Google I/O

今週、2日間に渡ってGoogle I/Oという会議がサンフランシスコで開催されました。この会議のチケットは2月初旬に売り出しになり、夫もこの会議に行く予定で事前に航空券も入手していましたが、発売開始直後からウェブサイト経由で購入を試みたところなんと発売後59分で完売。サイトにものすごい数の人が集中したため、チケット購入画面にたどりつくこともできなかったそうです。今年確か3度目になるこの会議、去年は少なくともチケットが完売するまで数週間はあったということで大丈夫だろうと思っていたのですが、去年のこの会議で参加者全員にアンドロイドというスマートフォンが配布されたこともあり「今年は何が配られるのだろう」という期待が一段と高まっていたようなのです。

私自身は内心「普通はチケット購入してから航空券だよね・・・」と思いつつも、幸いサウスウェスト航空の航空券だったので、もし手を尽くしてもチケットが入手できなければ、フライトをキャンセルしてまた旅行に使えばいいか・・・と思っていました。夫はその後もebayなどオンラインのオークションでチケットを入手できないかと探っていたところ、普通に買えば600ドル程度のチケットが2000ドル近くとものすごいプレミアがついて売られていました。それでもあきらめきれない夫は、4月にGoogleが開催したコンテストについて情報を入手し、2回挑戦。これは、Googleのいろいろなソフトを使ってコンピュータプログラミングの腕を競うもので、初回の課題を30分以内に答え、正解であれば次のステージに進めるという形になっていました。夫は挑戦した2回ともこの最初のステージはクリアしましたが、次のプログラミングの課題は24時間以内に決められたプログラミング技術を使って作品を制作するというもので、それらのプログラムは専門ではない夫は苦戦し、2回とも徹夜で取り組んでいました。結果的には2回ともトップ10に入ることは出来ず、残念な結果に終わりましたが、夫は時間との闘いで製作に取り組んでいる間はとても楽しかったと言っていました。

2回目のチャレンジの時に、夫はアンドロイドを持っている友人のヘルプを求めたのですが、実はこの友人が働く会社でGoogle I/Oのチケットを入手していました。また、偶然にもこの会社は毎年7月にサンディエゴで行われるコミック・コンベンションというイベントのチケットを入手したがっていました。コミック・コンベンションも大変人気のイベントで、こちらのチケットは規則では「転売不可」つまり買うときに行く人の名前を登録させられるのです。チケットはとっくの昔に完売になっており、出遅れたこの会社は夫と同じようにいろいろなコネを使って何とかしようと躍起になっていました。実は、私は去年このコミック・コンベンションで勤務している友人が「日本の漫画家、萩尾望都を招待したいんだけど、手紙の書き方を教えてくれ」ということで、本当に些細ですが手伝いをしたことがありました。この縁で、彼女に「今年のコミック・コンベンションのチケットを購入したがっている会社があるんだけど、何とかできないか」と聞いてみたところ、OKとの返事。これが決め手となり、コミック・コンベンションのチケット購入権利と引き換えに夫はGoogle I/Oへのチケットをついに手にしました。

昨夜サンフランシスコから帰宅した夫は、無料で配布されたタブレットや、これからもらえる予定のクロムOS搭載のノートパソコンについても喜んでいましたが、何より会議をその場で体験できたことが嬉しかったようです。正直なところ、コンテストで1週間のうちに2回も徹夜している夫を見て「よくやるな・・・」と思っていましたが、彼のそのこだわりやあきらめずに頑張るところが、見ている人に「ヘルプしてあげたい」という気持ちを起こさせたのかもしれないと思うと、”Persistence pays off” (粘り強さは成果をもたらす) という言葉が浮かびました。

WHAT =自分のほしいもの・したいことをまずはっきりさせ

HOW= どうやってそれを叶えるか?

