相手を知ると自分も変わる

よくビジネスなどの交渉ごとの場面で「”Win-Win”を目指しなさい」と言われます。Win-Winとは、文字通り「私も勝ち、あなたも勝つ」という意味です。アメリカではSteven Coveyという人の書いた”Seven Habits of Highly Effective People”という有名な本(日本語では「7つの習慣」)で広く知られるようになった概念です。この「どちらかが勝ち、どちらかが負ける」のではなく両方にとってよい解決方法を考えよう、というのは、RCB親子コミュニケーションコースでも兄弟げんかや夫婦喧嘩などの際の解決方法として提唱しているツールです。実際、うちでも子供たちが喧嘩を始めると「どうしたら二人ともハッピーになれるか」という問いかけをしています。

最近、このWin-Winについてもう少し考える機会がありました。ある人と自分との間にどうやら意見の食い違いがあるようなのです。相手と話し合う前に、自分が現時点で考えられる妥協のポイントをあれこれ考え、検討している私を見て、夫から「”Win-Win”の最初のステップは相手を理解すること。それから自分を理解してもらうことだよ」という助言がありました。彼は今まさにこのSteven Coveyの本をオーディオブックで聴いている最中なので記憶も新しく、次のエピソードについても話してくれました。

Stevenは本の中で「子供たちが騒いでいるのをとめもせずにボーっとしている父親」について説明していました。最初は「なぜ注意しないのだ」と苦々しく思っていたが、ついに耐えかねて「子供たちを注意したほうがいいのでは」とその父親に話しかけたところ、その父親は「実は彼らの母親(自分の妻)が亡くなったばかりで・・どうやって子供たちに話せばいいのか検討もつかないのだ」ということを打ち明けてきたというのです。その話を聞くまではStevenにとって彼は「子供を注意しないダメな父親」でしたが、話を聞いた今となっては「ぼーっとしているのは無理もない、何かしてやれないだろうか」と、状況を理解し、その不運を思いやる対象となったのです。当然、その時点では「では自分は相手に何を望むか」も以前とはまったく違ってきます。

夫は続けて「相手の状況をまず理解したら、その時点で自分は変わっているかもしれない。だから相手の状況を先に聞いて理解した上で、それから考えればいいんじゃない」と言いました。私たちは得てして「XXは~と思っているのに違いない」という推測をもとにあれこれと考えをめぐらせますが、実際のところは聞いて見なければわかりません。相手の話を聞いて自分の理解が深まり、その結果相手に対する気持ちが少しでも変わってくれば、その時点で自分が相手に対して望むことが変わる可能性もあるでしょう。最初のステップはこれからですが、とりあえず思い悩む前にまずコミュニケーションをとり相手を理解すること。そこから考えても遅くないと思った出来事でした。

声でわかる心の中

先日放映したインターネットテレビ番組”Wealthy Life TV”は私が「声でわかる!あなたの心の中」というテーマで話をしました。自分が心の平穏さを失ったことは、声にすぐに出ます。発している言葉そのものではなく、声のトーンや言い方に現れるのです。これは自分の周囲の人のことを考えてみれば容易に想像がつくでしょう。例えば「ありがとう」という、言葉そのものはポジティブな言葉でも、その言い方がつっけんどんだったり、皮肉っぽかったりすることで、その人の本心が見え隠れするような気分になる体験は誰にでもあると思います。

自分の声が平穏さを失ったとき、「カスタマーサービスの対応が悪いからだ」「XXが~だからだ」という風に自分以外の誰か(何か)のせいにするのはよくある反応です。でも、本当にそうでしょうか?「機嫌の悪さ」というのは実は自分で選択しているのです。あらゆる状況に対してどういう感情を持つかということは自分で選ぶことができます。「感情に押し流される」「感情はどうしようもない」という表現がありますが、より正確には「湧き上がる感情のまま行動することを選んでいる」ということになります。

一瞬、一瞬ごとに、自分がどう感じるか選択することができ、自分の声はその格好のバロメーターです。ひとつの注意点としては、カップルの方は、この知識を「相手の声が平穏でないことを指摘するツール」として使うのではなく、あくまで自分の心をモニターする手法として使うことをお薦めします。一番身近な相手に常に心の状態を指摘されるのはかえって喧嘩のタネになりかねませんから・・・

