家族を作るのは血ではなく愛

“Blood doesn’t make a family. Love does.” これは、先日見ていたアメリカのテレビドラマで、主人公の一人が言った台詞です。赤ちゃんの頃、養子として自分を迎えてくれた両親に育てられたという設定のこの男性は、自分の息子に「自分を生んだ人のことを知りたくないの?」と聞かれました。「それは興味がないわけではないけど・・」と前置きした上で、「自分を育ててくれた両親は、自分が彼らにとってこの世で一番大切な存在だと思わせてくれた。自分にとっての本当の両親は彼らだと思っている」。そして続けて「家族を作るのは血のつながりではなく愛情だよ」

アメリカでは養子として育てられる子どもたちもたくさんいます。また、近年のように離婚・再婚が一般的になると、「家族」といっても血のつながりのある関係ばかりではありません。日本でも「生みの親より育ての親」という言葉があるように、直接の血のつながりがないとしても、深い愛情が基盤となっている親子もいるでしょう。

また、アメリカに10年ほど暮らしてきて、子どもたちが小さい頃からベビーシッターをしてくれたある女性は、私たち家族のことを“You are my family” と言ってくれますし、私も、大学院留学時代に一緒に暮らしたアメリカ人の友達とは、住む場所は離れているものの家族のような存在だと感じています。お互いに人間としての不完全さを受け入れたもの同士、それでも一緒にいると楽しい時間が過ごせるし、相手やその家族に何かあればできる限りのことはしたいと思える相手。そもそも結婚とは何の血のつながりもない他人と家族になる選択をすることです。自分を育ててくれた家族から、今度は自分で選んで作っていく家族。また、結婚してもしなくても、あるいは子どもがいてもいなくても、親でも配偶者でも自分の子どもでもない、第3の家族のような人間関係を自分のまわりに作っていくことが、真の意味での豊かな人生を送る秘訣ではないかな・・・と感じます。

オバマ大統領・再選の勝利演説

“I have always believed that hope is that stubborn thing inside us that insists, despite all the evidence to the contrary, that something better awaits us so long as we have the courage to keep reaching, to keep working, to keep fighting.”

きのう行われたアメリカ大統領選挙の結果、オバマ大統領がこれから4年間続投することになりました。再選が確定した後、かなり時間が経ってから支持者が待つ会場に姿を現したオバマ大統領は、勝利演説で会場を埋め尽くした聴衆に、そしてテレビやネットを通じて見ているであろう人々に、これからのアメリカという国のビジョンについて語りかけました。

状況から考えればあきらめたくなるような場面でも、勇気を持ってトライし続け、頑張り続ければ、今よりもよい未来が待っていると頑固に信じること、それが希望だ・・・・

4年前には“Yes, We Can”というキャッチフレーズで大統領に選ばれ、勝利演説では「変化」について語りました。アメリカは変わる、と。それから4年後。「超能力がなくても再選できるか?」というこちらの記事にも書いたように、4年前と何も変わっていないと批判され、失望して支持をやめた人々も大勢います。大統領として国を率いてきた苦しい4年間があるからこそ、きのうのスピーチの言葉ひとつひとつはより重みを増していました。

私は日本人ですが、子どもたちはアメリカ生まれのアメリカ育ち。10年以上アメリカに住み、私の価値観からするとこの国の好ましくないところや病んでいる部分も見えてきています。サンディエゴに帰ってきて次男が通い始めた学校では、毎朝全校朝礼があり、そこで「星条旗への誓い」、そして“アメリカ・ザ・ビューティフル”の一番を歌うということが行われています。まだ誓いの言葉の意味も全てわからないうちからこうやって愛国心を教えていくのだなぁと思うと、小さな手を胸にあてて誓いを暗唱する子どもたちを見ながら、複雑な心境になることもありますが、ありとあらゆる人種が共存し、移民で成り立っている国だからこそ、国をまとめる方法のひとつがこの忠誠の誓い、そして勝利演説のように人々をひきつける言葉の力なのでしょう。

以前から、その演説には定評のあったオバマ大統領ですが、昨夜の演説は今までのどのスピーチよりも魂がこもっていて、それだけより心に響いたような気がします。オバマ大統領は“I ask you to sustain the hope”と語りかけます。投票すれば国民の仕事が終わりなのではない、と。演説をライブで見ながら、(超能力のない)「普通の人」であるオバマ大統領が再選したことをやはり嬉しく感じ、彼にあと4年のチャンスを与えたアメリカという国に感謝したい気持ちになりました。

それは、本当にやりたいことなのか?