なのだな、と。あきらめずに事に当たれば、時には運も引き寄せることができるかもしれない。また、どこでどんな縁があるかわからないので、頼まれごとも出来る範囲で引き受けましょうという、我が家の教訓話として語り継がれるに値すると感じたエピソードでした。

比べないこと

4月ももう少しで終わろうとしています。中旬に体調を崩し、回復に向かっている最中です。ちょうど、親しい友人も調子を崩していたことがあり、彼女に「自分に優しくして」などと助言をしていたときでもありました。「自分に優しく」とは具体的にどういうことでしょうか?

「人と比べることは意味がない」というような言葉を時々耳にします。比べる対象は、目標としているような人であったり、調子のいいときの自分のときもあるでしょう。震災があった直後、多くの人は無意識のうちに、被災者と自分の置かれた状況を比較して「命があるだけでもありがたい」「愛する人が生きているだけでも・・」ということを思ったでしょう。これはごく自然なことです。でも中には、自分が直接被災したわけでもないのに、落ち込んでしまった人も少なからずいたと思います。

2月末に、近所のRock Churchというキリスト教の教会に、ニック・ボイジッチ(Nick Vujicic)という人が、その教会の選任牧師の代わりにミサを執り行うためにやって来ました。ニック・ボイジッチさんは、自らもロング・ビーチというロサンゼルス近くにある教会の牧師です。生まれつき両手両足がない彼は、青年時代にはやはり自殺も考えたほど苦しみましたが、キリスト教のメッセージに目覚め、今では自分の教会を持っています。友人から彼がサンディエゴにやってくると聞いて、家族でこの教会に行きました(大規模な教会で、施設も充実しており、ミサの間子どもたちを預かってくれるのです)。実際にライブで彼のスピーチを見たとき、ニックさんはエネルギーに満ち溢れていました。また、自分に両手両足がないことをネタにしたジョークも連発していました。何と、飛行機の機内で荷物を置く棚に隠れて人をびっくりさせるといういたずらもしたことがあるそうです。これには3階建ての会場満杯の聴衆も大爆笑でした。

ニックさんは、人と比べないことについて語っていました。「僕に会った人は、僕に両手両足がないのを見てみんなびっくりする。そして『ああ、君は大変なんだな。(自分は五体満足なんだから)もう月曜日の朝に仕事に行きたくないなんて文句を言うのはやめるよ』なんてことを言う。でも、僕は言うんだ。『だって、月曜日だろ。無理ないさ』って。」人はみんなそれぞれの現実で生きているわけなので、自分よりももっと大変な状況にある人がいるからといって、自分の悩みがなくなるわけではない、ということを彼は言っていました。自分が不幸でどうしようもないと感じられる時に、大局を見ればそこまで悲観したものでもないよね、とか、もっと大変な人もいるんだから、こんなことで弱音を吐いては・・・という考え方は「正論」だし、それでエネルギーが沸いてくる時もあるでしょう。でも、「もっと大変な人がこんなに頑張っているのに」と比べることによって、さらに「だめな自分」と言う風に落ち込んでしまう時もあるのです。今回気がついたのは、素晴らしいエネルギーを放っている人に触れて元気がでるのか、あるいは余計に落ち込んでしまうのかという違いが、自分の調子のバロメーターになっているということでした。良質の刺激を受けても元気が回復しないどころか、比較してしまってさらに気分が落ちこんでいるときは、もう少し深い癒しや、長い休養期間が必要なのかもしれない、と。そしてそんな時には「人と比べないこと」こそが自分に優しくすることであり、回復の第一歩なのかもしれません。哲学者プラトンもこう言っています。

“Be kind, for everyone you meet is fighting a hard battle.” (優しくしなさい。あなたが会う人はみんな、厳しい闘いをしているのだから。)

「あなたが会う人」の中に、自分自身も含まれています。人と比べることで自分をいじめないように。時には病気になることも自分に優しくしなさいというサインなのかもしれません。