先日の番組はこちらからご覧いただけます(冒頭にコマーシャルが入りますがその後始まります)。

気が散りやすい脳

最新号のTIME誌で、”Wired for Distraction?”と題された記事を見つけました。今やFacebookをはじめとしたソーシャル・メディアを引き合いに出すまでもなく、携帯電話や電子メールの普及で、子どもたちは起きている間、とても多くの時間を「ネット世界とつながって」暮らしています。この記事を書いた記者は「子どもがネット世界でいじめられていないか、不適切なサイトを見ていないかということよりも、これだけ常に『つながっている』ことが脳にどんな影響を及ぼすかについて心配している」と書いています。

記事では、まず”continuous partial attention”ということに対する危険について述べられています。直訳すれば「継続的な散漫な注意力」とでもいうのでしょうか。ある調査によると、8歳から18歳までの子どもは平均で7時間38分もの時間を「エンターテイメント・メディア」に費やしており、例えば「テレビを見ながら携帯メッセージ」などの時間をのべで計算するとその時間は11時間にもなるそうです。

続いて、脳から分泌される物質にまで言及し、普段からそういった邪魔がないような状態で集中して問題に取り組める人と、そうでない人では違う物質が出ていると説明しています。同時に二つ以上のことを行うことを英語で”multi-tasking”と言います。普段からネットや携帯で「つながって」いて、何かをしながらメールやメッセージを見たりしている人のことを”multi-tasker”と言及し、彼らはそうでない人たちと比較すると、情報を吸収する際に脳の違う部分が活発になっているため、結果として「”multi-tasker”は単純作業で働くには問題がないが、今の子どもたちが将来的に高収入の仕事を得たいと思ったら必要不可欠になるハイレベルの思考をすることは難しい」と結論付けています。そういったハイレベルの思考をするには脳の海馬という部分を活発にしなければならないのですが、常にメッセージで邪魔されながら何かを習うことに慣れてしまうとそれがうまく作用しないという趣旨でした。

この記者は11歳のお子さんを持つ父親でもあるため、起きている間中ネットや携帯電話とつながっている状態を好ましくないものと考え、学校にいる間はFacebookは見ない、携帯電話使用も夜9時半まで、などという一定のルールを設けたと書いていました。私もこの記事を読んで、子どもたちの脳は私たちの世代とはきっと違っているのだろうと思わずにいられませんでした。私がメールを日常的に使い始めたのはせいぜい大学院留学時代なのでまだ10年ちょっとくらいのものですが、それでも、コンピュータに向かっている1時間ほどの間、Facebookやメールを開かずに集中して仕事をすることが難しいと感じることもあります(よいアイディアが浮かばないときはなおさらです)。これは、人間は「他人とつながっていたい」と感じる社交的な動物だからで、「メッセージがあります」という知らせを見ると脳にドーパミンという物質が出るからなのだそうです。生まれたときからコンピュータのみならずモバイル端末が周囲にあるような状況では、この記者のように親がこの問題について認識して、対策を講じていかないと、「必要な時には海馬がちゃんと働ける」ように情報を吸収させ物事を習わせていくことは困難でしょう。家で両親が四六時中コンピュータに向かっている姿を見せることにも問題があるに違いないと危機感を感じさせる記事でした。

こうして思い込みは作られる

先日、旧正月のお祝いで家族と一緒に食事に出かけました。実は、私は子どもたちと一緒にきちんとしたレストランで食事をするのがあまり好きではありません。子どもたちが騒ぐことが心配でゆっくりと食事を味わう・・という感じにならないからです。先日もレストランを出る頃には何だか気疲れして、あ~あ、せっかくの外食だったのに、でも予想した通りだった・・・という気分でいました。

家に帰るまでの車の中でふと思い当たったのは、これも「再生のメカニズム」(Cycle of Recreation)なのかな・・ということでした。この概念は、たびたび書いているRemembrance Courseというコースで出てくるものですが、ある出来事の経験をきっかけに、自分の思い込みが作られるという仕組みのことを意味します。似たような体験を何回か重ねていく中で、その思い込みを裏付けるような証拠に目が行ってしまうため、さらにその思い込みが強くなっていく、というものです。例えばこの「子どもとの外食は楽しめない」という例をとってみても、子どもが生まれて以降の4年間、いろいろなところで外食する機会がありました。それらの何回かの経験から、今ではもうレストランに入る前から、あるいは極端な場合には「レストランに行く」と考えただけで、「またバトルが始まる・・」という気持ちになっています。そうすると、その期待感(この場合は不安感ですね)をもったまま着席し、手早くメニューを見て注文し、食事が来たらものすごい勢いでとにかく口も聞かずに食べて・・・というプロセスを経るため、じっくり食事を味わったり会話を楽んだり余裕もなく、怒涛のような時間が過ぎる・・・という経験を何度もしてきています。