今年の夏に行われた世界征服サミットでは、参加者が自分のストーリーをシェアする時間が設けられていました。数百人もの人が事前の呼びかけに応えて応募し、事前に選ばれた人々はそれぞれ、内容により5分や10分という短い時間を与えられていました。多くの人は1000人もの聴衆を前に話した経験はなく、きちっと時間通りに収まるプレゼンをした人々は準備をきっちりしてきたんだろうな・・・と思わせるものがありました。

今でも印象に残っているもののひとつはニコルという女性による「長距離を走ること」についてのスピーチです。彼女は6年間もの間、不眠症で悩んでいましたが、あるとき砂糖とお酒にアレルギーだったことがわかり、それらをやめて以来眠れるようになりました。それをきっかけとして、それまでずっと「いつかやりたい」と思いながらも、それまでは寝不足でエネルギーが圧倒的に不足していたためにできずにいた「走ること」を決意したのです。この5分間のスピーチでは、彼女が走り始めたときには「2分ともたなかった」という状態から、14ヶ月のうちにハーフ・マラソンを4回走るまでになり、その間に学んだことを話しています。

Talk 2 from Chris Guillebeau on Vimeo.

彼女が学んだことのひとつは、“Big, sexy dreams are only accomplished one, tiny, unsexy step at a time” つまり、マラソンを走るなどという大きくて華やかなな目標は、その目標の華やかさとは正反対の、全然華やかじゃない小さなステップを一歩ずつ積み重ねることでしか達成されない、ということ。野球選手のイチローの有名な言葉にも「細かいことを積み重ねることでしか、頂上には行けない。それ以外に方法はない」というものがあります。世の多くの人が知るところとなるような華やかな業績の裏には、ほとんどの場合、長い時間にわたる日々の積み重ねがあるということでしょう。このスピーチをした彼女も、その「日々の積み重ね」を避けて通る方法はないと述べています。

このスピーチをしたニコルは、最近「走ること」についての無料の電子書籍を発表しました。「モチベーション」に頼る方法では失敗する!といううたい文句に惹かれてこの電子書籍を昨日入手し、一気に読んだのですが、彼女は実に「走る」というアクションをとる前に5つのステップがあると言っています。彼女いわく、多くの人は“Just do it!”という感じでいきなり走り始め、そして挫折してしまうのだとか。そうではなく、本当に走りたいのか?なぜ走りたいのか?と、自分の内面とじっくり向き合うことから始め、「走る理由」のリストを作ること、実際に生活を見直して走る時間を確保すること、などなど、走り始める前にすべきことが書かれています。もし最初のステップで「なぜ走りたいのか?」の理由が「周囲を驚かせたい(やるなコイツ!と思われたい)」だったり「健康にいいから」ということだった場合、「走ること」が本当にその目的を果たすために最適なことなのか?と一歩踏み込んで考えるということが書かれています。自分の「本当の目標」が何なのかを見極めることが、ハッピーな生活を送る秘訣だ、とも。この電子書籍を読んでみて、何かを「やりたい」と思い実際にあれこれと動く前に、これらのステップについて考えることは、走ることに限らず人生における様々な目標設定にも使える方法ではないかと感じました。この無料の電子書籍についてはこちらをご覧ください。

世界征服サミット(WDS2013)チケット発売!

