結婚したい相手の年収は?

明日、「国際結婚」をテーマにしたスカイプでのセミナーの初回を行います。この企画は国際結婚の縁結びをサポートするKaiwa-USAという結婚紹介サービス代表の松本直子さんとタッグを組んで行います。松本さんとは私の本「国際結婚一年生」をきっかけに知り合いました。一年ほど前からスカイプで何度かお話しをしており、一緒にやりたいことのひとつにこのセミナーがあったのですが、私の妊娠・出産や移動などもあり、明日が初回の開催の日となりました。

今回のテーマは、国際結婚をする中で一番大事だと思われる言葉の問題、そしてトラブルになりやすいことのひとつ、お金の問題について。特に、後者については日本式の考え方が通用しない部分も大きく、それだけに結婚してから「こんなはずではなかった」とならないように気をつけるべき点です。例えば、婚活中の女性はパートナーに求める年収をあげるときに、「その年収の額=二人のために使えるお金」という認識をお持ちの方がほとんどでしょう。でも相手が日本人でない場合、これはそれぞれの考え方によって全く違ってきます。「年収一千万以上」と言ったところで、それだけ稼いでいる人が「夫婦といっても財布は別々で。(自分の分は自分で稼いでね)」という考え方であればどうでしょうか。相手に一定以上の年収を求めるのは自分が仕事を辞めても(あるいは自分の収入が少なくても)家計が困らないように、という理由であるならば、年収がそこまで高くなくても「夫婦なんだから財布はひとつで」と考える人と結婚する方が理にかなっているかもしれません。そして、その人の考え方として財布がひとつなのか?ふたつなのか?ということまでは「釣書」(あるいはネット上でのプロフィール)は教えてくれません。

以前、「夫婦、この不思議な関係」という曽野綾子の本について書きましたが、この本にも「まず出会って(知り合って)みなければわからない」という趣旨のことが書かれた箇所があります。以前も別のブログに書いたことがありますが、私が特に気に入っている部分で曽野綾子はこんな意味のことを書いています。

背の高い人とでなければ結婚したくないと公言していたある女性が、何年かたってみたら、自分より背の低い(でもそれを補うに余りあるほど頭のよさそうな)男性とよりそっていることがある。彼女は「ハイヒールでダンス踊れる相手がよかったのに」と愚痴を言ってみせるかもしれないが、心中ではこの夫でよかったと思うようになっている・・・

著者はこの例を引き合いに出して、
「この価値観の突然の変質、物の考え方の成長が、結婚が平凡な私たちにもたらす比類なく大きな贈りものである。それにはまず相手に会わなければならない。それから結婚にすすむかどうかを考えても遅くない。結婚を望むと言いながら、会わない前に条件をつける人、というのは、結婚をではなく『商取引』を望んでいるだけなのであろう」と言い切っています。

この年収の話というのも本当に下世話な例ではあるでしょうが、「出会ってみなければわからない」という点ではまさにそのとおりなのではないかと思います。明日はこういった話も交えながらセミナーを進めていきます。この国際結婚をテーマにしたスカイプ・セミナーは今後も継続して開催する予定です。今後の告知はまずメルマガで行い、定員に満たない場合にブログで呼びかけますので、ご興味のある方はこちらからメルマガにご登録ください。

「私とXXと、どっちが大事なの!?」

国際結婚の難しさというと、言葉や文化の違いが真っ先に思い浮かびます。ただ、私は著書「国際結婚一年生」でも書いたように、自分自身のクローンと結婚するのでない限り、相手が外国人でも同じ国の人でもそれは「異文化体験」だと考えています。国際結婚の場合はその「相手との違い」がより顕著で、わかりやすいというだけです。それに「この人がどんな人か、大体わかった」と思ったとしても、人間は時間とともに変わっていくもの。我が家も今年で結婚10周年になりましたが、いまだに「この人はこんな考え方をするのか」と驚かされることもあったりして、「違う人間同士が完全に理解しあう」ということはありえないのではとも感じます。