でも、きのう車の中でよく考えているうちに「そういえば昨日は子どもたちは比較的お行儀よくしていたな」「頼んだ料理も悪くない味だった」など、よかったこともあったということに気がつきました。再生のメカニズムで興味深い点は、ある期待感をもったまま出来事を体験すると、その期待感を裏付けるような現象のみに無意識に集中してしまうため、良くも悪くも「期待はずれ」の部分があっても気がつかないでいる(あるいは、重要ではない情報として処理をしている)ことなのです。そもそも、多くの場合は人々は自分がそのサイクルにいることさえ気がつかないわけですから。でも、ひとたび「これは自分が作った思い込みだ」ということに気がつくと、そこから脱却して、別の選択をする可能性がでてきます。人にこのことを説明するとき、私は「創造性のブロックが外れる」と表現していますが、問題にのみフォーカスするのではなく解決方法を見つけることに注力することで、自分自身に違った種類の質問をすることができます。同じ外食をするにしても、子どもが多少子どもらしく振舞っても大丈夫なレストランや、注文するとすぐに食事が出てくるようなところを選ぶことも一つの案だし、あらかじめ一緒に行く人に協力を仰いでおくとか、行く時間帯を考えることもできるでしょう。友人の家族は電子ゲームやDVDプレーヤーを持参することもあると言っていました。「XXなために~ができない」という思考をしていると、解決するためにいくつもある方法を考えることすら面倒くさかったり気が向かなかったりしますが、それは好ましくない思い込みが強化されていくことにエネルギーを奪われてしまっているからなのかなと感じました。実際、この状況への対応策として、今までの私だったら「基本的には子ども連れでは外食に行かない」ということしか頭にありませんでした。何かの機会でそれが避けられない場合にも、最初から「楽しくないだろう」と思って出かけているのですから、その通りの感想を持って出てくるのもある意味当たり前なのかな・・と悟った次第です。

この「再生のメカニズム」の大切な点は、自分の思い込みに気がついたからといって、それを変える必要はない、ということです。別の選択肢もあるが、敢えて自分は今までの路線を行くということも十分に起こりえます。ただ、その場合には今までよりも主体的な選択ができるようになります。そうすると、例えばこの場合で言えば「子どもたち」を理由に食事に行かないというよりは、いろいろ対応は取れるけれども自分としては行かないのが一番気が楽だから・・ということで、今度は完全に「自分の選択」になります。そのため、「子どもたちのせいで犠牲を強いられている」といったような被害者意識からも自由になることができます。そのことだけをとっても、思い込みのメカニズムに気がつくことにはとても意味があるのではないか・・・と思いました。皆さんも日常生活の中で、自分のコントロール外のことが自分の行動を決めてしまっているような気分でいるとき、「思い込み」がないかどうかに目を向けてみては如何でしょうか。もしかすると、創造性のブロックが外れてよい考えが生まれてくるかもしれません。

Happiness = Inside Job

フロリダに往復する飛行機の中で、以前から色々な人が推薦していた“Bird by Bird”という本を読みました。”Some Instructions on Writing and Life”という副題のついているこの本はAnne Lamottという作家の書いた「書くこと、そして人生についての指南書」です。とても面白く、行きと帰りの飛行機で読みきりました。

この本は、目次を見る限りでは”Writing”、つまり書くことのプロセスについて、彼女が教える「小説の書き方クラス」の流れに沿って説明されているかのように見えますが、小説の書き方のテクニックというよりは心構えに重きがおかれています。例えば、「出来の悪い草案」についての章では、自分の頭の中で聞こえてくる「こんなのは読む価値もないものだ」「自分には才能がない」「時間の無駄だ・・・」というような声をどのようにシャットアウトして、毎日のように机に向かってとにかく文章を紙に書いていく(コンピュータに打っていく)ことが大切か・・ということが書かれています。また、彼女のクラスには、当然ながら「いつか出版したい」と思う人たちが集まってくるわけですが、正直なアドバイスをしたときの彼らの反応や、小説化志望の人たちがするべきこと(例えば、作品を批評しあえる友達やグループを作るなど)についても書かれています。

彼女の本の中では”Operating Instructions”だけが日本語に訳されているようです。こちらの本については「これは育児書ではなく、赤ちゃんが生まれて大奮闘しているシングルマザーの日記です。ユーモアあふれ、突っ込みどころも多い楽しい本です。 自分の子供がまだ赤ちゃんのときに手にして読んだのですが、日常の大変さを笑い飛ばすことができました」というアマゾンのレビューがありました。”Bird by Bird”の本の最後のほうに、自分がそれまで書いてきた本のことについても言及があったのですが、個人的なこと(父親の死、親友の死、自分のシングルマザーとして赤ちゃんを育てた最初の一年)などをテーマにしながら、「でも同じようなことが起こっている人がいるかもしれない。そんな人たちが読んで、おかしくて笑えて勇気が出るような本があればと思った」という、彼女が書く動機に触れることができます。

