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Erinaさんへの手紙:パートナーシップ

私がサンディエゴで知り合った日本人の女性は、みんなそれぞれに生き生きとした人生をおくっています。ご縁をいただいてお友達になったそんな彼女たちと、仕事や子育ての合間を縫って交流を深めてきました。

そんな女性のおひとりがErinaさん。Erinaさんは日本で高校を卒業した後、留学生として13年前に渡米しました。アメリカで大学を卒業し、アメリカ人の旦那さんと結婚。二人のお子さんの母親として、日本人妻として、働く女性として、アメリカに住む日本人女性をブログなどを通じて応援しています。また、日本人・日系人コミュニティにとって役に立つ情報を発信していくJapanese Family Support Centerの主宰者のお一人でもあります。

確かErinaさんと最初に会話をしたのは私がハワイに住んでいたときのスカイプ越しでした。その後、サンディエゴに帰って数ヵ月後に、以前からやりたいと思っていたポッドキャスト番組の作成について背中を押してくれたばかりか、第一回目のゲストにもなってくれました。

そんなErinaさんと、日本に発つ前に一緒にご飯を食べたとき、「結婚」をテーマに話し合うという素敵な提案をしていただきました。Erinaさんは新しく始められた In Nadeshiko Wayというブログで、そして私はこのブログを使って、文通という形で意見交換をしていきます。

初回のキーワードはパートナーシップErinaさんからのお手紙はこちらでお読みいただけます。
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015Erinaさん、こんにちは。

サンディエゴを離れてもう半年が経ってしまったなんて、何だか信じられない気持ちです。お蔭様で子どもたちもそれぞれ小学校と保育園になじんで、お友達もできました。横浜に引っ越したのは寒さも厳しくなる12月でしたが、最初の冬を乗り越え、過ごしやすくなってきた日本で楽しく生活しています。

サンディエゴが懐かしくなることは多々あります。何と言っても12年も住んだのですから、もうひとつの故郷ですよね。そんな場所を持つことができるのもとても贅沢なことで嬉しいのだけど、青い海と空の美しさや、子どもたちが自転車でぐるぐる走り回れる安全な場所が懐かしいなぁ。リバティ・ステーションは家から最も近い大きな公園で、アクティブな男の子たちのいる我が家にとっては庭みたいな存在だったので、Facebookで広大な芝生のエリアの写真を見るたびに帰りたくなったり(笑)でも日本にもずっといるわけではないので、ここでの生活をしっかり味わおう!と決めています。

さて、パートナーシップについて。

私と夫は2002年の5月に結婚したので、今年の5月で13周年を迎えます。最初の子どもが生まれる2006年までは二人だけの結婚生活でした。

もちろん、普通のカップルが通るような山や谷もたくさんありました。特に、私の場合は日本で彼と出会い、それまでのキャリアを一旦リセットする覚悟でアメリカに移住してきたこともあり、最初の数年間は、新しい生活に慣れるのと同時に「私は何者なのか」というアイデンティティ・クライシスも経験しました。

それまでにもアメリカには大学院留学で2年近く住んだことはあったのですが、結婚という形で、夫の妻であるということ以外に誰も私を知る人のいないところに行き、ゼロから人間関係やキャリアを構築していくというのはけっこうしんどい作業でもありました。

思うような仕事が見つからず、フラストレーションがたまって夫にやつあたりすることもあったし、経済的にもほぼ全面的に夫に頼っている状態。その頃の私はまだ「パートナーシップ」という言葉について意識するようなこともなかったでしょう。

夫は最初から “Happy Wife, Happy Life”という考え方を持っている人でした。妻がハッピーなら幸せな生活ができるということで、韻を踏んでいてキャッチーなフレーズですよね。初めて彼がそう言ったのを聞いたときにはなんて気の利いたことを言うのだろうとちょっとした感動を覚えたものです(笑)当然、逆も真なりなんですが、事あるごとに言ってくれるのは嬉しかったですね。

その彼の考え方のおかげもあって、最初の山であった結婚・移住後の数年間をなんとか乗り切り、満足のいく仕事が見つかって働き始めたのと同時に長男を授かりました。

国際結婚をして、自分の国を離れて相手の国に行く人にはそれなりの覚悟が必要ということは、一般的に受け入れられやすい考え方ではないかと思います。

でも、実は「来てもらう」立場のほうにも、同じくらいか、それ以上の覚悟がいるのかな?ということを最近考えます。私たちの場合は、最初の12年は夫の国で暮らしました。新天地で親しい家族や友人たちのコミュニティから離れ、キャリアを模索し、葛藤する私を見守りサポートする立場だった夫にも、何もストレスや苦労がなかったはずはありません。