例えばカップルで喧嘩の種になりやすいことのひとつに「趣味(あるいは興味)」というものがあります。要は相手の趣味(興味)に自分は興味がない。興味がないだけでなく、相手の趣味が嫌いだった場合、そのために何度も話し合いをすることになるかもしれません。もしその趣味が極端にお金がかかったり時間をとられたりするものであればなおさらです。我が家の場合、二人の興味が分かれるところといえば、夫のアニメやSF好き+アプリ開発好き、スポーツだったらテニスをすること。そして私は自己啓発系の本やブログが好きで、パーソナル・ディベロップメントのコースに週末に出ること、そしてヨガや瞑想を習うことなど。でも今あげた事項の中で、結婚前にお互いにわかっていたことは夫のアニメやSFが好きということだけでした。その他のことはすべて、結婚後にした私たちが経験したさまざまなことによって湧いてきた興味、あるいは新たに始めた趣味だと言えます。

パートナーが何かに没頭して(しすぎて)、カップル間に亀裂が入るということもあるでしょう。そんなとき「私とXXとどっちが大事なの!」と選択を迫るような態度をとる人がいますが、長い目で見ればこのような態度はパートナーとの間を親密にする役にはあまりたちません(逆効果になることは多々あります)。そのときは相手は「反省」するかもしれないし「君だってXXにたくさんお金(時間)を使っているじゃないか」と逆ギレされるかもしれない。私自身、夫が最近はまっているライトノベルを暇さえあればスマートフォンで読んでいる姿を見るにつけ思わず何か言いたくなることがあるのですが、そこでいつも思い出すことがあります。よしもとばななの「キッチン」の続編に出てくる場面で、田辺という主役の一人の男性にふられたという女性が「田辺くんは女の子を万年筆とかと同じようにしか気に入ることができないのよ」と言い、それに対して主役の女性がつぶやくくだりです。いわく「私は雄一に恋してないので、よくわかる。彼にとっての万年筆と彼女にとってと、全然質や重みが違ったのだ。世の中には万年筆を死ぬほど愛している人だっているかもしれない。そこが、とっても悲しい。恋さえしてなければ、わかることなのだ。」

これを思い出すと、少し冷静になることができます。自分が特に興味のないことだからといって、あるいは相手の趣味が自分に注意を向けてくれない原因のように思えたとしても(多くの場合これが本当の原因であることはないのですが)、だからといって相手の趣味や興味を否定することは何も生み出しません。本当にその何かに意味を見出してこだわりをもっている人にしてみれば、それを否定されれば「相手は自分をわかってくれていない(信じていない、愛していない)」と思いたくなることでしょう。また、相手が何かを大事にすることが、自分を大事にしていないことになるという考え方は英語ではscarcity mentalityといいます。何かが「限られている(少ししかない)」という考え方です。この場合、相手が与えることのできる愛情は限られているという考え方に基づいて、趣味を大事にしている=自分を大事にしていないと思ってしまいがちになるのですが、これもすぐさまイコールではありません。

じゃあ相手の趣味を好きにならなければいけないのか?と言われれば、私はそんなことはないと考えています。前述のように、結婚前に相手についてすべてのことを知ったり理解したりするのは不可能ですし、自分も相手も結婚した後にどのように人間として成長し変わっていくかわかりません。ひとつ言えるとすれば「この人が選ぶ趣味(興味)なら、自分には興味が持てないことだとしても、まあ許容できるだろう」と思える人を選ぶということではないでしょうか。未来が予測出来ない中でむしろ大事なのは、趣味のために家計を破綻するほどお金を使ったり、家族をほったらかしにしてしまう人にはならないだろうという信頼感のような気がします。

先日こんな話をネットで見かけました。日本の梅雨で足が濡れるのが何より嫌という、靴をそれこそ死ぬほど愛している女性がいて、アメリカで乾いた気候の土地に限定して婚活を行い、パートナーを見つけたそうです。この記事の執筆者は「産まれたばかりの赤ちゃんを抱いた彼女から、ジミー・チュウやマノロ・ブラニクなどゴージャスな靴で埋め尽くされた天井までのシューズクローゼットを幸せそうに見せられた時は、こんな婚活もあるのかとびっくりした」と書いていました。「そんな物質主義的な」という声もあるかもしれませんが、個人的には結婚相手に求めることとがとても具体的で、自分がどうしたらハッピーになれるかを知っている人がとった選択だという気がします。これこそ自分の興味をトコトン追求するため、それを理解しサポートしてくれる人であることに優先順位を置いてパートナーを見つけたという例ではないでしょうか。たかが趣味、されど趣味。婚活中の方は、相手の現時点での年収を気にすることも大事でしょうが、その相手が結婚後どのように変わったとしても、まあほぼ大丈夫だろうという信頼感を持てるかどうかという点も考えてみるといいかもしれません。

未来は明るいですか?