中でも秀逸だと思った箇所は「出版」についてのくだりで、出版前の小説家志望者たちの「出版すれば人生がバラ色になる」という幻想を見事に打ち砕くような自らの経験が書かれています。そこで出てきたのが表題の言葉です。「クール・ランニング」というジャマイカのボブスレーチームがオリンピックに挑んだ映画の中でチームのコーチが言った “If you’re not enough before the gold medal, you won’t be enough with it” (金メダルをとる前に『自分は十分だ』と思えないのであれば、金メダルをとったってそう思えやしないよ) 」という台詞を引き合いに出し、「出版も然り。この台詞を切り取って机の前に貼っておくといい」と書いています。そして、”Being enough was going to have to be an inside job”である、と。“Inside Job”とは「中にいる人の仕事」という意味で、よく犯罪ドラマなどで使われる言葉ですが、ここの意味は「外からの評価とは無関係のところで、努力した自分の頑張りについて、あるいはその出来について、自分自身の満足感で心が満たされていないのであれば、たとえ金メダルや出版というゴールを達成したところでそれが変わることはない」というところでしょうか。

私たちもよく「○○さえあれば・・」「XXが△△でありさえすれば・・」、そうすればもっとハッピーになれるのにという思考に陥ることがあります。これは現在のことでも過去に起こったことでもそうでしょう。でも、「今、ここ、この状態」の自分に対して心が満たされていなかったら、それらが叶ったところで一時的な渇きはいやされても、いずれまた別の何かがないとハッピーでいられなくなるのではないでしょうか。Anneは自分の体験も交えながら「作家にとっては書くこと、書けることがすでにご褒美だということを噛み締めなさい」と言っているかのようです。また、外からの評価とは無関係の価値基準で、”enough”、つまり「自分は精一杯やった」ということに満足できるようになるためには、人間的な成長が必要です。罰や、物や愛情というご褒美を理由に頑張るような状況では、この”Inside Job”のスキルを身につけることは難しいのかもしれません。

彼女の本は他にもたくさんあり、いくつかはオーディオブックにもなっていて図書館で借りられることがわかりました。彼女の他の本も読んでいきたいと思います。

“Life Loves You”

先日の記事にも書いたRemembrance Courseが昨夜7時半ごろ終了しました。私自身、参加者としての受講は2008年の6月でしたが、それから2年後の去年の6月からアシスタントとして参加してきました。一度コースを受講すると、アシスタントとしての参加ができます。参加者の時とはまた違った気持ちや視点でコースを体験できるため、より包括的な学びが体験できると言われています。何より、一緒にコースを受講し、またサポートをしている仲間とは、とても気持ちのよい時間を過ごすことができるし、初めて受講する参加者のために提供する時間や労力の何倍ものギフトを受け取ることができます。それはいろいろな気づきであり、学びであり、また自分が完全に受け入れられていると感じられることです。

今回は11人が参加し、日本人では18歳になっていた一(はじめ)君と、彼のお母さん、そしてもう一人21歳の青年がいました。一君は、ALSという難病を抱え、無理もないことですが、死が迫っているという状況で、コースを受ける前はとても落ち込んでいたそうです。12月11日に初めて彼の病気のことを知った直後から、このコースがきっと役に立つはずだと確信してその実現のために行動を開始し、多くの方の協力で、彼だけでなくお母さんも一緒にコースの受講ができることになりました。でも、正直なことを言えば、金曜日の夜はとても不安でした。行動を開始して参加費集めをしている時は「きっと役に立つ」という思いは確かでしたが、いざ参加が決定してコース開始の日が迫ってくると、「どんな期待をもってコースに来るのだろう」「どういう風に彼の助けになるのだろうか」という気持ちも湧いてきました。このコースは、すべての人に対して同じ質問をし、同じワークをするという形式ではなく、一人ひとりに必要な学びが得られるようにデザインされているので、何が起こるかということは文字通り蓋を開けて見なければわからないからです。金曜日の夜が始まった時、私が言い出したことで多くの方を巻き込んで二人をこの場に連れてきたのはいいけれど、もし「期待はずれだった」ということにでもなったら・・・という不安が頭をよぎりました。