人はなぜ「やりたいこと」をやりたくないか

「私の目標はXXをすることです」とゴール設定をしても、そのための行動をなかなか起こせないことってありますよね。私も去年は「ギターを習得する」という目標をたてましたが、1年以上たっても一向にすべてのコードが覚えられません。コーチという職業柄、私はいろいろな方とお話をし、「実はこれこれがやりたいんです」というお話をお聞きします。実は「このゴールを達成するために何をしたらいいのか」という方への助言は比較的シンプルです。もし、その目標が多くの人がすでにやっていること・一般に知られていること(何らかの資格試験に合格する、ダイエットをする、楽器を習うなど)であれば、「すべきこと」はある程度明確ですね。この点の情報収集はやる気があれば自力でも十分に出来るでしょう。

でも、「やるべきことははっきりしている。でも中々できない・・」という場合は、「何を」ではなく「なぜ」あるいは「どうやって」を考えてみなければなりません。例えば、「素敵な人と出会えないかしら」と思っている人がまずやるべきことは、出会いのチャンスを多くする行動、そして出会いたい願望があるという意思表明です。でも、そのときに「そういった場に行くのが億劫」とか「そんなことを周りの人に言ったら、何て思われるか?」などという理由をつけて、結局行動を起こさず、時が過ぎていく・・・ということもあります。これはどうしてでしょうか。なぜ人は「やりたいこと」をやりたくないのでしょうか?

ひとつには「習慣」が挙げられます。今までのやり方を変えるということは実はとても大変なことです。私たちの行動や考え方は習慣に支配されていること、そして私たちが無意識にとっている行動のほとんどは、ライフハック心理学の佐々木正悟さんが言うところの「習慣の勝ち抜き組」、つまり小さいころから今まで、何らかの理由で私たちが選んできた一連の行動の集大成なのです。それだけに、新たな習慣をつけることにはそれなりの努力が必要です。よく「30日間毎日行うと習慣になる」(事項によっては60日だったり、90日だったりします)と言うのはそのためです。「今日から週に1回これをしよう」と思っても中々続かない理由がここにあります。

でも究極的には「なぜそれをやりたいか」よりも、「なぜそれができないか」という理由のほうを自分が大切にしているから、ということではないでしょうか。頭では「これを実行したい」と思っていても、その「なぜ」が明確でなかったり、現状にさほどの苦痛を感じていなかったり、目標を達成して手に入れられるはずのものを全身全霊で信じていなければ、なかなか現在の心地よい場所から出て行くことはできません。言い方を変えれば、実行に移さずにそのまま時が過ぎていっても、実は現在の状況がそれほどイヤではない、ということです。私のギターの例で言えば、ギターをいまだに習得していない理由として「時間がない」「練習していると子供たちが寄ってきて触りたがるので中断せざるを得ない」などがありますが、実はギターを習得するために時間を作り出す行為(子どもたちが寝た後に好きなドラマを見たり、ブログを書いたりすることを我慢する)をしたくないからです。また、ギターを演奏できたらどんなに素晴らしいだろうか(達成して得られるもの)ということについての感情的なインパクトがそれほどない、というのも大きな理由でしょう。「演奏できたらいいな」くらいには思っていますが「絶対にマスターしたい!」という強い気持ちがないのです。

このことを「優先順位」という人もいるでしょう。村上春樹の「やがて哀しき外国語」という本の中で「そんなに何もかもは出来ない」という一節がありましたが、まさにそれです。無限の時間や可能性があるように思えた子ども時代が終われば、誰でもいつかは限られた時間の中で(意識している・いないに関わらず)優先順位に従って、「何をするのか」を選択をしていくことになります。コーチングが目標達成の過程をスピードアップできるのは「何をやるのか」の部分もさることながら「なぜそれをやりたいのか」「どうやってやるのか」のプロセスを、あたかもパーソナル・トレーナーが一緒にトレーニングをしてくれるように、一緒に考え伴走してくれる人がいるからにほかなりません。日本では新しいことを始めたくなる4月。「やりたいこと」を「やりたくない」ままに時間が過ぎていく・・・と思っている方は、ぜひコーチングも検討してみてください。