Optimistic(楽観的)そしてPessimistic(悲観的)と言う言葉があります。人によってどの程度どちらの傾向があるかはさまざまですが、人類全体としては私たちはより楽観的なバイアスがあるのだという研究について読みました。“The Optimism Bias”という本についてリポートしたタイム誌のこちらの記事にこんな一節があります。

Optimists in general work longer hours and tend to earn more. Economists at Duke University found that optimists even save more. And although they are not less likely to divorce, they are more likely to remarry — an act that is, as Samuel Johnson wrote, the triumph of hope over experience.

楽観主義の人は(そうでない人より)長時間働き、収入も高く、たくさん貯金もする。また離婚率も低いし、離婚したとしても再婚する確率が高い、ということで、この最後の部分について英国人の作家サミュエル・ジョンソンは『希望が経験に打ち勝っている証拠』と言っています。さらにこの記事を読み進めていくと、例えば2001年9月11日にアメリカで起こった同時多発テロのときの記憶が、1年ほど経過したときにはかなり曖昧になっていたという調査結果などから、記憶というのは時間とともに再構築されていくものだ・・と説明されています。その際に、脳の働きとしてより明るい印象を持てるものが選択されていく可能性があるのです。また、人類全体の傾向として、“irrationally”(理性的とは言えないのだけれど)未来は明るいと思う傾向があるのだそうです。この本では、私たちはいずれ死ぬということを知りながらも、その知識だけでパニックになったり悲観的になって人類が死に絶えることがないよう、つまりサバイバルの目的で脳が楽観的なバイアスをかけるように発達したという説が展開されています。

確かに、たいした根拠はなくても「きっとうまくいく」「明るい未来が待っている」という風に思うことができなければ、結婚したり子どもをもったりする人は減っていくことは想像に難くないことです。特に結婚については、アメリカでは「世の中の結婚は半分以上の確率で離婚に終わる」という数字が出ているわけですから、これを「自分にはあてはまるまい」と少しでも思えなければ、一歩を踏み出すことはできないでしょう。この記事に対する読者の反響として「先進国では、テレビなどのコマーシャルで明るい未来を描くものばかりを見せ付けられているための現象ではないか。途上国で、そんな状況にない人々を対象にした調査結果が見たいものだ」というものがありました。これを読んで、確かに、ある物事についてどういう印象を持つかということは、もともとの傾向のほかにも、育っていく中で受け取るメッセージが大きく影響しているのではないか、と感じました。国別の調査などがあったら面白いのではないでしょうか。例えば、現在のところ未婚率がとても高い日本人の脳は、この記事の調査対象となった(であろう)アメリカ人の脳と比べてどうなっているのだろうか、という興味が湧いてきました。少なくとも結婚に関しては悲観的に考える人がそうでない人より多いのかもしれない(あるいは以前よりも多くなっているのかもしれない)という気がします。未婚率が高い原因は「絶食系男子となでしこ姫」の記事に書いたようにさまざまな要因が絡み合っているので一概には言えないでしょう。ただ、自分以外の他人と深い関わりを持つことについて、「面倒くさい」とか「怖い」という気持ちを超えて行動をおこせるほど楽観的になれないようなメッセージを日々受け取っていては、たとえ社会の状況が結婚や出産を奨励するようになっても、なかなか難しいのではないか・・・と感じました。


「深い思いやり」と「境界線」は対立する?

“Compassion”は日本語では「深い思いやり」「憐れみ」そして「共感共苦」などと訳されるようです。Compassion、つまり他人の苦しみに対して理解を示したり思いやりをもったりすること。この言葉と対比する考え方として引き合いに出されるのが“Boundary”という言葉です。文字通りでは「境界線」という意味ですが、人間関係においては「ここからここまではOK。ここから先は遠慮してもらいたい」という区切りのことを指します。

前回の記事で書いたペマ・チョドロンの本の中で、このcompassionとboundaryについて質問をした人がいました。彼女の説いている呼吸法や瞑想法では、他人(そして自分)の苦しみを少しでも理解し、心を開き続けることが目的のように言われていますが、そのこととboundaryはどういう関係にあるのか?具体的には、例えば自分を傷つける相手に対して、「傷つけられずにはいられないその人の苦しみ」に対してどこまで理解を示すべきなのか?自分のboundaryを侵されても理解を示すことを求められているのか?という趣旨です。