金曜の夜は基本的な概念の説明と、チームワーク作りの活動をして解散になりました。土曜日の朝、一人ひとりの「順番」を決め、それぞれの参加者が前に出て自分の抱えているチャレンジや、コースに来た理由を説明し、インストラクターの導きによって段階を追って必要な学びを掴み取っていきます。今回の参加者の特徴としては若い人が多く、16歳~21歳が4人もいたことでした。また他の参加者も、自分についてもっと知りたいという好奇心を最初から持っている人ばかりだったので、グループとして打ち解けるのも比較的早かったように思います(意外に思うかもしれませんが、このようなコースに来ても、自分に好奇心を持つところまでとても長い時間がかかる参加者もいます)。

一君の順番は土曜日の夜、その日の最後でした。昼前にお母さんの番が来て、彼もそこに少しだけ登場しましたが、その夜まで、他の参加者は彼の病気のことは知らされていませんでした。その日一日中、一君がとても穏やかで、楽しそうで、他の参加者とも普通に交流をしていたためもありますが、インストラクターが彼の病気の話をした時、私にはみんながはっと息を呑む音が聞こえたような気がしました。涙ぐんでいる人も何人もいました。二人のインストラクターは、彼に対して「人生にはいろいろなことがある。いいことも嫌なこともその中には混じっている。でも、いいことだけを体験して感じて、いい気持ちにだけなることは難しい。悲しみや辛さを感じないようにするということは、気持ちを感じる神経を麻痺させるようなもので、そうしていると、喜びや嬉しさも感じられなくなる。生きるっていうことは、それらすべてが詰まっているパッケージなのだから」ということを説明しました。また、悲しみや辛さを表現できるような仲間や友達を作ることも、自分自身の責任なのだということも。

その後、その場にいる全員に対して、「一君に対して『可哀想』という気持ちを持つことは、彼がこれから先の人生を力強く生きていく助けにはならない。憐れみではなく、彼に対する愛情や感謝の気持ちから、あなたが彼から何を学んだか伝えてください」という指示がありました。一人ずつ前に出て、彼の手をとったりハグしたりしながら、彼がその人に何を教えてくれたか、彼の笑顔がどんなに素晴らしいか、彼が難病を持ちながらもこの場にいることがどんなに勇気を与えてくれたか、自分もつらいのにお母さんの気持ちを気遣う優しさに感銘した・・・などということを伝えていきました。中でも私が驚いたのは、自分の周りに殻を作って閉じこもっていた青年が「一君の存在があったから自分はこんなに早く殻を破って出てくることができた」と言ったことでした。一見、何の接点もないように見えた二人でも、そんなことを感じ取っていたのか・・と思いました。周囲を見回してもみんながこのことに対して同じ感動を味わっていたことは明白でした。

このコースの素晴らしさはこんなところにもあるのです。一人ひとりは自分のそれぞれの理由から参加してくるのですが、来てみると自分の存在が誰かのインスピレーションになったり、他の参加者が抱えているチャレンジを乗り越える手助けを文字通りすることになります。その結果、今まで行き場のなかった思いや、整理をするツールを持たなかったために封じ込めていた気持ちなどを表現し、昇華させていくことができるのです。面白いもので、その過程で、その人のために役を演じたりして手助けしている人にとって、それが必要な学びや癒しになっている・・・あるいは、それを受け取るのに最適な人が選ばれていくのです。こうして見ず知らずの人とだってこんなに濃い心の交流ができるという経験をすると、現在自分を取り巻いている人間関係についても、一呼吸置いた新たな視点から考えることによって、新しい道が開けてきたり、愛情や感謝の気持ちを持つことができたりします。

全ての人の順番が終わり、それぞれが次にとるべきステップをインストラクターから受け取って、日曜日の夜7時半すぎにコースは終了しましたが、中々去りがたい気持ちでみんな話をしたりお別れを言ったりしていました。会場を出て三村ご夫妻のお宅に向かい、そこで一君の一家も交えて夕食をいただきながら、一君は興奮した様子でコースのことを話していました。彼のご両親も、「表情が違う」と驚いていました。実は、コースの最中は一君とじっくり話すことはなかったのですが、その夕食の席で、彼は「このコースに来られて本当によかった。これから病気と闘う強い気持ちになれた」「教会にもサポートグループがあるんだけど、このコースで感じたみんなの愛情がとても嬉しかった」「4月の次のコースに戻ってきてアシスタントをする。10代のためのコースのヘルプもして、って言われたから、それもやる」と、これからの抱負を力強く語ってくれました。インストラクターからの彼の次のステップには、”Life Loves You”という言葉も入っていました。「毎日、この言葉を実感できることを何かすること」という課題でした。