このブログでもWorld Domination Summit (世界征服サミット)については何度も書いてきました。1年目は500人、2年目は1000人の参加者を集めて、オレゴン州ポートランドで行われたこのイベント。サンディエゴでは今年のイベント(WDS2012)に参加した人々がFacebookでグループを作り、活発な意見のやり取りや、定期的なミーティングも行っているようです。今日のクリス・ギレボーのブログ記事によると、早くも来年夏に行われるWDS2013のチケットが来週に発売になるとのこと。例年通り、今年の7月に行われたWDS2012でも、来年のWDS2013の「前売りチケット」が提供され、最後に参加者全員に贈られたサプライズの効果もあり、既に多くの席は埋まっているようですが、それでも来週には1000人分のチケットが$497で提供されるそうです。その後は1月にもう一度チャンスがありますが、この時点ではもしかするとチケットも若干高く設定されるかもしれないとのこと。

そもそも「世界征服サミットって何??」と言う方は、今年も日本から参加された堀正岳さんが、メイン・ステージの講演ひとつずつにつき、詳細な記事を書いてくれています(堀さんのブログで今年の7月から8月初旬にかけての記事を探して下さい)。また、「クリス・ギレボーって??」と言う方には、こちらのインタビュー動画がお勧めです。クリスの20代前半ごろから今までの10年ほどが本人の言葉でまとめられています。

クリス・ギレボーの最初の本「常識からはみ出す生き方」は日本語訳が今年の夏に完成し、アマゾンや書店で入手可能です。ぜひ来週チケット入手にチャレンジしたい!と言う方は、まずこちらのページでウェイティングリストに登録して下さい。そして販売開始はアメリカ西海岸時間で10月3日(水)の朝8時。販売ページはこちらになる模様です。日本時間では水曜日の夜、真夜中の時間。去年のチケットは発売開始後13分で売り切れたとも言われているので、高速インターネットが使える環境でトライすることをお勧めします。

最後に、今年の講演のひとつのビデオを見つけましたのでこちらにシェアしておきます。これは堀さんの「あなたは変であればあるほど成功できる」という記事で書かれたクリス・ブローガンというブロガーによる話で、聴衆の笑い声が絶えず聞こえてきて、視覚的にも楽しめる講演でとなっています。来年のWDS2013、今から楽しみです!

【ご報告】charity:waterへのご協力、ありがとうございました!

7月に「誕生日にcharity:waterを通じて水のプレゼント!」という記事を書きました。アフリカを始めとする世界の途上国の人々に、清潔な水を届けようという趣旨で活動しているこの団体では、誕生日のお祝いに使うお金を寄付するというコンセプトを推奨しており、私も創始者本人が世界征服サミットで講演した際、壇上からのよびかけに応えて協力を表明しました。私が今回設定した目標は39人に水へのアクセスを届けられる金額の$790。知り合いもそうでない人も含めて多くの方が寄付をしてくれました。

この団体では「集まった寄付を、迅速に現地の活動に役立てる」という目的で、このようなキャンペーンも90日ごとのサイクルで締め切りを設けています。7月の誕生日の直前に始めたキャンペーンも9月末で終わりということで、今朝、目標額に満たなかった若干分を改めて寄付し、790ドルが送られるように手配しました。こちらのサイトに行くと、この寄付がどんな形で活用されるのかがわかるようになっています。またこの資金がもとになったプロジェクトが終了した際には、メールで報告が送られてくることになっています。こちらは1年半ほど時間がかかるとのことですが、忘れた頃にやってくるのを楽しみにしています。

直接寄付をしていただいた方だけでなく、ブログを読んでくださったりシェアするという形でご協力いただいた皆様、本当にありがとうございました!

未来は明るいですか?

Optimistic(楽観的)そしてPessimistic(悲観的)と言う言葉があります。人によってどの程度どちらの傾向があるかはさまざまですが、人類全体としては私たちはより楽観的なバイアスがあるのだという研究について読みました。“The Optimism Bias”という本についてリポートしたタイム誌のこちらの記事にこんな一節があります。

Optimists in general work longer hours and tend to earn more. Economists at Duke University found that optimists even save more. And although they are not less likely to divorce, they are more likely to remarry — an act that is, as Samuel Johnson wrote, the triumph of hope over experience.

