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愛する人との最後の会話

unsplash_5244808e6b835_1Facebookのナンバー2とも言われるポジションにあり、“Lean In”を書いたシェリル・サンドバーグ。私も去年まだサンディエゴにいるときにこの本をオーディオブックで聴いて、素晴らしい経歴の持ち主ながら飾らない人柄の彼女に何となく親しみを覚えました。その彼女のだんなさんであるデイビッド・ゴールドバーグが突然亡くなったというニュースを聞いたとき、私は自分でも意外なほどにショックを受けました。彼が47歳という若さだったこと、そして彼らにはちょうど私の上の子どもたちと同じ年頃のお子さんたちが二人いたこともその原因だったかもしれません。でも何よりも、この類のニュースを聞くたびに思うのは “You never know when your time is up”ということ。いつ何が起こるのかは誰にもわからないのです。

彼の死が発表されてから数日後、シェリル自身が彼への思いをFacebookで投稿していました。やはりとても印象に残ったのがこの箇所。

Dave and I did not get nearly enough time together. But as heartbroken as I am today, I am equally grateful. Even in these last few days of completely unexpected hell – the darkest and saddest moments of my life – I know how lucky I have been. If the day I walked down that aisle with Dave someone had told me that this would happen – that he would be taken from us all in just 11 years – I would still have walked down that aisle. Because 11 years of being Dave Goldberg’s wife, and 10 years of being a parent with him is perhaps more luck and more happiness than I could have ever imagined. I am grateful for every minute we had.

「11年しか一緒にいられないとわかっていても、結婚していたでしょう」

この一文は、私がある時期よく考えていたことを思い出させてくれました。いつか死ぬとわかっていても恋をし、愛し合って結婚するのはなぜか?人はだれでも死ぬのですから、運よく一緒に死なない限りは、どんなに愛し合っていてもどちらかは相手を先に失い、その喪失感に苦しむことになります。だから本当は、みんな一緒にいる時間が限られていることは承知の上で、その時間をより幸せに過ごすために、相手とともに歩む道を選ぶはずです。その時間が短いとわかっていても、また失ったときに味わう苦しみが待っていることが明らかであっても、この人と過ごす時間は何ものにも換えがたい、手に入れる価値のあるものだから。お互いにそう思える相手と出会うことが出来る人は本当にラッキーです。

輝かしいキャリア、素晴らしいパートナー、可愛らしい子どもたち……人から見ればパーフェクトのように思えたシェリルの人生。彼女にとっても全く予想していなかった悲劇が起こりました。まだ生涯のパートナーと出会っていない人が、幸せな結婚をしている人を見て「あの人は自分よりも絶対に幸せだ」と感じたりすることもあるでしょうが、次の瞬間にはどうなっているかは誰にもわかりません。吉本ばなながある小説で「勝ち負けなんてトータルでなければ誰にもわからない」というようなことを書いていましたが、幸せの尺度は人それぞれだし、「自分の人生がどれだけ幸せだったのか」なんて、その人生を生きた本人だけが決められること。まったくの主観で自分と他人の人生を比較できるかのように思えたとしても、それはあくまでその瞬間だけのことに過ぎないのです。

では幸せな人生とは何でしょうか?

私自身が考える「幸せ」の尺度のひとつは、幸せだと感じる瞬間が多い生活。そして、そんな瞬間の記憶をたくさん持っていること。また「ああすればよかった」と後悔することがなるべく少ないことかな、と考えています。

私たちには生まれる前に亡くなってしまったみろくという赤ちゃんがいました。それも突然の死で(妊娠16週での出来事だったので、医学的には流産になるそうですが、私のお腹の中で確かに生きていた子どもなのでやはりそれは死という言葉がふさわしいように思います)、そのときから私は「明日も愛する人たちと会える保証はどこにもない」と思うようになりました。

例えば朝の忙しい時間に子どもたちを起こし、せかすように準備をさせているとき。心穏やかに「行ってらっしゃい」を笑顔で言えなかったり、けんか腰のまま別れることを選んでしまったときは、日中「もし子どもたちに何かあってもう会えなかったら、あれは後悔する別れ方だった。どうか無事に帰ってきますように」と思ったりするのです。夫についても同じことです。

だから我が家では、出来るだけ毎朝の別れ際や家に帰ってきたときにハグやキスをするし、寝る前はできるだけスキンシップをしたり「今日一番よかったこと」を言い合って穏やかな気持ちで時間を過ごすように努力しています。

自分にとって大切な関係は常にcompleteであること。言い残しや思い残しがないようにすること。それは私にとって「後悔したくない」というちょっと後ろ向きな動機に基づくものかもしれないけれど、大事な信条です。だからといって本当に相手を失ったときに苦しまないなんていうことはあり得ないのですが、「この人との関係において、自分ができるだけのことは全てやりきった」という気持ちに、時間がたてばいずれなれるのかもしれません。みろくのときもそうでしたが、私にとってのメンターと呼べる二人の女性のサポートによって、自分はそのときのベストを尽くしたということを受け入れられたことで、少しだけ気持ちが軽くなったのを覚えています。

亡くなったデイビットがシェリルや子どもたちと交わした最後の会話が、愛情に満ちたあたたかいものであったことを祈りつつ、筆をおきます。

(image by Charlie Foster)