そして今度は私の国で暮らすという経験をしています。夫にとっては2度目の日本滞在なので、日本生活に対するカルチャーショックは前回よりは少ないですし、幸いにも古巣での仕事を見つけて来ることができたので、私が経験したようなアイデンティティ・クライシスはないような感じがします。

でもサンディエゴでは車で10分だった通勤は、電車で片道1時間近く。もちろん家族やサンディエゴで親しくしていたテニス仲間からも遠く離れ、小学生の子どもたちに既に追い抜かされてしまった日本語力で、生活に不自由を感じている部分もあります。運転するにも道は狭いし、冬は寒くて夏は蒸し暑い…など、探せば小さな不満はいろいろあるでしょう。

今、逆の立場になってみて、毎朝早く家を出て、仕事を追えて帰宅する夫に対して感じるのはやはり感謝の気持ちです。そして、私が結婚当初アメリカに移住し、焦りを感じて過ごした最初の数年の間も、夫は「自分の国に来てくれた」ことに対して感謝の気持ちをもっていたから、私からの八つ当たりもおおらかに受け止めてくれ、サポートしてくれていたのかな、と想像したりしています。

夫婦のパートナーシップというのは、「一緒に人生をシェアしていこうと決めたのだから、何があっても二人で figure out(=解決策をひねり出す)して頑張っていこう」という意思のことだと思うのです。

お互いにやりたいことが違うことだってあるのはもちろん、そもそも赤の他人なのですから「価値観が全て一緒」なんてあり得ないと思います。日本人同士の結婚だってそれは同じですよね。

その違いをどうするのか? 違いすぎるといって共同生活をあきらめるのか? それともなんとか折り合いをつけて、どちらも reasonableにハッピーになれるような解決策を見つけようとするのか?

私たちの間でも、「自分の幸せは自分で作り出す」というのを基本にしつつも、相手の幸せにも興味をもち、夫婦というチーム全体で生活の満足度が上がるように努力しよう、という点で意見が一致しているので、それぞれ大切にしていることが違っても尊重しあうように心がけています。

「パートナーシップってこういうものだよね」という点で意見が一致している二人だったら、Erinaさんの言われたように「話し合いをやめる」という選択肢はもともとないものなのかもしれません。

なんだか長くなってしまったので、ひとまず筆を置きます。次回のキーワードは「コミットメント」でいきましょう!楽しみしていますね。

「彼を尊敬できなくなった」

国際結婚のカップルのご相談を受けていると、結婚している方から「パートナーを尊敬できなくなった」というコメントを聞くことがあります。ひとつのパターンとしては、結婚して何年かたった後で、自分は独身時代と同じように、いやそれ以上に、いろいろなことに興味を持ち、学びを続け、精力的に生活しているのに、相手は職場と家の往復だけで特に出世欲も向上心もなく、要するに(コメントをする人にとっては)「変わり映えのしない平凡な生活に満足してしまっている」・・・というものがあります。

では尊敬する気持ちとはどこから来るのでしょうか?よく子どもの頃、歴史上の人物で尊敬する人は?と聞かれることがありましたが、この場合は「すごいと思う人」「自分にはないものを持っている人」そして「自分は到底かなわないと思う人」という意味になるでしょう。「すごい」「自分には(今は)できない」「自分もああいう風になりたい」という人に対しては、(好きかどうかはともかく)尊敬の念を覚えるはずです。

でも、長い間に渡ってパートナーを尊敬し続けるというのはそれとはまた違ったチャレンジがあるようです。パートナーも生身の人間だし、この世に完璧な人はいないのだから、時にはがっかりさせられることもあるでしょう。独身時代にまぶしく感じられたような部分が、時間が経ってみると色あせて見えたりするかもしれません。先日読んだこちらの記事には、「恋愛中は異質性に惹かれ、結婚すると同質性を求める」という意味のことが書かれていますが、あんなに魅力的に思えていた部分が、一緒に生活を共にする相手になってみるとむしろ鼻についたりうっとうしくなったりということも起こりえます。

パートナーに対して、「そのあなたの圧倒的な能力で、自分の尊敬に値する人で居続けて欲しい」と期待していると、パートナーのすべてをそのまま受け入れることは難しくなるような気がします。それはどちらかというと受身の姿勢だし、恋愛の始まりに対して持つような憧れに近い気持ちでもあります。そもそもある人の行動に「がっかりする」というのは、「自分が期待したとおりに動いてくれなかった」ということ。本当の意味でのパートナーシップが、お互いに相手の期待通りに動く人間関係で成り立つことは非常に稀でしょう。