楽観主義の人は(そうでない人より)長時間働き、収入も高く、たくさん貯金もする。また離婚率も低いし、離婚したとしても再婚する確率が高い、ということで、この最後の部分について英国人の作家サミュエル・ジョンソンは『希望が経験に打ち勝っている証拠』と言っています。さらにこの記事を読み進めていくと、例えば2001年9月11日にアメリカで起こった同時多発テロのときの記憶が、1年ほど経過したときにはかなり曖昧になっていたという調査結果などから、記憶というのは時間とともに再構築されていくものだ・・と説明されています。その際に、脳の働きとしてより明るい印象を持てるものが選択されていく可能性があるのです。また、人類全体の傾向として、“irrationally”(理性的とは言えないのだけれど)未来は明るいと思う傾向があるのだそうです。この本では、私たちはいずれ死ぬということを知りながらも、その知識だけでパニックになったり悲観的になって人類が死に絶えることがないよう、つまりサバイバルの目的で脳が楽観的なバイアスをかけるように発達したという説が展開されています。

確かに、たいした根拠はなくても「きっとうまくいく」「明るい未来が待っている」という風に思うことができなければ、結婚したり子どもをもったりする人は減っていくことは想像に難くないことです。特に結婚については、アメリカでは「世の中の結婚は半分以上の確率で離婚に終わる」という数字が出ているわけですから、これを「自分にはあてはまるまい」と少しでも思えなければ、一歩を踏み出すことはできないでしょう。この記事に対する読者の反響として「先進国では、テレビなどのコマーシャルで明るい未来を描くものばかりを見せ付けられているための現象ではないか。途上国で、そんな状況にない人々を対象にした調査結果が見たいものだ」というものがありました。これを読んで、確かに、ある物事についてどういう印象を持つかということは、もともとの傾向のほかにも、育っていく中で受け取るメッセージが大きく影響しているのではないか、と感じました。国別の調査などがあったら面白いのではないでしょうか。例えば、現在のところ未婚率がとても高い日本人の脳は、この記事の調査対象となった(であろう)アメリカ人の脳と比べてどうなっているのだろうか、という興味が湧いてきました。少なくとも結婚に関しては悲観的に考える人がそうでない人より多いのかもしれない(あるいは以前よりも多くなっているのかもしれない)という気がします。未婚率が高い原因は「絶食系男子となでしこ姫」の記事に書いたようにさまざまな要因が絡み合っているので一概には言えないでしょう。ただ、自分以外の他人と深い関わりを持つことについて、「面倒くさい」とか「怖い」という気持ちを超えて行動をおこせるほど楽観的になれないようなメッセージを日々受け取っていては、たとえ社会の状況が結婚や出産を奨励するようになっても、なかなか難しいのではないか・・・と感じました。


心を開く勇気

7月にポートランドで参加した世界征服サミットの基調講演のトップ・バッターはDr.Brene Brownでした。彼女は長年の研究の結果「心を開くこと」について語った”Power of Vulnerability”というTEDトークの動画で大変有名になりました。この基調講演については世界征服サミット同志である堀さんのこちらの記事にまとめられています。今読み返してみてもあのとき会場で味わった感動が蘇ってきて幸福な気分になりました。

この世界征服サミットで出会ったサンディエゴの友人Gregは、去年のサミット参加以来起こした具体的な行動のひとつとして、自分のラジオ番組を始めていました。1年ほどがたった今、彼のラジオ番組でDr.Brene Brownをゲストに迎えてインタビューをしたエピソードが昨日放映されたのです。彼女が長年追求しているテーマである“Vulnerability”とは、日本語では「脆く、傷つきやすいこと。攻撃に対して弱いこと」と訳されています。これは英語でも文脈によって意味が違ってくる言葉のひとつで、たとえば戦争や喧嘩など実際の戦いや、あるいは法廷ドラマやアメリカで架橋を迎えている選挙戦などの場面においては、“being vulnerable”ということは何をおいても「避けるべきこと」になります。弱みを見せたら相手にそこを付け込まれて攻撃されてしまいますから。でも、この世界で自分と折り合いをつけ、他人との関係を構築しながら、ハッピーに生きていくことという観点で使われるこの言葉は少し違ったニュアンスがあります。「心を開くこと」と言えばいいでしょうか。誰に対しても心を開くことには抵抗がある人が大多数だと思います。それは、心を開くと何が起こるかわからないからです。信頼した人に裏切られたり、人を好きになってうまくいかなかったというような経験を持ち出すまでもなく、毎日を何気なく生きているだけでも、油断するとちょっとしたことで思わぬ攻撃を受けて傷つく可能性に満ちているのがこの世界です。