これに対して彼女はこう言っていました。「確かにそれは難しい問題です。そういった状況に置かれたときに自分のboundaryを尊重して、イエスかノーかをはっきりと言えるようになるには、この呼吸法以外のツールも必要になることでしょう」。ただ、と彼女は続けてあるエピソードを紹介しました。複雑な家庭環境で育ったある女性はずっと父親に殴られて育ってきました。大人になって男性と交際するようになってからも、どういうわけか自分を殴るような人ばかりを選んでしまいます。あるときに彼女と出会ったソーシャルワーカーが彼女のことを心から心配し、親身になって世話をした結果、そのとき交際していた男性と別れる決意を彼女にさせて別の町に引越しをさせ、ゼロからまた新しい生活を始める手伝いをしました。「そのとき、その暴力を受けていた女性は自分のboundaryを意識し、自分はその場から離れなければならないと決意したのです」とペマ・チョドロンは説明します。「でも、新しい町に行って一ヶ月もたたないうちに、また同じような相手との交際を始めてしまいました」。

つまり、物理的にその好ましくない場所から去ったり、人間関係を断ち切る形でboundaryを引いたと思っても、自らの内面と対峙して時には闇の部分に光を当てるというワークを同時に行っていかない限り、本質的には同じ問題が形を変えて何度でも起こることがある・・・・ということです。家庭内暴力の被害者には、加害者の行為に対する責任はありません。被害を受けている人の多くは、加害者と意味のある形でコミュニケーションをとる術をもたないばかりか、自分自身とも対話できないところまで追い込まれてしまっているでしょう。彼女はこう結んでいました。“You have to start where you are right now. There is no “later”. You have to learn how to relate to your messy areas of your life in a very compassionate way.”

自分の気持ちとも向き合えないほどに機能不全に陥った関係にある場合は、そこから物理的に離れることも必要です。ただ、そうしながらも、自分自身の気持ちに深い思いやりを持ってオープンでい続ける実践を重ねていくことが大事・・・ということでした。そしてboundaryを引くのにもcompassionを持ったやり方というのがあるはずです。このふたつは「あちらを立てればこちらが立たず」という相対する概念なのではなく、どちらも自分自身と、そして他人と親密な関係を無理なく築くためには必要なことなのでしょう。

絶食系男子となでしこ姫

ハワイ行きの飛行機の中で、「絶食系男子となでしこ姫  – 国際結婚の現在・過去・未来」(山田昌弘・開内文乃著)という本を読みました。著者の一人、山田昌弘教授はあの「婚活」や「パラサイトシングル」という言葉を生み出した人で、本書では、キャリア志向で海外へ飛び出し、その結果アジアの男性と結婚する女性が増加しているという現象をもとに、日本人の結婚が減少している「結婚難」という状況を解読しています。

山田教授に草食系を通り越して「絶食系」と称されてしまった人とは、「そもそも異性との交際を諦めている、または女性との交際が面倒くさいと言って恋愛欲求すらもたない男性」のこと。その背景には、若者の雇用をめぐる状況や、女性側の「結婚によって生まれ変わりたい」という「上昇婚志向」があると指摘されています。「上昇婚」とは、文化的あるいは経済的に、結婚前よりも良くなるという意味で、例えば日本人女性が欧米系男性と結婚すれば「文化的に上昇」、また国籍・人種は問わず自分よりも収入の高い人と結婚すれば「経済的に上昇」ということを指しています。要は、その人と結婚することで一段高いレベルに引き上げてくれるような相手がいいのだけれど、現状はそれだけの収入がある独身男性が減少しており、女性にとっては魅力的な相手がなかなか見つからないという現状、つまり国内での「上昇婚」が限界に達してきた結果、国際結婚がそこにあるニーズを満たす役割を担うようになってきた・・・という趣旨です。