今回、私もまた多くの学びがありましたが、ひとつだけあげるとすれば「リスクを取ることを恐れない」ことだったと思います。自分が大切にしているものや、いいと思っていることを人に伝えたり、そのイベントに招待することにはリスクがあります。拒絶されたり、今までと違う目で見られてしまったり、また実際に体験してもらって必ず楽しんでもらえるとは限りません。でも、その人が気に入るかどうかまでを自分の問題として引き受けるのではなく、結果を恐れずに、自分がいいと思うことは人に伝えてみること。「この人によさそうなんだけど、どうかな」と思いながら、恐れを優先させて行動をとらなかったら、その結果自分が傷つくこともないかわりに、その人にとって役に立つ経験になるかもしれないというチャンスもなくなってしまうのですから。インストラクターに”Thank you for taking the chance and bringing these beautiful people” と言われた時、このリスクならとる価値がある、と心の底から思いました。これから先も何度も何度もこのリスクをとるだろう、と。

次回のThe Remembrance Course4月29日から5月1日です。参加費は大人$475、学生$425で、申し込みを受け付けています。コースについてのお問い合わせはメール(etsuko@mypeacefulfamily.com)にてご連絡ください。

人生の青写真

前回の続きです。
2007年の10月、次男誕生を目前にIndigo Villageの代表Susie Waltonが教えるRedirecting Children’s Behaviorという親子コミュニケーションコースを教え始めました。コースの内容に非常に感銘を受け、インストラクターになることを決意。このインストラクター・トレーニングの過程でRemembrance Courseを受けることになりました。

Indigo Villageで行われているこれらのコースを受けていくうちに、それまでよりもSpirituality(スピリチュアル的なもの)により興味が湧いて来ました。どのコースも特定の宗教色はありませんが、万物はつながっているという考え方、つまり”oneness”というコンセプトを大切にしていました。Remembrance Courseの次に受けた”Freedom To Be”と言うコースの教材の最後に、Onenessと題された一節が載っています。

“The largest living organism in the world is a grove of aspen trees in Utah. They each look separate but have a single united root system.

When we learn to stop blaming, we will be able to recognize how we are all one and cannot harm one another without harming ourselves…..”

これは、一見、別々の木のように見える枝が実は根っこではつながっていること。私たち人間も同じで、周囲のせいにしたり責めるのをやめたとき、私たちはみんなひとつであり、自分自身を傷つけずに相手だけを傷つけるということは有り得ないということに気がつく、と言っています。

先日、オレンジ・カウンティに住むスピリチュアル・カウンセラーのMieさんとお話をしたときにもこの”Oneness” という言葉が出てきました。せっかくの機会なので、私たちのインターネットTV番組「Wealthy Life TV」にご出演いただき、「人生の青写真」という考え方についてお話しいただきました。Mieさんによると、魂は「この世ではこんな学びをしよう、そのために必要な経験をしよう」と自分で決めてくるのですが、生まれるときにそのことを忘れてしまっているそうなのです(次に何が起こるかわかっていたら効果的な学びにならないので)。それぞれの魂には果たすべき役割や使命があり、それを達成したときに寿命が来る、と。また、魂の学びにもレベルがあり、よりハイレベルな学びをする魂は、チャレンジの多い人生を自ら選んでくる、それはあたかも自分で「中学レベル」や「大学レベル」などの問題集を選んで来ているようなものなのだそうです。でも、魂はそれぞれ自分の成熟度を知っていて、手に負えないレベルを選んで来ることは絶対に有り得ないということでした。

この考え方は既存の宗教とは少し離れたものかもしれません。例えば仏教では親より先に死ぬことは親に悲しみを与えるため重罪という考え方をしています。でも、Mieさんのお話ししてくれたこの考え方では、使命を果たしたから寿命が尽きて今生が終わった、ということになります。人は自由な思考能力がありますから、どの宗教を信じるか?どの考え方を採用するのか?は自由に選択ができます。いろいろな考え方があるからこそ人間らしいのであって、みんながこの考え方に賛成する必要はありません。ただ、みろくを亡くした経験のある私にとって、大切な赤ちゃんが「親不孝の罪をつぐなうために賽の河原で石を積んでいる」と思うよりも「魂の学びのためと、私たちに何かを教えるために来てくれて、そして使命を果たしたから去っていった」と考えるほうが納得がいきました。