ラジオ番組のインタビューでは、Dr.Brownは“feeling vulnerable”の例として「自分のビジネスを始めたり、大勢の前で初めてスピーチをしたり、自分から愛を告白したり、深刻な病気かもしれないと検査した結果を手にしたときに感じるあの気持ち」と説明しています。そして、それでも心を開くためには勇気が必要だと。なぜ心を開くのか?そこに出てくるのがこの言葉。

“Your capacity to be wholehearted can’t be greater than your willingness to be heartbroken”

実はインタビューでは最後の“heartbroken”“uncool”(クールでない)と置き換えられていますが、彼女にとっては“being vulnerable”“being uncool” とは同じことなのです。彼女は新しい本“Daring Greatly”の中で、今は「一生懸命にやっている」とか「ワクワクしている」ということがかっこ悪いことのように思われているけれど、それは人々が失敗を恐れているし、失望したくないからだ・・・と書いています。でもリスクをとらずに静止して「クール」を保っているときには、傷つきはしないかもしれませんが、その代わりに人との深い関わりが生まれることも、そこから何かが起こることもない。つまり「かっこ悪くても(傷ついても)かまわないという覚悟の大きさ以上に生きることの喜びを感じられることはない」ということです。私たちがネガティブと受け取る感情を避けようと心を閉ざしながら、喜びや愛情といった部分だけを心ゆくまで感じることはできないからです。彼女が引用していた映画“Almost Famous”(邦題「あの頃ペニー・レインと」)に出てくるこの会話では、この世に存在するあらゆる偉大なる芸術はuncoolということがテーマになっている、と語られています。心を閉ざして静止したまま「クール」に生きるか、傷つくかもしれないリスクをとって心を開いて、真に「生きている」という実感を味わうか。選択肢は常に私たちの手の中にあります。

“The only true currency in this bankrupt world is what we share with someone else when we’re uncool.”

「深い思いやり」と「境界線」は対立する?

“Compassion”は日本語では「深い思いやり」「憐れみ」そして「共感共苦」などと訳されるようです。Compassion、つまり他人の苦しみに対して理解を示したり思いやりをもったりすること。この言葉と対比する考え方として引き合いに出されるのが“Boundary”という言葉です。文字通りでは「境界線」という意味ですが、人間関係においては「ここからここまではOK。ここから先は遠慮してもらいたい」という区切りのことを指します。

前回の記事で書いたペマ・チョドロンの本の中で、このcompassionとboundaryについて質問をした人がいました。彼女の説いている呼吸法や瞑想法では、他人(そして自分)の苦しみを少しでも理解し、心を開き続けることが目的のように言われていますが、そのこととboundaryはどういう関係にあるのか?具体的には、例えば自分を傷つける相手に対して、「傷つけられずにはいられないその人の苦しみ」に対してどこまで理解を示すべきなのか?自分のboundaryを侵されても理解を示すことを求められているのか?という趣旨です。

これに対して彼女はこう言っていました。「確かにそれは難しい問題です。そういった状況に置かれたときに自分のboundaryを尊重して、イエスかノーかをはっきりと言えるようになるには、この呼吸法以外のツールも必要になることでしょう」。ただ、と彼女は続けてあるエピソードを紹介しました。複雑な家庭環境で育ったある女性はずっと父親に殴られて育ってきました。大人になって男性と交際するようになってからも、どういうわけか自分を殴るような人ばかりを選んでしまいます。あるときに彼女と出会ったソーシャルワーカーが彼女のことを心から心配し、親身になって世話をした結果、そのとき交際していた男性と別れる決意を彼女にさせて別の町に引越しをさせ、ゼロからまた新しい生活を始める手伝いをしました。「そのとき、その暴力を受けていた女性は自分のboundaryを意識し、自分はその場から離れなければならないと決意したのです」とペマ・チョドロンは説明します。「でも、新しい町に行って一ヶ月もたたないうちに、また同じような相手との交際を始めてしまいました」。

つまり、物理的にその好ましくない場所から去ったり、人間関係を断ち切る形でboundaryを引いたと思っても、自らの内面と対峙して時には闇の部分に光を当てるというワークを同時に行っていかない限り、本質的には同じ問題が形を変えて何度でも起こることがある・・・・ということです。家庭内暴力の被害者には、加害者の行為に対する責任はありません。被害を受けている人の多くは、加害者と意味のある形でコミュニケーションをとる術をもたないばかりか、自分自身とも対話できないところまで追い込まれてしまっているでしょう。彼女はこう結んでいました。“You have to start where you are right now. There is no “later”. You have to learn how to relate to your messy areas of your life in a very compassionate way.”