ハリー・ポッターの著者の言葉

今回の震災で、国籍を問わず世界中の多くの人から「日本の家族は大丈夫ですか」と気遣うメッセージをもらいました。このブログで何度か書いてきたアメリカ人のブロガーで友人のクリス・ギレボーとツイッターでメッセージをやり取りした際に「毎日、日本からのニュースを聞いていると、前向きでいることが難しい時もあるけど、自分の置かれた立場に感謝し、出来ることからやることを頭に置いている」と言ったら、彼からは”Be well, and keep focusing on being you” と返信がありました。

自分でいること=自分らしくあること。こんな状況で、自分らしくって何をすること?これは、私の大好きなハリー・ポッターを書いたJ.K.Rowlingの次の言葉を想起させました。

“You will never truly know yourself, or the strength of your relationships, until both have been tested by adversity” (困難な状況に直面するまでは、自分がどういう人間なのか、そして自分にとって大事な人との絆の固さは本当にはわからないものだ)

前回のブログ記事でも書きましたが、こんなとき「自分はどんな人間なのか?」が見えてきます。また、自分の大切な人との関係も然り。国際結婚をしたカップ ルのためのコミュニケーション・コーチングや、国際結婚を控えた方への準備コーチングを生業としている私のところにも、日々ご相談のメッセージが来ます。 中には、配偶者や日本の家族の間で、日本に留まるべきかどうかの意見が合わず、悩んでいる方も大勢いらっしゃいます。この震災は、すべての人に多くのこと を考えるきっかけを与えました。自分や相手が困難に直面したとき、あるいは家族として決断を迫られる状況のときに、その関係が成り立っている基盤の強さが 試されています。被災地ではない場所にいる私も、自分たちに同じような試練がふりかかったらどうなるだろうか?と考えてみる機会になりました。
J.K.Rowlingは,“Such knowledge is a true gift” と続けています。困難な状況にあっても、そこで得られる自分について、そして自分の大切な人との関係についての知識は贈り物なのだ、と。この体験から少しでも何かを掴み取ることも、今私たちにできることのひとつなのではないでしょうか。

“Test Your Mettle”

震災からもうすぐ2週間がたとうとしています。この間、ここアメリカでも様々な活動が行われてきました。南カリフォルニアに住む友人たちは、震災後一週間で「チャリティ・イベント」を立ち上げ、一日で300人以上の人が詰め掛けてファンドレイジングを行いました。私も行きましたが、主催者と協力者の思いが一体となり、とても良い気を放っていましたし、また素晴らしい成果をあげたようです。そちらの様子は主催者の一人でもある友人によるこちらのブログで読むことができます。
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日本で生活する人は、被災地にあってもそうでなくても、様々な選択を迫られるような状況となっています。直接被災した方々ばかりでなく、そうでない地域にいる人にも様々な影響が出ています。震災直後の数日と違い、被災地の人をどのように助けるべきか、イベントなどを自粛すべきか、首都圏における放射線は危険なのかそうでないのか、避難したほうがよいのかどうか・・・さまざまな意見が交わされています。中には、どこに向けてよいのかわからない悲しみや怒り、将来に対する不安を(誰にでもよいから)ぶつけてくる人もいます。

英語で”Test your mettle”という表現があります。”You are facing a crisis that tests your mettle” (あなたは自分がどんな人間であるかが試されるような危機に直面している) のように使われます。震災以来、この言葉がいろいろな時に頭に浮かびます。周囲の人の言動に腹を立てている人も、不安でいろいろなことが手につかない人も、こんな状況であなたはどんな風に振舞えるか?ということが常に試されているのです。例えば、先日私は「逃げたと言われるかもしれないけど・・」という題のブログ記事を「成功する国際結婚ブログ」に書きました。それに対して反対の意見を述べるコメントがつきました。コメントは承認制なので、誹謗中傷は掲載しないという選択もありますが、口調は丁寧ですし、私は中傷とは受け取りませんでした。実は私はそのコメントを見たとき、その人の「悲しみ」を感じました。詳細は不明なので想像するしかありませんが、おそらく私の書いたことの何かが彼女の心の柔らかい部分に触れたのだと思います。書かれた言葉は「怒り」でしたが、私には彼女が「逃げた人は私(たち)を見捨てていったのだ」と泣いているように感じられました。あなたの言うことは間違っている、怒りを感じる、と言われて、今度は自分が傷つかないように心を閉じることもできるでしょう。でも、その「怒り」という言葉を超えて、やりきれない思いをぶつけるような形で表現している相手の心境になった時、私が考えた、その時点でできる最も愛情に満ちた行為は、説明も反論もせずそのコメントをそのまま載せることでした。

