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12年間のサンディエゴ生活が終わりました

家族で日本に移住してから一ヶ月が経ちました。私はサンディエゴには2002年の11月に移住したので、実に12年近くを過ごしたことになります。日本に住んでいるとは言っても、現在はまだ横須賀基地内のホテルに滞在しているので、日本の中のアメリカにいるような感じではあるのですが、この機会にここまでの経緯を振り返ってみました。

私は高校時代に1年間、AFS交換留学生としてドイツのホストファミリーにホームステイをしました。ちなみにAFSは高校生の交換留学の団体としては老舗で、本家アメリカのAFSは今年100周年、日本AFSも60周年を迎え、11月後半には記念の式典が行われます。1年後ドイツから帰国して高校に復学し、日本の大学に進学。卒業後はアメリカの大学院に留学しました。

アメリカ大学院留学中にJPO試験を受けて、奇遇にもドイツに本部がある国連ボランティア計画という組織で働くことになりました。2年ほどドイツで働いた後、今度は東京事務所に派遣され、そこで働いているときに現在の夫と出会い、国連を辞めてアメリカに移住するという決断をしました。

サンディエゴ滞在中にあったキャリア&家族に関する出来事としてはこんな感じです。

2002年11月~2003年8月 JICAコンサルタントとしてベトナムに計3ヶ月ほどの期間を勤務
2004年 サンディエゴの非営利団体 Family Violence Instituteで勤務
2005年 サンディエゴ補習授業校みなと学園の事務局長として勤務開始
2006年7月 長男出産
2007年11月 次男出産
2008年 RCB親子コミュニケーションコース講師の資格を取得。Your Infinite Life Coachingのコースに参加
2009年 ブログを書き始める。ライフコーチの資格を取得
2010年 みなと学園を退職。著書「国際結婚一年生」出版
2011年 国際結婚成功コンサルタントとして活動開始。6月に世界征服サミットに初参加
2012年2月 三男出産。8月から3ヶ月間、家族でハワイに住む
2013年2月 ポッドキャスト番組開始。夏休みに長男が日本の小学校で1ヶ月の体験入学
2014年9月 日本に移住

前述のように夫に出会う前にはアメリカ→ドイツ→日本と2年ごとに移住していて、日本での滞在も「これは一時的なこと」という意識が常にあったため、夫と結婚してサンディエゴに行くことになったときも「サンディエゴは3年から5年くらいで、そのあとまた次に行こう」ということを夫と話していたのです。サンディエゴに移住した頃は、国連は辞めたものの国際協力の仕事にはまだたっぷり未練があったので、友人からお話のあったJICAコンサルタントとしてベトナム勤務という機会をありがたくお受けして、サンディエゴからベトナムに5回ほど往復しました。その頃はまだ「サンディエゴの次はまた国際協力の仕事で途上国に住みたい」と思っていた覚えがあります。ベトナムでの勤務が終了した後、国際協力分野での仕事をサンディエゴで探したもののなかなか見つからず、学校運営の責任者という、それまでのキャリアが生かせる満足のいく仕事についたときには移住してから3年が経っていました。

面白いことに新しい仕事を始めた途端に長男を授かり、そこからはフルタイムのワーキングマザーで子育てという生活にどっぷり漬かることになりました。この頃には「次にもし家族で住むとしたら日本かな」と考え始めていたように思います。2009年には事務局長としての仕事は続けつつも、もし本当に国を移動するとしたら、それでもずっと続けられる仕事をしたいと考えるようになり、このブログを書き始めました。

サンディエゴでの生活はとても快適で、子どもたちもサンディエゴの学校に行き始めて友達も出来始め、コミュニティに根を下ろして生活していました。三男が生まれた頃には、一家で別の国に行くというのはなんだか遠い夢の話のような気がしていましたが、そんなときハワイに3ヶ月住むという機会があり、住んでいたアパートはそのままでハワイに引越ししました。まだ6ヶ月の三男を抱えて大変なこともありましたが、サンディエゴを離れて別の土地で暮らすというこの経験から「やってやれないことはない」と思うようになりました。そして2013年の7月に行った3度目の世界征服サミットに行った帰りの飛行機で「日本行きを1年以内に実現させる」と改めて決意し、それから1年は「20014年の8月に日本に移住すること」を目指して準備をしてきたのです。そして今年の6月に日本での仕事に応募していた夫にオファーがあり引越し準備を開始し、9月22日に日本に到着しました。