また、「魂が人生の青写真を自分で選択してくる」と考えれば、現状がどんなに苦しかったとしても「乗り越えられないはずはない」と知る・あるいは信じることで、生き続けられる場合もあるのではないかな、と思います。例えばいじめられていたり、夫婦仲が悪かったり、子どもが暴れていてその瞬間は可愛く思えなくても、自分にはその状況をなんとかする力があると信じて、何かいい方法ないかな?と問いかければ、脳もそれに答えようとするでしょう。Mieさんのお話を伺って、現代に生きる人々の多くに勇気を与えてくれる考え方ではないかな、と思いました。「人生の青写真」以外にも示唆に富むお話がたくさんありましたので、見逃した方は是非こちらから録画をご覧ください(音声が不安定なので聴きづらいかもしれません。Mieさんの周辺ではよくあることとおっしゃっていました)。Mieさんのブログはこちらです。

あなたは神を信じますか

大昔ですが、日本で表題のフレーズが流行ったことがありました(日本に来ていた宣教師の口調を真似たカタコト日本語風でした)。日本人が海外に出て初めて気がつくことのひとつに、日本人と外国人との宗教感覚の違いがあります。私は高校生の時にAFS交換留学生としてドイツに行った際、ホストマザーから「日本ではクリスチャンが人口の3%ほどしかいないのに、なぜ教会でのウェディングがあれほど盛んなのか」と聞かれてうまく答えられなかったことがありました。とても印象深い体験として今でもよく覚えています。

著書「国際結婚一年生」でも書いていますが、その後結婚してアメリカに来た時も、あなたの信仰は何か?ということを問われる機会が少なからずありました。一時は夫の家族関係を壊しかねないようなところまで発展したこの問題に、私は「日本人同士だったらここまでにはならないのではないか」と感じました。

アメリカで”Do you believe in God”? と聞かれる場合、かなりの確率でそのGodはキリスト教の神を差しているといっていいと思います。ホテルに泊まれば必ず部屋にはキリスト教の聖書がありますし、数字の上だけから言えば人口の80%近くが「自分はクリスチャンである」と言う社会では、「神がすべてを創造した」という見地から、ダーウィンの進化論を公立の学校の授業で教えるべきではないという議論が真剣に行われたりします(創造論といわれる考え方です)。このあたりは、日本で生まれ育ち、特にキリスト教に関する宗教的・学問的な教育を何も受けずにきた人にとってはすぐには理解しがたいものがあるのではないかと感じます。いずれにしても、日本にいる時と比べると、アメリカで暮らしていると宗教についてより考える機会が増えることは確かでしょう。

また、多様な文化が混在するアメリカでは、キリスト教以外にもさまざまな種類の宗教を信仰している人々が多くいます。たとえばクリスマスを祝わないユダヤ教のご家庭では、子どもをクリスマス会にも参加させない方針ということもあります。今年のクリスマスは家族でサンフランシスコに行きましたが、クリスマス当日の12月25日に唯一開いていた博物館は”Contemporary Jewish Museum”でした。そこには、仏教も神道もキリスト教もある意味寛大に受け入れ、それぞれ宗教的な意味を持った行事を部分的にでも生活に取り入れてお祝いやイベントをしている日本人の習慣からは遠く離れた、「明確な線引き」のようなものがあるように感じます。

私の宗教(的なもの)との関わりは、夫の家族とのことを別にすれば、サンディエゴに来てから何回か仏教のお寺のサービスに行った程度に限られています。でも2007年にIndigo Villageに出会ってから、宗教というよりはスピリチュアル的なものについて、日本にいた時よりも高い関心を持つようになりました。これについてはより詳しく次回の記事で書くことにします。

心から外に出ないものごと

心から一歩も外に出ないものごとは、この世界にはない。
心から外に出ないものごとは、そこに別の世界を作り上げていく。


これは村上春樹の「1Q84」の2巻目の帯に書かれていた言葉です。
12月に日本で第3巻を入手したことをきっかけに、改めて第1巻から読み返していて見つけました。最初に読んだときには特に気に留めなかったのですが、2010年の終わりにこの言葉を見つけて、なぜかとても気にかかっていました。

その理由のひとつとして、「感じる気持ちには良し悪しはない」という考え方があります。私が教えている親子コミュニケーションコースでは、「『ポジティブな感情』・『ネガティブな感情』という価値判断は私たちが勝手に行っているだけで、どんな感情もそれ自体は中立である」というコンセプトを提案しています。例えば、子どもが何らかの事情で泣き出してなかなか泣き止まないとき、私たちは場合によってはとてもいらいらしたりします。