震災後も今までどおりのブログを書くことを表明したら、ものすごい批判がきてブログを閉じようかと思っているところまで追い詰められた人の話を聞きました。ブログという形であっても自分の意見を発信することには常に「自分に賛成しない人がいる」というリスクが伴います。ある意味、強くならなければ情報は発信できないという面もあります。でも、例え、厳しい口調で批判してくる相手がいたとしても、その言葉を額面どおり受け取らない、あるいは「パーソナルにとらえない」こともひとつのコツではないかと思います。相手の言葉を自分への攻撃と受け取れば、腹がたったり傷ついたりすることもありますが、それぞれがそれぞれのもっている人間の性質そのものを試されているようなこの状況で、その人なりのニーズがあってその言動をとっているのです。ブログでなくても、周囲に失礼な言動をとっている人が身近にるかもしれません。もしかすると、被災地で行方不明の親戚や友達がいるのかもしれません。そのつらい気持ちやニーズの表現方法が明らかに歪んだものであれば、自分の精神衛生を犠牲にしてまで付き合う必要はないでしょう。でも、全ての人は自分にできる精一杯のことをしているのだと信じて、またいつ自分も、被災したりつらい目にあって、そういう立場になるかもしれないと思えば、表面の言動を超えた相手のニーズを推し量ることができるかもしれません。

海外からの祈り

地震の発生から2日ほど経とうとしている時にこのブログを書いています。日本に住む両親と兄の無事は確認され、安心したものの、今後のことがとても気になっています。

心配になるニュースが次々と報じられる一方で、復旧した電車に乗るために整然と並ぶ人々の列や、黙々と歩いて帰ったりコンビニで散乱したものを拾い上げて普通にお金を払って買っていく話など、「やっぱり日本人だ」と感じる話を目にします。これらの行動を驚きをもって受けとめる外国人の反応を見て、私たち日本人にとっては「普通」と思っていることが世界的にみればそうではないのだということに改めて気づかされました。アメリカでハリケーン・カタリナがあったとき、1ドルの水を10ドルで売ろうとしていた人がいたこととは対照的に、サントリーが自動販売機を無料にしたことを語る人もいました。もちろん、義援金詐欺やスリなど細かいところをみれば日本人にだって悪いことをする人はいるでしょう。でもこの状況に乗じてお店を襲ったり、暴動になったりする可能性はほぼないという事実は誇るべきことだと思います。

私はアメリカに住んでいるため、ここ2日間、ソーシャル・メディアを中心に情報収集をし、必要と思われることはシェアをし、友人を励ましたり応援したりするメッセージを書き込みました。この週末は夫と二人で税金の確定申告の作業をすることになっていましたが、やはり日本のことが気になってまったく身が入らない私を夫はそっとしておいてくれ、黙々と一人で作業を進めていました。後になって二人で近所のスーパーに食料を買いに行った時、あまりにも普通の光景、つまり電気がついていて新鮮な食料が豊富にあって、お金さえ出せば何でも買える状況を目の前にして、思わず被災した方々の状況に思いを馳せ立ち尽くしてしまいました。アメリカ生活も9年目になり、いつしか広い駐車場では買い物のカートを適当な場所にほっておくようになっていた私ですが、日本人がこんな状況でも普通に取っている「ルールを守る」行動を思い出して、所定の位置まで返しにいきながら、自分が日本人でよかったと感じていました。