まだこれから家を決めて引越しをして、日本の学校に子どもたちを通わせるというステップが残っています。本当の意味での日本の生活を開始するまでには当分かかりそうですが、日本滞在も(当面は)期間限定という認識なので、その間にやりたいことをリストアップしているところです。「家族」「友人」「キャリア」「冒険・旅行」など、カテゴリ別に整理して優先順位をつけて・・・と、時間はかかるけれど楽しい作業をこれからしていきます。日本語はほぼビギナーの夫と子どもたちとの日本生活なので、その面のチャレンジがあることは覚悟の上ですが、このあたりもドキュメントしていきたいなぁと思っています。

待つこと

去年の1月に「本を出版したい」と思い立った時から、実際に本が出るまで、約1年ほどでした。実際には、「本を出そう」と思ってから、出版してくださった主婦の友社の方と出会うまで、企画書をお渡ししてからそれが通るまで、そして原稿を書き上げてメールで送り、フィードバックを経て追加原稿を再び送ってから本が実際に出来るまで・・・様々な段階で「待つ」という時間がありました。また、今も今年出したい(書きたい)と思っている本のことで返事を待っている状態です。

昨今、出版されている方は世の中にたくさんいらっしゃいますし、中には次から次へと本を出している方もいらっしゃいます。そんな中で、私はまだ「著者」と言っても本当に「序の口」程度の位置にしかおりませんが、そんな私が1年足らずの経験から学んだことは「待っているときに何をするか」ということです。

待っている時、ときに人は弱気になります。そういえば、中学で私立を受験したとき、高校時代にAFSという留学試験を受けたとき、大学受験をしたとき、大学院を受験したとき(アメリカの大学院に進学するためGREという試験を受けたら先方の手違いでスコアをなくされたことがありました)、国連に入るためのJPO試験を受けたとき、サンディエゴ補習授業校の事務局長の面接を受けたとき・・・人生の岐路ではみんな「結果を待つ」という経験をしてきています。昔も、それぞれの試験を受けたときにはそれなりにドキドキしたり、弱気になったりしながら待っていたのでしょう。なんだか久しぶりにその感じを思い出しました。

待っている時に何を考えるか?によって、その待っている結果が変わるなんてことはあり得ない、と思うかもしれません。でも昔よりも年を取り、少しだけ知恵がついている今はこう思います。待っている時に「もうだめなんだ」と考えても、「いや、絶対大丈夫」と思っても、おそらくその待っている結果自体には変わりはないでしょう。「人事を尽くして天命を待つ」という言葉もありますが、やるだけやって(やれなくても)その結果を待っているなら、それはもう自分の手を離れています。でも、その待っている間にどんな気持ちで何をするのか?によって、その次の展開が違ってくると思います。待っている時に、待つことの緊張感に耐えられず弱気になり、何をする元気もなくなるという状態に甘んじるのか、それとも、たとえ思ったとおりの結果が得られなくても、すぐに次の手を打てるように「プランB」を考え、行動するのか。これを書きながら、昔見たタイガー・ウッズの広告を思い出しました。次のショットを打つという姿とともにこんな文句がついている写真です。”10% is what you just did. 90% is what you do next” ゴルフの試合では技術もそうですが、精神力が試合を決めると言われています。今さっき打ち終わったショットに気をとられていては次のショットにも影響してきます。人生でも、最後に自分の思うような成果を得られるかどうかを決める要素の中で「それまでに何をしたか」は1割にすぎない。残りの9割は「これから何をするか」で決まる、というメッセージがこめられています。

そして、昨日、待っていたことのひとつが現実になりました。著書「国際結婚一年生」について朝日新聞に取材された時の記事が掲載されたのです。例によって「もう載らないのかも・・」と思ったこともありましたから、嬉しいという気持ちと同時に「ほっとした」という気持ちが強かったです。取材し、掲載していただいた朝日新聞の杉原記者、ありがとうございました。