でも、「泣くこと」自体はよくないことでしょうか?
泣くことにはいろいろな利点もあります。大人の私たちでも、泣きたいだけ泣いたあとというのは気分がすっきりしたりするものですよね。適切な形での感情の表現や発散は必要なものだと私は考えています。

たとえば、痛みや悲しみなど、一般的には『ネガティブ』とされている気持ちを感じることは「つらい」という思い込みにより、その気持ちに浸ることを避けてしまった場合・・・じっくりと感じつくされなかった感情や、表現する場のない感情というものは体内にたまっていきます。ストレスや心配事をうまく発散したり解決したりできずにそのままにしておくと病気になってしまうことは、多くの人が自ら体験したことがあるか、あるいは体験した人を知っているのではないかと思います。

村上春樹の「1Q84」は小説ですが、この言葉は私にとって非常にリアルな響きがありました。心の中で何かを思ったり考えたりしても、それをその場で思いのままに表現することが不適切であれば、そうせずに生きていく術を大人であればもっていなければなりません。そのスキルを持たなければ、普通に社会生活を送ることも難しい場合もあるでしょう。でも、心の中で感じたけれど、何らかの形で表現しなかった、あるいはできなかったことは、そこに別の世界を作り上げていき、場合によってはその人の現実の世界にも影響を及ぼしていくとしたら・・・それが本当であるなら、人は心の中で思ったことについての責任のようなものをいずれ何らかの形でとることになる、ということかな・・と、正月気分をあまり感じさせないアメリカで迎える新年の2日目に考えました。

2011年、どんな形で私の心の中のものごとが実現化していくのか、または別の世界を作り上げようとするのか、楽しみでもあり、また心していかなければ、という気持ちがしています。皆さんは今年実現させたいものごとについて、心の中にどんな絵を描いていますか?心の中にある、「こうはなってほしくない」という気持ちについてのケアはできていますか?

The Remembrance Course受講体験談

先月こちらの記事でもご紹介した”The Remembrance Course”が11月中旬にサンディエゴで行われました。今回は、前回のビデオにも出演していただいた三村ご夫妻と、サンフランシスコ在住の真矢さんという日本人の方を含む10名の参加がありました。コース終了後、真矢さんからとても素敵なメールが届きましたので、本人の許可のもと、一部をこちらに掲載します(*掲載箇所は原文のまま。文中のBruceはメインのインストラクターの名前です。また、真野さんはサンフランシスコの学校で働いています。)

”3日間の体験で、私のLove Potは一杯になりました。前は、腐りかけた牛乳がはいっていて、すっぱかったのに、今ではあったかいココアが湯気をたたえているようです。仕事場でも、子供たちをHugしたくてウズウズしているので、生徒たちが私を笑っています。でも、それはいやな笑顔ではなく、嬉しさ満ちているようなので、これもいいかな?と思ってます。相手が考えていること、私をどう見ているかを気にしないとConnectできないと思っていた私が嘘のようです。私が、愛情を振りまいていれば、相手は自然とよってくるし、彼らのエネルギーもとっても暖かいものです。Bruceが言っていたことが、頭ではなく心でわかりました。あとは、このLOVE POTをいつもFullにするためにMaintainを怠らないこと、それが肝心ですね。 いまは、家族から、友人からたくさんの愛情を受けています。そして、もし本当に空になりそうなときは、SDに向かって車を飛ばします! VillageにいけばRe-Chargeできる!そう思える場所を見つけられたことを悦子さんに感謝したいです。”

このメールを読んで、私がIndigo Village(コースが行われる場所)に行くたびに感じる気持ちを共有できる人がまた一人増えた気がしました。また、一緒に参加された三村ご夫妻には、前回のようにインタビューにご協力いただきました。

この”The Remembrance Course”は全米の数箇所で、何ヶ月かおきに行われています。今のところ日本語で受けられるところはありませんが、サンディエゴでのコースであれば私がアシスタントとしてコースに参加し、日本語の通訳のサポートをすることが可能です。

また、”The Remembrance Course”に参加したいけれど・・・と迷っている方のお問い合わせも増えてきました。そんな方には、ミニ体験のできるYour Infinite Life Workshopをお薦めしています。こちらは月に一度、様々なトピックで自分と向き合うことのできるワークショップです。こちらのワークショップについては、11月24日に放映されたUST番組(インターネット上で見られるテレビ)の後半部分で少しご説明しました。録画をこちらで見ることができます。次回は12月16日(木)6時半から、La Jollaの会場で「プロジェクトを最後までやり遂げる方法」というテーマで行います。ご興味のある方はコンタクトのページからお問い合わせください。

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