私も夫の行動にがっかりさせられることがありますが、お互いにmind reader(心を読める人)ではないのだから、期待することはまずわかるように表現しなければならないし、さらに言うと、あらかじめ伝えたとしても、そのとおりに相手が行動するとは限りません。常に「相手がXXしてくれたらハッピー」「してくれなかったらアンハッピー」ということでは他力本願だし、パートナーにとっても荷が重い話になってしまいます。ここに私が今考える「尊敬できない症候群」に役立つかもしれない対応策を挙げておきます。

・尊敬できる・できないは結局、比較に基づく“judgement”(価値判断)だと気づくこと。「尊敬できない」という時には「私はあなたよりも優っている」という比較の気持ちがあるのです。自分もそのように比較され価値判断を下されているとすると、それはどんな気持ちでしょうか?

・相手が何を大事にしているか?についての理解を深めること。「私とXXと、どっちが大事なの?」という記事にも書いたように、誰が何をどのくらい大事だと思うかは人によって違います。冒頭で例に出したパートナーにとっては、出世を目指して働く時間よりは、家族との時間のほうがもっと大切なのかもしれません。

“It’s your job to find it!” 相手のいいところを見つけるのは、パートナーであるあなたの仕事。アメリカの“Suits”というドラマで、法律事務所の社長が従業員にサプライズで贈り物をし、受け取った人が狂喜して「私がこれを好きだと、どうしてわかったんですか?」と尋ねるシーンがあります。これに対して社長は“It’s my job to know”.(それを知るのが私の仕事よ)。結婚生活でも、その関係を大事に育てていきたいのであれば、相手のいいところを探し続けることは、パートナーとしてなすべきことではないでしょうか。時には迷路をさまようような気持ちになるかもしれませんが、そもそも「結婚しよう」と思った相手のよさは、時間が経ち形が変わっていても必ずどこかにあるはずです。


絶食系男子となでしこ姫

ハワイ行きの飛行機の中で、「絶食系男子となでしこ姫  – 国際結婚の現在・過去・未来」(山田昌弘・開内文乃著)という本を読みました。著者の一人、山田昌弘教授はあの「婚活」や「パラサイトシングル」という言葉を生み出した人で、本書では、キャリア志向で海外へ飛び出し、その結果アジアの男性と結婚する女性が増加しているという現象をもとに、日本人の結婚が減少している「結婚難」という状況を解読しています。

山田教授に草食系を通り越して「絶食系」と称されてしまった人とは、「そもそも異性との交際を諦めている、または女性との交際が面倒くさいと言って恋愛欲求すらもたない男性」のこと。その背景には、若者の雇用をめぐる状況や、女性側の「結婚によって生まれ変わりたい」という「上昇婚志向」があると指摘されています。「上昇婚」とは、文化的あるいは経済的に、結婚前よりも良くなるという意味で、例えば日本人女性が欧米系男性と結婚すれば「文化的に上昇」、また国籍・人種は問わず自分よりも収入の高い人と結婚すれば「経済的に上昇」ということを指しています。要は、その人と結婚することで一段高いレベルに引き上げてくれるような相手がいいのだけれど、現状はそれだけの収入がある独身男性が減少しており、女性にとっては魅力的な相手がなかなか見つからないという現状、つまり国内での「上昇婚」が限界に達してきた結果、国際結婚がそこにあるニーズを満たす役割を担うようになってきた・・・という趣旨です。

この記事を書くにあたってレビューをいくつか読んでいたら「それでは日本人男性はどうすればいいのだ」というつぶやきがありました。この本の後半には「好きといってくれる相手と結婚したい」というキャリア志向の女性の言葉があり、彼女は「年収や学歴が自分より下でも、好きといってくれる相手がいればすでに結婚していたと思う」と言っています。つまり、男性としてみれば、自らの年収や学歴がそれほどではない(あるいは意中の女性よりも低い)としても、挽回のチャンスは大いにあるわけです。ただその一言を言ってくれる日本人男性がいないために「もう国際結婚しかないのでは」と語る声が載せられていました。

この部分を読んで、結婚願望がありながら結婚相手が見つからない人は、結婚したいという思いは純粋でも、それがどのような形で起こるべきかということに対するこだわりが強すぎるのでは、という気がしました。その強い思い込みは、相手に求める条件だったり、出会い方だったり、さまざまな面に及んでいます。男女ともにあると思われる「男性からアプローチすべき」という考え方についても同じことが言えるのではないでしょうか。また男性の「自分の収入や学歴は好きな相手とは釣り合わない、拒絶されたら恥ずかしい」という思いにしても然りです。プライドが障害となって、人生のパートナーとなり得るかもしれないチャンスを逃すのは本当にもったないことです。