この記事を書くにあたってレビューをいくつか読んでいたら「それでは日本人男性はどうすればいいのだ」というつぶやきがありました。この本の後半には「好きといってくれる相手と結婚したい」というキャリア志向の女性の言葉があり、彼女は「年収や学歴が自分より下でも、好きといってくれる相手がいればすでに結婚していたと思う」と言っています。つまり、男性としてみれば、自らの年収や学歴がそれほどではない(あるいは意中の女性よりも低い)としても、挽回のチャンスは大いにあるわけです。ただその一言を言ってくれる日本人男性がいないために「もう国際結婚しかないのでは」と語る声が載せられていました。

この部分を読んで、結婚願望がありながら結婚相手が見つからない人は、結婚したいという思いは純粋でも、それがどのような形で起こるべきかということに対するこだわりが強すぎるのでは、という気がしました。その強い思い込みは、相手に求める条件だったり、出会い方だったり、さまざまな面に及んでいます。男女ともにあると思われる「男性からアプローチすべき」という考え方についても同じことが言えるのではないでしょうか。また男性の「自分の収入や学歴は好きな相手とは釣り合わない、拒絶されたら恥ずかしい」という思いにしても然りです。プライドが障害となって、人生のパートナーとなり得るかもしれないチャンスを逃すのは本当にもったないことです。

実際に国際結婚をしている一人ひとりの言葉を聞けば、多くの人はその相手の人間性に惹かれて人生のパートナーを選んでいます。また、「上昇婚」という観点からは理想的なパートナーであるはずの欧米系の人、あるいはお金持ちの人と結婚したとしても、赤の他人と一緒に生活していくことの難しさはどのカップルでも経験することですし、世に言われる上昇婚をすれば間違いなく末永くハッピーになれるというほど単純なものでもないでしょう。本書で扱っているのはあくまで「結婚まで」の期間であり、結婚してから後のことには触れられていませんが、国際結婚をしたカップルはみな、言語や文化の違いなど、国際結婚特有のチャレンジも交えて試行錯誤を繰り返しながら、パートナーシップを築いています。また現在は日本であれアメリカであれ、「安定した雇用」と思われたものがいつなくなるかわからないのも事実。そのような人生の浮き沈みを含め、何が起こっても一緒に乗り超えられる(そのための努力を一緒にできる)と確信できる相手を見つけた人が、幸せな結婚生活を手にしているのではないでしょうか。

本を読みながらひとつ感じたこととしては、国際結婚だと、結婚する相手の属性によって「XXだから結婚したのね」(例えば、相手がXX人だから、お金持ちだから、エリートだから・・)と周囲から色眼鏡で見られる可能性が、日本人同士の結婚に比べてやや高いかもしれないということです。そういった好奇の、あるいは”judgmental”な目にさらされることまで含めて、国際結婚をしようと思う人は “This is my choice. I choose him to be my partner” と言い切り、自信を持って生きる覚悟が必要でしょう。見ず知らずの他人に何と思われようがかまわないし、本当に自分のことを考え、愛してくれている家族や友人であれば、いつかは自分の選択を応援してくれるはずという強い気持ちをもって、日々の幸せを享受して過ごすことにエネルギーを注ぐことができる人こそ、国際結婚に向いていると言えそうな気がします。

“You never know”

この夏、ポートランドとシアトルに家族旅行をしました。シアトル郊外には、私がカリフォルニア州モントレーで通った大学院時代の友達が住んでいます。彼女がカリフォルニア州からワシントン州に引っ越したあと、2001年の冬に初めて彼女を訪ね、そのあとも機会があるごとに会ったり、連絡を絶やさず取りつづけている友人のひとりです。

今年の夏に会ったときは、二人だけでじっくりと話す時間がありました。長い間交際しているパートナーとのことになったとき、彼女は「今までで一番ベストなパートナーシップを築いている相手。結婚して何かが変わってしまってだめになるカップルもたくさんいるから、そうなるくらいなら今のままでいい」と言っていました。パートナーはアメリカの軍勤務で、あと1年半ほどで20年を勤め上げ軍人としてのキャリアは終了するというところ。ちょうど私たちが訪ねていったときは航海の途中で、数週間後に帰るというときでした。数年前に2人でサンディエゴに遊びに来たときに会ったこともある人で、今年の6月ごろ「初めて日本に行くけど、どこかお薦めの場所はあるか」と聞かれ、メッセージを交わしたりしたのです。