今、地震の被害に直接あっていない場所にいる方たちにでも出来ることはあります。日本在住であれば、次の地震や二次災害に備えたり、節電や献血、寄付などができるでしょう。海外在住であれば、寄付をしたり、応援や励ましのメッセージを送り続けることができます。また、日本でも海外でも直接の被害が少ない場所にいて「普通の生活」をすることが出来る人は、「当たり前だと思っていることは実は当たり前ではない」ということを思い出し、少しでも愛する人にその気持ちを伝えたり、周りの人に親切にしたりするきっかけにしてもらえたらと思いました。「いつでもまた会える」なんていうのは幻想に過ぎません。れぞれの機会で、目の前にいる人と交わした言葉が最後のものになったとしても後悔しないような言動ができれば、それがベストなのではないかと思います。

私の子供たちはまだ就学前ですし、家にはテレビもないので、今回の地震についてはほとんど伝えていませんが、やはり何かを感じたのでしょうか、きのう寝かしつけるときに二人して「心臓の音を聞かせて」と言って来ました。赤ちゃんのようにかわりばんこにだっこして心臓の音をきかせてあげると、次には「自分の心臓の音を聞いて」。言われた通りに小さい胸に耳をあてて、どくん、どくんと打っている命の音を確かめながら、この時間に感謝する気持ちでいっぱいになりました。今回の地震で亡くなられた方や負傷された方、そのご家族の方々に、心からのお悔やみを申し上げます。また、まだ消息のつかないご家族や友人がいらっしゃる方々に、心からのお見舞いを申し上げます。「誰かが生きたかった一日」を無為に過ごすことのないよう、また愛情の出し惜しみをすることのないよう、精一杯生きます。

相手を知ると自分も変わる

よくビジネスなどの交渉ごとの場面で「”Win-Win”を目指しなさい」と言われます。Win-Winとは、文字通り「私も勝ち、あなたも勝つ」という意味です。アメリカではSteven Coveyという人の書いた”Seven Habits of Highly Effective People”という有名な本(日本語では「7つの習慣」)で広く知られるようになった概念です。この「どちらかが勝ち、どちらかが負ける」のではなく両方にとってよい解決方法を考えよう、というのは、RCB親子コミュニケーションコースでも兄弟げんかや夫婦喧嘩などの際の解決方法として提唱しているツールです。実際、うちでも子供たちが喧嘩を始めると「どうしたら二人ともハッピーになれるか」という問いかけをしています。

最近、このWin-Winについてもう少し考える機会がありました。ある人と自分との間にどうやら意見の食い違いがあるようなのです。相手と話し合う前に、自分が現時点で考えられる妥協のポイントをあれこれ考え、検討している私を見て、夫から「”Win-Win”の最初のステップは相手を理解すること。それから自分を理解してもらうことだよ」という助言がありました。彼は今まさにこのSteven Coveyの本をオーディオブックで聴いている最中なので記憶も新しく、次のエピソードについても話してくれました。

Stevenは本の中で「子供たちが騒いでいるのをとめもせずにボーっとしている父親」について説明していました。最初は「なぜ注意しないのだ」と苦々しく思っていたが、ついに耐えかねて「子供たちを注意したほうがいいのでは」とその父親に話しかけたところ、その父親は「実は彼らの母親(自分の妻)が亡くなったばかりで・・どうやって子供たちに話せばいいのか検討もつかないのだ」ということを打ち明けてきたというのです。その話を聞くまではStevenにとって彼は「子供を注意しないダメな父親」でしたが、話を聞いた今となっては「ぼーっとしているのは無理もない、何かしてやれないだろうか」と、状況を理解し、その不運を思いやる対象となったのです。当然、その時点では「では自分は相手に何を望むか」も以前とはまったく違ってきます。

夫は続けて「相手の状況をまず理解したら、その時点で自分は変わっているかもしれない。だから相手の状況を先に聞いて理解した上で、それから考えればいいんじゃない」と言いました。私たちは得てして「XXは~と思っているのに違いない」という推測をもとにあれこれと考えをめぐらせますが、実際のところは聞いて見なければわかりません。相手の話を聞いて自分の理解が深まり、その結果相手に対する気持ちが少しでも変わってくれば、その時点で自分が相手に対して望むことが変わる可能性もあるでしょう。最初のステップはこれからですが、とりあえず思い悩む前にまずコミュニケーションをとり相手を理解すること。そこから考えても遅くないと思った出来事でした。

