れた子供達が日本に帰ることも、同様に、あるいはそれ以上に大きな変化です。中には、日本人の両親を持ちながらもアメリカで生まれ育っていたり、また国際結婚のご家庭で日本に行くことになるケースもあり、日本は「外国」という人もいます。

おそらく日本に帰って学校に通う際、最も苦労するのはこの「KY(空気が読めない)」という言葉に表れる発想ではないでしょうか。古荘先生はこう書いています。「本音を出したり、あるいは融通が利かないと、『KY』のレッテルを貼られてしまう。無視、仲間はずれといういじめの対象になってしまうこともある。子どもたちの中でも疑心暗鬼になり、常に周囲の機嫌を伺うことを余儀なくされる」また、「『KY』は『空気』という言葉で、自分だけではなく多数の意見だと表現して、より強力かつ巧みに一人を追い込んでいく、実に不気味で悪質な表現である」と。

大人として人付きあいを上手くやっていくためには、自分の思ったことを何でも口にするべきではなく、周囲の気持ちを考えることもできなければなりません。これは、日本だろうがアメリカだろうが同じことです。でも、そういった計算なく『今』に生きて、思いついたことを言ったりしたりするのが子どもらしさです。人の気持ちを推し量ったり会話をしたりというソーシャル・スキルが未熟な子どもには、それなりの愛情をもったケアが必要なのであり、相手の発言に問題があると思えば、正面きって「あなたの言っていることは間違っている(あるいは他の人を傷つける)、自分はこう思う」と指摘するだけの勇気も必要でしょう。それをせずに、「空気が読めない」=「(自分も含め)みんながそう思っている」という言い方をするのはある意味卑怯なことではないでしょうか。子どもを育てる立場にある親や教師がこの言葉を使うことによって、言われた子どもはどう感じるでしょうか。子どもによっては、「もう発言しないぞ」と思うのではないでしょうか。もし子どもが、大人の目から見て「空気が読めないな、この子は」と感じるなら、何がそうさせているのかにも好奇心をもって欲しいと思います。「空気が読めてないよ」と指摘することだけでは解決しないことは明らかでしょう。

*RCB親子コミュニケーションコースがスカイプで受けられるようになりました。初回は日本時間の7月3日(土)朝8時からになります。詳細はこちらをご覧下さい。

子どもの心の行き場所

古荘純一先生の著書「日本の子どもの自尊感情はなぜ低いのか」の第4章に、「家庭がほっとする場でないと、子どもの心の行happy-familyき場所がなくなる」と言うことが書かれています。考えてみれば、子どもでなくても、家庭がほっとする場でなければ帰るのがつらいのは理解できるでしょう。でも、子どもは大人と違って、家に帰る前に同僚とどこかに寄って一杯やってくるとか、スポーツジムに行って汗をかいてから・・ということができません。家族の仲が悪かったり、忙しい親のストレスでぴりぴりしている状況では、ますます子どもの心の行き場所がありません。

その他にも、
・    塾や習い事など、自分の能力を超えるスケジュールをこなしている
・    情報過多で色々なことを知っているが、その言葉の正確な意味や使い方を知らずに混乱している
・    少子化の影響で、両親や祖父母の期待を一身に背負わされ、「良い子」であろうとするために心が休まらない
などの原因で、虐待を受けていないにもかかわらず、心理学的には非常に類似した傾向を示したり、大人から発せられるメッセージを被害的に受け止めたりする場合がある、ということが書かれています。

私が子どもの時のことを考えると、小学校は本当に楽しい時代でした。高学年になると中学受験のために塾にいくようになりましたが、それでも私の思い出の中でその時代は圧倒的な輝きを保っています。何の悩みもなかった・・とは言いませんが、もう一度やりなおしてもいいくらいです。公立の学校で行われている一斉授業などは今も昔も変わらないと思うのですが、古荘先生は「子どもたちにとって学校は、ストレスの多い場所であり、自尊感情も保てない場所になっている」という印象をお持ちです。確かに私が小学生だった頃は、子どもに対して「ストレス」という言葉を使うこともなかったのかもしれません。ただ、本当に上記のような環境で育つ子どもが高いストレスを感じながら学校に行っているのであれば、家庭で子どもが安らげるかどうかは大変重要です。RCB親子コミュニケーションコースでは、子どもの行動や感情を親がコントロールしようとするのではなく、如何に自分自身でコントロールしていくか、親がどうしたらそれを教えてあげられるか、という方法を学ぶことができます。