自分の気持ちとも向き合えないほどに機能不全に陥った関係にある場合は、そこから物理的に離れることも必要です。ただ、そうしながらも、自分自身の気持ちに深い思いやりを持ってオープンでい続ける実践を重ねていくことが大事・・・ということでした。そしてboundaryを引くのにもcompassionを持ったやり方というのがあるはずです。このふたつは「あちらを立てればこちらが立たず」という相対する概念なのではなく、どちらも自分自身と、そして他人と親密な関係を無理なく築くためには必要なことなのでしょう。

もう嫉妬しない!ではなく・・・

最近歩く時間が増えたので、また図書館のデジタル・ライブラリーで借りたオーディオ・ブックをiPodで聴き始めました(ハワイの公立図書館でもセレクションはなかなか充実しています)。最初に借りたのはPema Chodron“Awakening Compassion: Meditation Practices for Difficult Times”という本です。Pema Chodron(ペマ・チョドロン)はチベット仏教僧で、執筆や講演活動を精力的にしている女性です。2009年9月にシャスタ山での修行に参加したとき、彼女の“When Things Fall Apart”という本を読んで来るようにという指示があり、それ以来ファンになりました。実はこの写真の本は彼女のメッセージがそれぞれ見開き2ページで書かれたポケット版で、旅行先で買い求め、いつも鞄の中に持ち歩いています。例えばレジの長い列に並んでいるときにぱっとページを開けて見たりすると、少し気分を変えることができるのでとても役立っています。この本は講演の録音という形式をとっており、チャレンジに直面したときの呼吸法や瞑想の仕方について説明しています。鍵となる言葉は“Openness”つまり心を開き続けること。導入の部分でエゴについて語っている話をご紹介します。

人は誰でも「自分の好きな部屋」にいるのが好きです。ちょうどよい温度で、自分の好きな色や調度でしつらえており、好きな音楽がかかっているような部屋で過ごす時間は、当然ながらとても居心地がよいので、外に出たくなくなります。あるいは外の世界が脅威に感じられてくるかもしれません。たまに外に出ると自分の気に入らないものが目に入ったり、嫌な音楽が聞こえてきます。今までにないほど匂いなどにも敏感になり、あわてて部屋に逃げ帰ります。そのうち、外の世界の脅威が自分の部屋に入ってくることを恐れるあまり、空気が入ってこないように窓やドアを閉め切ったりしまいには隙間にも目張りをしたり、何重にも鍵をかけたりているうち、自分の好きなはずの部屋にいることが監獄のように感じられてくるかもしれない。エゴとは「自分の好きなものしか入れない」ようにすることで、それは自分を守るために始める行為なのですが、結局は自分を監獄に閉じ込めてしまい、その結果苦しみは大きくなってしまうということを彼女は言っています。エゴの大きさと苦しみの大きさは呼応していると。彼女によると、もしエゴがもう少し柔軟で、自分を鉄壁の防御で取り囲むのではなく、気に入らない状況に対しても少しでも好奇心をもつことができならば、かえって苦しみは軽減するのです。英語では“if ego is more ventilated”と言う言い方をしています。新鮮な空気をとりいれることができれば、というニュアンスです。

世の中の色々な宗教は、この「自分の居心地がよい場所にばかりいることはいずれ偏見や憎しみを生み出してしまう」と言う考え方では一致している・・・と彼女は言っています。エゴで凝り固まってしまうと自分以外の人はすべて敵になってしまうのです。ではどうしたら、もっと窓やドアを開けて、恐れることなく外界の空気や未知のものを取り入れていけるのか?そして、やってくるなにものにも心を開き続けていけるのか?ということがこの講演のテーマになっています。そして、このopennessの練習とは、自分の苦しい状況から自らを救うため、そしてもうひとつ大事な点としては、世界のどこかで同じ苦しみを経験している人のために行うのだと説いています。またその「苦しい状況」のなかに、自分の中の好ましくない感情についてどう対応するか、ということも含まれています。