声でわかる心の中

先日放映したインターネットテレビ番組”Wealthy Life TV”は私が「声でわかる!あなたの心の中」というテーマで話をしました。自分が心の平穏さを失ったことは、声にすぐに出ます。発している言葉そのものではなく、声のトーンや言い方に現れるのです。これは自分の周囲の人のことを考えてみれば容易に想像がつくでしょう。例えば「ありがとう」という、言葉そのものはポジティブな言葉でも、その言い方がつっけんどんだったり、皮肉っぽかったりすることで、その人の本心が見え隠れするような気分になる体験は誰にでもあると思います。

自分の声が平穏さを失ったとき、「カスタマーサービスの対応が悪いからだ」「XXが~だからだ」という風に自分以外の誰か(何か)のせいにするのはよくある反応です。でも、本当にそうでしょうか?「機嫌の悪さ」というのは実は自分で選択しているのです。あらゆる状況に対してどういう感情を持つかということは自分で選ぶことができます。「感情に押し流される」「感情はどうしようもない」という表現がありますが、より正確には「湧き上がる感情のまま行動することを選んでいる」ということになります。

一瞬、一瞬ごとに、自分がどう感じるか選択することができ、自分の声はその格好のバロメーターです。ひとつの注意点としては、カップルの方は、この知識を「相手の声が平穏でないことを指摘するツール」として使うのではなく、あくまで自分の心をモニターする手法として使うことをお薦めします。一番身近な相手に常に心の状態を指摘されるのはかえって喧嘩のタネになりかねませんから・・・

先日の番組はこちらからご覧いただけます(冒頭にコマーシャルが入りますがその後始まります)。

待つこと

去年の1月に「本を出版したい」と思い立った時から、実際に本が出るまで、約1年ほどでした。実際には、「本を出そう」と思ってから、出版してくださった主婦の友社の方と出会うまで、企画書をお渡ししてからそれが通るまで、そして原稿を書き上げてメールで送り、フィードバックを経て追加原稿を再び送ってから本が実際に出来るまで・・・様々な段階で「待つ」という時間がありました。また、今も今年出したい(書きたい)と思っている本のことで返事を待っている状態です。

昨今、出版されている方は世の中にたくさんいらっしゃいますし、中には次から次へと本を出している方もいらっしゃいます。そんな中で、私はまだ「著者」と言っても本当に「序の口」程度の位置にしかおりませんが、そんな私が1年足らずの経験から学んだことは「待っているときに何をするか」ということです。

待っている時、ときに人は弱気になります。そういえば、中学で私立を受験したとき、高校時代にAFSという留学試験を受けたとき、大学受験をしたとき、大学院を受験したとき(アメリカの大学院に進学するためGREという試験を受けたら先方の手違いでスコアをなくされたことがありました)、国連に入るためのJPO試験を受けたとき、サンディエゴ補習授業校の事務局長の面接を受けたとき・・・人生の岐路ではみんな「結果を待つ」という経験をしてきています。昔も、それぞれの試験を受けたときにはそれなりにドキドキしたり、弱気になったりしながら待っていたのでしょう。なんだか久しぶりにその感じを思い出しました。

待っている時に何を考えるか?によって、その待っている結果が変わるなんてことはあり得ない、と思うかもしれません。でも昔よりも年を取り、少しだけ知恵がついている今はこう思います。待っている時に「もうだめなんだ」と考えても、「いや、絶対大丈夫」と思っても、おそらくその待っている結果自体には変わりはないでしょう。「人事を尽くして天命を待つ」という言葉もありますが、やるだけやって(やれなくても)その結果を待っているなら、それはもう自分の手を離れています。でも、その待っている間にどんな気持ちで何をするのか?によって、その次の展開が違ってくると思います。待っている時に、待つことの緊張感に耐えられず弱気になり、何をする元気もなくなるという状態に甘んじるのか、それとも、たとえ思ったとおりの結果が得られなくても、すぐに次の手を打てるように「プランB」を考え、行動するのか。これを書きながら、昔見たタイガー・ウッズの広告を思い出しました。次のショットを打つという姿とともにこんな文句がついている写真です。”10% is what you just did. 90% is what you do next” ゴルフの試合では技術もそうですが、精神力が試合を決めると言われています。今さっき打ち終わったショットに気をとられていては次のショットにも影響してきます。人生でも、最後に自分の思うような成果を得られるかどうかを決める要素の中で「それまでに何をしたか」は1割にすぎない。残りの9割は「これから何をするか」で決まる、というメッセージがこめられています。