実際に国際結婚をしている一人ひとりの言葉を聞けば、多くの人はその相手の人間性に惹かれて人生のパートナーを選んでいます。また、「上昇婚」という観点からは理想的なパートナーであるはずの欧米系の人、あるいはお金持ちの人と結婚したとしても、赤の他人と一緒に生活していくことの難しさはどのカップルでも経験することですし、世に言われる上昇婚をすれば間違いなく末永くハッピーになれるというほど単純なものでもないでしょう。本書で扱っているのはあくまで「結婚まで」の期間であり、結婚してから後のことには触れられていませんが、国際結婚をしたカップルはみな、言語や文化の違いなど、国際結婚特有のチャレンジも交えて試行錯誤を繰り返しながら、パートナーシップを築いています。また現在は日本であれアメリカであれ、「安定した雇用」と思われたものがいつなくなるかわからないのも事実。そのような人生の浮き沈みを含め、何が起こっても一緒に乗り超えられる(そのための努力を一緒にできる)と確信できる相手を見つけた人が、幸せな結婚生活を手にしているのではないでしょうか。

本を読みながらひとつ感じたこととしては、国際結婚だと、結婚する相手の属性によって「XXだから結婚したのね」(例えば、相手がXX人だから、お金持ちだから、エリートだから・・)と周囲から色眼鏡で見られる可能性が、日本人同士の結婚に比べてやや高いかもしれないということです。そういった好奇の、あるいは”judgmental”な目にさらされることまで含めて、国際結婚をしようと思う人は “This is my choice. I choose him to be my partner” と言い切り、自信を持って生きる覚悟が必要でしょう。見ず知らずの他人に何と思われようがかまわないし、本当に自分のことを考え、愛してくれている家族や友人であれば、いつかは自分の選択を応援してくれるはずという強い気持ちをもって、日々の幸せを享受して過ごすことにエネルギーを注ぐことができる人こそ、国際結婚に向いていると言えそうな気がします。

ハッピーでないことを伝えるべきか?

前回の記事に書いた「50/50」という映画で、癌の宣告を受けた主人公のガールフレンドが最初のうちは一生懸命彼の世話をしていたのに、あるとき浮気をしていることが発覚してしまう・・・という場面がありました。彼女はもう彼と一緒にいるのはつらすぎるから別れようという会話をする勇気がなくて、浮気という行動に出たのですが、このことについて夫に「彼女は浮気する前に彼に正直な気持ちを話すべきだったのでは?」と言ったことから、浮気をしていたら正直に言ってほしいか?という議論になりました。

例えば自分が死の床にあった場合、パートナーが昔浮気をした(あるいは現在している)という話を打ち明けてほしいだろうか?という夫からの問いかけに、まあ、明日死んでしまうなら知らないまま幸せな記憶を持って旅立ったほうがいいかもしれないな・・・とは思いました。ただ、逆に「自分が浮気という行動に走るほどその関係に問題があると思っていたら、知りたいとは思わないのか」と聞いてみたら、それは確かに、言ってほしいと思う、とも。

先日も「浮気と、相手の携帯電話を内緒で覗き見することはどちらが罪が重いか」というテーマの記事を書きましたが、どちらにも共通するのは「(始めのうちは)パートナーに隠れてその行動をとる」という点です。どちらの場合も自分の気持ちを打ち明けたり、相手に直接問いかけたりすることを避けています。それにはさまざまな理由があるでしょう。よく男性側からは「自分の気持ちを打ち明けると彼女が感情的になり取り乱す」という声を聞くこともあり、聞かされる方(この場合は女性側)の取り乱したくなる気持ちも理解できるのですが、それでも、パートナーには、その関係についてどう思っているのか打ち明けてほしいものではないか・・・と私は感じます。多くのカップルは結婚に何を期待しているのか、結婚をどんなものだととらえているかということについて特に話すことなく、後になって認識のズレに驚いているという状況があります。結婚前や結婚直後の、まだ「何でも話せるような関係」でいるうちに、その関係にもし不満をもっていたら、お互いにどうしてほしいかということについても話題にできるといいのではないでしょうか。そこまであらかじめ話しておくことは難しくても、「話の最中に、相手が(あるいはお互いに)感情的になる」という経験をしながらもコミュニケーションをあきらめず、たとえば時間をおいたり、別のアプローチをしたりという試行錯誤を繰り返してでも、やはりそれでもなんとか理解する努力をしたいと思える相手かどうか・・・結婚前の交際とはその見極めのためにあるのではないかと感じます。