例えば、先日「他人の成功を喜ぶこと」という記事で書いたように、誰でもときには人の成功を素直に喜べない気持ちになることもあるでしょうが、自分のそういった部分が嫌で仕方がないという人もいます。それは「他人の成功を素直に喜べる人でありたい」という思いがあるから、とも言えるでしょう。そうでなければ、嫉妬していてもそんな自分が嫌だとは感じないでしょうから。ペマ・チョドロンの教えは、自分が望まない状況への対応策としてだけでなく、「自分の綺麗でない部分」「立派な人でない自分」についても心を閉ざさずにいるためのものと言えます。「そのままの自分を受け入れるため」という言い方もできるでしょう。人間の器の段階として今はここにいるんだ、と言うことに対して抵抗することがより苦しみを増すことになるからです。言い換えれば一足飛びに「嫉妬しない人になる」ことを目指すのではなく、まずは「嫉妬する自分」に対しても親切な目を向け、その気持ちとより親密な関係になるということになるでしょうか。以前ある人がこう言っていました。“Perfection is never a goal. Practice is” 目指しているのは完璧になることではなく、努力し続けること。どこまで行っても終わりのない旅ではありますが、いつでも「練習」しているのだと思えば、自分に対しても少し優しくなれるのでは・・という気がします。

他人の成功を喜ぶこと

ハワイに来た翌週から週に一度通うようになった「サンセット・ヨガ」。刻々と変わっていく空と海の色を眺めながらヨガをするたびに、この場所にいられることへの感謝の気持ちでいっぱいになる最高の時間です。

クラスは、インストラクターのリードによって座って目を閉じて深呼吸をするところから始まります。このとき、日常のあれこれなどをいったん手放して、ヨガを行うこと、自分のために時間をとっていることを喜びましょうというようなことを言われるのですが、今まで参加した回では必ず彼女が付け加えることとして「他人の成功を喜びましょう」というものがあります。

これを聞くたびに私の頭の中にはFacebookのタイムラインが浮かぶのでした。Facebookのタイムラインを見ていると、成功や幸福というイメージばかりが多く、時に疲れたり嫉妬したりしてしまう・・・という声を聞いたことがあるからです。もちろん、ソーシャルメディアがなかった時代にも、いくらでも他人の成功や幸福を垣間見る方法はありましたが、今の時代はますます「人が何をしているか」を見聞きする機会が多くなっていると言えるかもしれません。そしてその結果、嫉妬というほど強い感情ではないにしても、「うまくいっている」「楽しい思いをしている」人々の様子を見るにつけ、つい自分の現状と比較してしまったりして落ち込んだり嫌になってしまう・・・という人がいても不思議ではありません。

疲れていたり、何かの犠牲になっているような気がしてしまっている時、他人の成功を喜ぶことはときに難しいものです。たとえ、他人の成功を心から喜ぶということが、思考の波動という意味では高いものだということを理性的には知っていても。誰にでもFacebookのタイムラインを見て(あるいは新聞やテレビなどで活躍していたりうまくいっていたりする人の話を聞いて)「ふーん、よかったね・・・でも心から喜べる気分ではない」と感じてしまうことはあるのです。おそらく、それでも自分の目標に向かって進んでいける人というのは、その思いを自分を駆り立てることに転換できる人、あるいは少なくともその状態に長くは留まらない(ことを選べる)人なのではないでしょうか。

このヨガのインストラクターもそういった人のひとりのような気がします。まだ3回ほどしか会ったことがありませんが、決して声高に何かを言う感じではないのに、芯の強さや秘めた闘志を感じされる素敵な女性です。ネットを見ながら邪念にとらわれる時間が長くなってしまった人は、思い切ってPCを閉じて、外に出てみるといいのではないでしょうか。週に一度、色々なことを「リセット」できる時間。これからも、この時間は家族の協力を得ながら死守していこうと思っています。

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