その彼が、8月中旬に大好きなバイクのツーリングをしている最中、事故にあって帰らぬ人となったことをFacebookで知りました。あまり突然のことで、少し時間がたった今でも信じられない思いです。Facebookの本人のページには多くの人からメッセージが寄せられ、彼との思い出を語るストーリーや写真が投稿されています。前妻との間に10歳くらいになる男の子がいた彼。友人に子どもが欲しいのかどうか聞いてみたとき、タイムリミットが近いのでもし本気で子どもを持ちたいかもと思ったとき、彼は一緒に考えようと言ってくれていると話していました。

彼女からのFacebookの投稿は、家族や友人に、お葬式の日時や軍隊が彼の写真を集めたいと言っていることなどを淡々と知らせる内容のものが多く、彼女が経験しているであろう悲しみやつらさは測り知れないものがあります。彼の死を知らせる彼女のメッセージには”He died when he was doing what he loved” と書かれていました。2ヶ月ほど離れ離れになっていて、やっと彼女と住む家に帰ってきたその翌日のことだったそうです。本当にいつ、この人生という「旅」が終わりになるのかは誰にもわからないこと。「毎日を悔いのないように生きよう」と言うのは簡単でも、実際にはそれほどたやすいことではありません。それでも、知らせを受けてから日に一度は彼女と、そして彼のFacebookを訪れて、ふたりのストーリーが語られるのをそっと読ませてもらっているのでした。最愛の人に先立たれてしまった友人のこれからに幸あれと強く祈りながら。

The Japan Times for Women: 世界を見つめる女性の生き方

去年の11月ごろにお話をいただいて執筆した「国際結婚」に関する記事が、こちらのThe Japan Times for Women: 世界を見つめる女性の生き方 に掲載されました。日本では1月27日に全国の書店で発売になる予定です。

このムック本(大型本)は、海外経験や優れた語学力をもつキャリア志向の女性を読者に想定し、「世界を舞台に輝きたい新世代大和撫子のための知的向上キャリアマガジン」というコンセプトで作られました。

本の目次は下記のようになっています。

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【目次】

巻頭特集: Global Beautyインタビュー
・知花くらら(モデル・タレント)
・佐々木かをり(株式会社イー・ウーマン代表取締役社長)

特集1: 「グローバル・ウーマン」をリアルレポート!
海外や国内外資系企業で活躍している8名の女性をレポート。仕事内容や人生の転機、海外での経験などを熱く語る。

特集2: 大使公邸へ、ようこそ
憧れの大使夫人が公邸内を誌上案内。日常の公務ってどんな内容なの?女子力をアップする方法って何?など貴重な話題が満載。「お国料理レシピ」「おもてなしマナー」なども掲載。【紹介国】フィリピン、モロッコ、スウェーデン、コロンビア

海外で暮らすという選択
海外で暮らすためにはどんな準備と心構えが必要なの?国際恋愛・国際結婚カップルがホンネを語る。

みんなどうしてる? 語学力キープ
「せっかく留学したのに帰国したら語学力が落ちてしまいそう」。語学力キープのためのテクニックを紹介。監修:関谷英里子(通訳者)

資格試験スケジュール・申込締切一覧
語学系試験を中心に便利に使える見開き年間カレンダーを掲載。

社会人からの留学プランニング
「キャリアアップ」から「有給休暇などを利用した習いごと系ミニ留学」まで目的別に紹介。

Smart & CoolなE-mail術
『働く女性の英語術』著者、光藤京子氏による英文ビジネスメール講座。

海外メディアから見た日本
世界の中で日本はどう見られているの?「東日本大震災」「なでしこジャパン」「首相の変遷」について解説。

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「海外経験」「語学力」「キャリア志向」というキーワードに代表されるような女性は、国際結婚をする可能性も高いと思われます。国際結婚の実際のところは?ということを限られた紙面にまとめるのに苦労しましたが、編集を担当してくださった方とのコミュニケーションもスムーズにいき、楽しくお仕事をすることができました。書店でみかけましたら、ぜひお手にとってご覧ください。