*電話コースにより、サンディエゴ以外にお住まいの方も受講されています。また、7月からスカイプで日本在住の方も受講できるようになります。

クオリティ・オブ・ライフ

202532_high1前回ご紹介した本「日本の子どもの自尊感情はなぜ低いのか」という古荘純一先生の本の中に、「クオリティ・オブ・ライフ」(英語のQuality Of Lifeの頭文字をとってQOL)という概念についての調査について書かれています。QOLとは自尊感情だけでなく、その人の生活に関わる要素を包括する概念です。引用すると、「たとえば、ごはんがたくさん食べられるだとか、夫婦関係がいいだとか、職場で楽しく過せるだとか、仕事が充実している、などという、これらのこと全部を含んだ概念となります。その人の生活に関わる、すべての要素を包括する、ということです。」と述べられています。

本の中では子どものQOLを図る尺度の開発やその難しさとともに、日本で子どもを対象に行われたQOLの調査結果も出ています。学年が上がるにつれてQOL総得点が減っていき、16歳までの調査対象の中では高校一年生が一番低いという結果が出ています。このまま高校2年生、高校3年生とQOL総得点が下がり続けるのかどうかは今後の調査を待たなければならないようですが、古荘先生は「幼児的な万能感を持っていた子どもたちも、世の中の現実がわかってくるにつれて、自尊感情は低下していくのが普通だとも言えます。そして一回低下しきると、下げ止まって、また、こんな自分でもいいや、という感じであがっていくのが普通のパターンだと考えられていたのですが、いまの日本の子どもの現状では、小学校3,4年生ぐらいから低下しはじめて、中学校、高校、とずっと下がりっぱなしということになっていることが、今回の調査で明らかになりました」と言われています。回復の機会がないまま大人になってしまうと、欠点はありながらも自分自身をありのままに受け入れ、日々の生活を楽しく過ごすことが難しいだろうということは容易に想像できます。

日本の子どもの自尊感情はなぜ低いのか

3月に日本に帰った時に本屋で「日本の子どもの自尊感情はなぜ低いのか」という本を見つけました。児童精神科医31gtif-yxul__ss500_の古荘純一さんという方が書かれた大変内容の濃い本です。英語では「セルフ・エスティーム」と訳されるこの「自尊感情」ですが、本書では、「外見・性格・特技・長所短所・自分の持っている病気やハンディキャップなど全ての要素を包括した意味での『自分』を、自分自身で考える」という意味だと説明されています。例えば10代での摂食障害、薬物依存、犯罪行為、自傷行為や自殺などはこの自尊感情との間に深いつながりがあります。この本では、日本の子どもたちの自尊感情の低さが説得力のあるデータとして示されています。

私が教えているRedirecting Children’s Behavior(RCB)コースでも、このセルフ・エスティームに重点をおいています。セルフ・エスティームが低い子どもの特徴として、すぐにあきらめる、「できない」「わからない」「どうでもいい」と頻繁に言う、人のせいにしたり、言い訳ばかりする、目的が無く悲しそう、「友達がいない」と言うか、あるいは本当にいない・・・などが挙げられます。人間がこの世で生きていく中では、自分の思い通りになることばかりではありません。その時に健全なセルフ・エスティームがあるかどうかで、「逆境から脱することができるか」「自分に対してマイナスの評価があったときに、悩むことはあってもまたそこから抜け出すことができるか」が違ってきます。RCBコースでは健全なセルフ・エスティームを育てる方法について深く学ぶことができます。

大変内容の濃い本なので、何回かに分けてこの本について紹介していきます。興味のある方は是非入手してご一読ください。お子さんがいらっしゃる方には特にお薦めですが、そうでない方も、自分の自尊感情について考えてみる機会になると思います。

目を離すこと

「草花が伸びるのを見たいなら、目を離せばいい。こどもの成長だって、自分の事だって、同じだよ」 『セフティ・マッチ氏の銀の言葉』より

349742-42625-21先週から6日間州外に研修に行っていて、昨日の昼に帰ってきたのですが、空港で迎えに来た夫と子どもたちに会った時、2歳5ヶ月の下の子が急に成長したような気がして驚きました。夫が上の子のTシャツを下の子に着せていたためもあるのですが、ずっと大人びたような顔をしていて、家に帰ってから「○○してきて」と頼むと指示を聞いてささっと動いてくれたり、昼寝をしたくないとぐずっている時に「もっと遊びたい」と、今までに言った事のない表現で訴えたり・・・その日のうちに何度か、はっと顔をみて下の子であることを確認するような瞬間がありました。そこで頭に浮かんだのが上記の言葉です。毎日ずっと一緒にいてこそ目撃できる子どもの成長があるのと同時に、少しの間、離れることで見えてくる成長もあると・・また、自分のことにしても、毎日のように「大して遠くまでいけなかった自分」にめげる日々が続いたら、少し目を離してみることも大事だということでしょう。

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