そして、昨日、待っていたことのひとつが現実になりました。著書「国際結婚一年生」について朝日新聞に取材された時の記事が掲載されたのです。例によって「もう載らないのかも・・」と思ったこともありましたから、嬉しいという気持ちと同時に「ほっとした」という気持ちが強かったです。取材し、掲載していただいた朝日新聞の杉原記者、ありがとうございました。

気が散りやすい脳

最新号のTIME誌で、”Wired for Distraction?”と題された記事を見つけました。今やFacebookをはじめとしたソーシャル・メディアを引き合いに出すまでもなく、携帯電話や電子メールの普及で、子どもたちは起きている間、とても多くの時間を「ネット世界とつながって」暮らしています。この記事を書いた記者は「子どもがネット世界でいじめられていないか、不適切なサイトを見ていないかということよりも、これだけ常に『つながっている』ことが脳にどんな影響を及ぼすかについて心配している」と書いています。

記事では、まず”continuous partial attention”ということに対する危険について述べられています。直訳すれば「継続的な散漫な注意力」とでもいうのでしょうか。ある調査によると、8歳から18歳までの子どもは平均で7時間38分もの時間を「エンターテイメント・メディア」に費やしており、例えば「テレビを見ながら携帯メッセージ」などの時間をのべで計算するとその時間は11時間にもなるそうです。

続いて、脳から分泌される物質にまで言及し、普段からそういった邪魔がないような状態で集中して問題に取り組める人と、そうでない人では違う物質が出ていると説明しています。同時に二つ以上のことを行うことを英語で”multi-tasking”と言います。普段からネットや携帯で「つながって」いて、何かをしながらメールやメッセージを見たりしている人のことを”multi-tasker”と言及し、彼らはそうでない人たちと比較すると、情報を吸収する際に脳の違う部分が活発になっているため、結果として「”multi-tasker”は単純作業で働くには問題がないが、今の子どもたちが将来的に高収入の仕事を得たいと思ったら必要不可欠になるハイレベルの思考をすることは難しい」と結論付けています。そういったハイレベルの思考をするには脳の海馬という部分を活発にしなければならないのですが、常にメッセージで邪魔されながら何かを習うことに慣れてしまうとそれがうまく作用しないという趣旨でした。

この記者は11歳のお子さんを持つ父親でもあるため、起きている間中ネットや携帯電話とつながっている状態を好ましくないものと考え、学校にいる間はFacebookは見ない、携帯電話使用も夜9時半まで、などという一定のルールを設けたと書いていました。私もこの記事を読んで、子どもたちの脳は私たちの世代とはきっと違っているのだろうと思わずにいられませんでした。私がメールを日常的に使い始めたのはせいぜい大学院留学時代なのでまだ10年ちょっとくらいのものですが、それでも、コンピュータに向かっている1時間ほどの間、Facebookやメールを開かずに集中して仕事をすることが難しいと感じることもあります(よいアイディアが浮かばないときはなおさらです)。これは、人間は「他人とつながっていたい」と感じる社交的な動物だからで、「メッセージがあります」という知らせを見ると脳にドーパミンという物質が出るからなのだそうです。生まれたときからコンピュータのみならずモバイル端末が周囲にあるような状況では、この記者のように親がこの問題について認識して、対策を講じていかないと、「必要な時には海馬がちゃんと働ける」ように情報を吸収させ物事を習わせていくことは困難でしょう。家で両親が四六時中コンピュータに向かっている姿を見せることにも問題があるに違いないと危機感を感じさせる記事でした。