夫婦、この不思議な関係

曽野綾子の「夫婦、この不思議な関係」を読みました。国際結婚成功コンサルタントとしてカップルのご相談を受ける私にとって、結婚そして夫婦についての著者の視点は大変興味深いものがありました。1931年生まれの著者が結婚した当時と現在の状況はだいぶ変わっているものの、「結婚とは」「夫婦とは」ということについて示唆に富むエッセー集ではないかと感じます。
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特に私自身の結婚生活を考えたとき「これは共通するものがある」と思ったのは、曽野綾子が表現するところの夫の「冷たさ」についてです。再三「夫は冷たい」という表現で描かれている夫の特性というのは、「彼は私に何ら『変われ』という期待をしていない」ということでした。妻に「もっと~だったらいいのに」とか「~をしてくれないと困る」というような期待を一切しないということ。私の夫もこの点は非常に似ています。よく言えば自立しており他人に自分を幸せにしてもらおうとは考えていない。でもこの「個人主義」は、裏を返せば自分が変わることで相手が幸せになるとは信じていないとも言えるのでしょうか。曽野綾子の父親は、彼女の母親に対して「変われ」という期待があったために、母親にとっては気の休まらない結婚生活が長らく続いたとのことでした(後年、彼女の両親は離婚を選択)。この両親の結婚生活について、曽野綾子は「父親は心が温かかったからこそ母親を躾けたいと思っていたようだ」という表現をしています。「心が温かいからこそ他人に期待をしてしまう」というのも一理あるのかとも思いますが、そもそもは赤の他人であるパートナーと共同生活を送るのであれば、心が温かろうが冷たかろうが、常に自分に対して「変われ、今のままのあなたではいけない」というメッセージを受け取り続けるよりは、そのままの自分を受け入れてくれる人のほうが穏やかな気持ちで毎日を楽しく過ごせるだろう・・・・と感じます。
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もちろん細かいことを言えば不平不満がまったくない夫婦関係なんていうものは存在しないのではと思いますが、結婚するまでの間に長い時間をかけて大人になってきている人間同士、根本の部分では「そのままを認め合う」ということがなければ、やはり楽しい毎日を送ることは難しくなるでしょう。自分がどの道を選択するにしても、結婚について思うところのある人は何らかのヒントを得られる本ではないでしょうか。

ハッピーでないことを伝えるべきか?

前回の記事に書いた「50/50」という映画で、癌の宣告を受けた主人公のガールフレンドが最初のうちは一生懸命彼の世話をしていたのに、あるとき浮気をしていることが発覚してしまう・・・という場面がありました。彼女はもう彼と一緒にいるのはつらすぎるから別れようという会話をする勇気がなくて、浮気という行動に出たのですが、このことについて夫に「彼女は浮気する前に彼に正直な気持ちを話すべきだったのでは?」と言ったことから、浮気をしていたら正直に言ってほしいか?という議論になりました。

例えば自分が死の床にあった場合、パートナーが昔浮気をした(あるいは現在している)という話を打ち明けてほしいだろうか?という夫からの問いかけに、まあ、明日死んでしまうなら知らないまま幸せな記憶を持って旅立ったほうがいいかもしれないな・・・とは思いました。ただ、逆に「自分が浮気という行動に走るほどその関係に問題があると思っていたら、知りたいとは思わないのか」と聞いてみたら、それは確かに、言ってほしいと思う、とも。

先日も「浮気と、相手の携帯電話を内緒で覗き見することはどちらが罪が重いか」というテーマの記事を書きましたが、どちらにも共通するのは「(始めのうちは)パートナーに隠れてその行動をとる」という点です。どちらの場合も自分の気持ちを打ち明けたり、相手に直接問いかけたりすることを避けています。それにはさまざまな理由があるでしょう。よく男性側からは「自分の気持ちを打ち明けると彼女が感情的になり取り乱す」という声を聞くこともあり、聞かされる方(この場合は女性側)の取り乱したくなる気持ちも理解できるのですが、それでも、パートナーには、その関係についてどう思っているのか打ち明けてほしいものではないか・・・と私は感じます。多くのカップルは結婚に何を期待しているのか、結婚をどんなものだととらえているかということについて特に話すことなく、後になって認識のズレに驚いているという状況があります。結婚前や結婚直後の、まだ「何でも話せるような関係」でいるうちに、その関係にもし不満をもっていたら、お互いにどうしてほしいかということについても話題にできるといいのではないでしょうか。そこまであらかじめ話しておくことは難しくても、「話の最中に、相手が(あるいはお互いに)感情的になる」という経験をしながらもコミュニケーションをあきらめず、たとえば時間をおいたり、別のアプローチをしたりという試行錯誤を繰り返してでも、やはりそれでもなんとか理解する努力をしたいと思える相手かどうか・・・結婚前の交際とはその見極めのためにあるのではないかと感じます。

人はなぜ「やりたいこと」をやりたくないか

「私の目標はXXをすることです」とゴール設定をしても、そのための行動をなかなか起こせないことってありますよね。私も去年は「ギターを習得する」という目標をたてましたが、1年以上たっても一向にすべてのコードが覚えられません。コーチという職業柄、私はいろいろな方とお話をし、「実はこれこれがやりたいんです」というお話をお聞きします。実は「このゴールを達成するために何をしたらいいのか」という方への助言は比較的シンプルです。もし、その目標が多くの人がすでにやっていること・一般に知られていること(何らかの資格試験に合格する、ダイエットをする、楽器を習うなど)であれば、「すべきこと」はある程度明確ですね。この点の情報収集はやる気があれば自力でも十分に出来るでしょう。

でも、「やるべきことははっきりしている。でも中々できない・・」という場合は、「何を」ではなく「なぜ」あるいは「どうやって」を考えてみなければなりません。例えば、「素敵な人と出会えないかしら」と思っている人がまずやるべきことは、出会いのチャンスを多くする行動、そして出会いたい願望があるという意思表明です。でも、そのときに「そういった場に行くのが億劫」とか「そんなことを周りの人に言ったら、何て思われるか?」などという理由をつけて、結局行動を起こさず、時が過ぎていく・・・ということもあります。これはどうしてでしょうか。なぜ人は「やりたいこと」をやりたくないのでしょうか?

ひとつには「習慣」が挙げられます。今までのやり方を変えるということは実はとても大変なことです。私たちの行動や考え方は習慣に支配されていること、そして私たちが無意識にとっている行動のほとんどは、ライフハック心理学の佐々木正悟さんが言うところの「習慣の勝ち抜き組」、つまり小さいころから今まで、何らかの理由で私たちが選んできた一連の行動の集大成なのです。それだけに、新たな習慣をつけることにはそれなりの努力が必要です。よく「30日間毎日行うと習慣になる」(事項によっては60日だったり、90日だったりします)と言うのはそのためです。「今日から週に1回これをしよう」と思っても中々続かない理由がここにあります。

でも究極的には「なぜそれをやりたいか」よりも、「なぜそれができないか」という理由のほうを自分が大切にしているから、ということではないでしょうか。頭では「これを実行したい」と思っていても、その「なぜ」が明確でなかったり、現状にさほどの苦痛を感じていなかったり、目標を達成して手に入れられるはずのものを全身全霊で信じていなければ、なかなか現在の心地よい場所から出て行くことはできません。言い方を変えれば、実行に移さずにそのまま時が過ぎていっても、実は現在の状況がそれほどイヤではない、ということです。私のギターの例で言えば、ギターをいまだに習得していない理由として「時間がない」「練習していると子供たちが寄ってきて触りたがるので中断せざるを得ない」などがありますが、実はギターを習得するために時間を作り出す行為(子どもたちが寝た後に好きなドラマを見たり、ブログを書いたりすることを我慢する)をしたくないからです。また、ギターを演奏できたらどんなに素晴らしいだろうか(達成して得られるもの)ということについての感情的なインパクトがそれほどない、というのも大きな理由でしょう。「演奏できたらいいな」くらいには思っていますが「絶対にマスターしたい!」という強い気持ちがないのです。

このことを「優先順位」という人もいるでしょう。村上春樹の「やがて哀しき外国語」という本の中で「そんなに何もかもは出来ない」という一節がありましたが、まさにそれです。無限の時間や可能性があるように思えた子ども時代が終われば、誰でもいつかは限られた時間の中で(意識している・いないに関わらず)優先順位に従って、「何をするのか」を選択をしていくことになります。コーチングが目標達成の過程をスピードアップできるのは「何をやるのか」の部分もさることながら「なぜそれをやりたいのか」「どうやってやるのか」のプロセスを、あたかもパーソナル・トレーナーが一緒にトレーニングをしてくれるように、一緒に考え伴走してくれる人がいるからにほかなりません。日本では新しいことを始めたくなる4月。「やりたいこと」を「やりたくない」ままに時間が過ぎていく・・・と思っている方は、ぜひコーチングも検討してみてください。

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